marginalia

読んだ本の話や一緒に暮らす猫のこと、それと趣味ではじめた翻訳の話など。

『横しぐれ』丸谷才一

横しぐれ (講談社文芸文庫)
「わたし」は、中世和歌や連歌を専門とする国文学研究室の助手。父の通夜の席で、父の友人であった国文学の黒川先生に思い出話を聞く。実は、戦争が激しくなるちょっと前、黒川先生は父と連れ立って郷里の松山を訪れたことがある。そのとき、道後温泉近くの茶店で一人の乞食坊主に酒をたかられた話を以前に父から聞いたことがあるのだが、たいそう話の面白い坊主で、特に将棋指しの手拭いの話が面白かったという。
将棋指しに限らず無宿者は、旅の間一本の手拭いを用意し、一夜の宿を借る際に手向けとして差し出す。宿の主は翌朝そのまま返す、という慣習がある。評者は『ひとり狼』という映画でこれを知った。旅の将棋指しは、手拭いを洗濯中で、どうせ返ってくるものと思い、たたんだ褌を差し出したが、あいにく留守を預かる家人はこの慣習を知らず、受け取ったまま返さないので褌ができず困った、という与太話である。
お楽しみはこれからだ。その日、強い雨が降った。これを「横しぐれ」と評した黒川先生の言葉に、旅の僧がいたく感嘆したという。後日、調べ物をしていた「わたし」は、『現代俳句集』のなかにある種田山頭火の句に「しぐれ」を詠んだものが多いことに気づく。略暦を読むと、そこに「昭和十五年松山一草庵にて頓死」とある。ひょっとしたら、父が出会った乞食坊主とは、山頭火その人ではなかったか、と思いついた「わたし」は、関連する書物を集め、その証拠を固めようとするのだった。
昭和四十二年に新聞に連載された記事がブームに火をつけたようだ。世に山頭火ブームともいうべき現象が現れた。山頭火テレヴィ番組やマンガにまでなった。尾崎放哉もそうだが、世人は自由律俳諧というより、専ら世捨て人めいたその生き方に興味を引かれたのではなかろうか。
しかし、多分に作家その人を連想させる「わたし」の興味は、純粋に学問的関心らしい。源三位頼政の歌にある「横しぐれ」という歌語が、山頭火の俳句のなかに果たして存在するか。また、道後温泉で父が出会った大酒のみの旅の僧は山頭火本人だったのか、国文学者らしい実証主義で文献を渉猟してゆく。このあたり、謎解き探偵小説のようで実にスリリングである。
反戦主義者であった黒川先生とぶつかったことから、その坊主は右翼だったろうと見当をつけ、山頭火と日本浪漫派の関係を探ったり、山頭火の日記から松山での足取りを追ったりするが、謎は深まるばかり。とうとう研究者にあるまじき類推に走る「わたし」に、定家論を出版したばかりの仏文学者が同調し、「しぐれ」は「死暮れ」だとか、「よこし」は「横死」ではないかと、言葉遊びめいた極論が飛び出すところまでいく。この仏文学者も丸谷の分身で、二人の会話によって論調が変化するあたり、丸谷の文学評論を読む面白さである。
探索の果てに、「わたし」は、思いもかけない父の側面を知ることになる。それは自分の人生の一部分を形成する大きな出来事であった。年少の「わたし」には知らされなかった事件は、しかし「わたし」が自分の進路を選ぶとき無意識の裡に影響を与えていたのではないか。
文学ミステリの意匠をまといつつ、山頭火の文学とその人物を深く掘り下げるとともに、「私小説」めいた身振りを装い、作家自身を思わせる主人公の人間形成の履歴にメスを入れるという手の込んだ中編小説。反戦思想と歌語という主題は、『笹まくら』とも共通する、いかにも丸谷才一らしいアクロバチックな趣向である。人と「死」の出会いについて様々な思いをめぐらせた一篇。他に「だらだら坂」「中年」「初旅」の三篇を収める。