marginalia

読んだ本の話や一緒に暮らす猫のこと、それと趣味ではじめた翻訳の話など。

『コルヴォーを探して』

コルヴォーを探して
ハドリアヌス七世』というあまり世に知られることのない、しかし才気溢れる小説の著者であるコルヴォー男爵ことフレデリック・ウィリアム・ロルフという作家についての評伝である。
話は一九二五年の夏に始まる。シモンズは文学好きで稀覯書専門の本屋でもある友人と「賞賛を受けたり影響力があったりしても当然なほど素晴らしいのになぜか見落とされている書物」について話し合っていた。レ・ファニュやビアスの作品を上げた筆者に、相手は「あなたは『ハドリアヌス七世』を読んだことがありますか」と訊ねたのだ。
未読であったので早速一書を借り受けて読んだシモンズは、その文章の独創性、溢れる機知、卓越した言葉づかいや情景描写に魅せられる。しかし、その素晴らしさにもかかわらず、なぜロルフという作家は世に知られていないのだろう。シモンズはその謎を解くため作家の友人、知人、出版関係者に手紙を書き面会を求める。幸いなことに関係者の何人かから返事が届き、話を聞くことができた。そうやって集めた資料を惜しみなく使って書かれたのが、この類稀なる評伝である。作家と文通相手の往復書簡をはじめ、ロルフ作品からの引用も多く含むこの評伝は、いまだ未訳の謎に包まれた作家の姿をうかがい知ることのできる魅力的な評伝となっている。
コルヴォー男爵ことFr.ロルフは文学にとどまらず、音楽、絵画など芸術的才能に恵まれた青年であったが、司祭職に憧れカトリックに改宗するも学校を追われ、教師をしたり、教会の装飾に携わったりしながら貧窮の中で文章を書き綴っては出版の道を探っていた。ただ、このロルフという人物、いささか性格に問題があった。自尊心が高く、知識をひけらかしがちで、誇大妄想の気があり、才能に秀でた自分のために人が金を出すのは当然とみなす癖があった。ひとたび事が失敗するや、それは周囲が自分に悪意を持って妨害した所為だと思い込む。その結果執拗に相手を誹謗中傷する手紙を送りつけるという、全くもって拘りあうと面倒な相手なのだ。
しかし、弁舌が巧みで座持ちのよい話し手であるため、初対面の人は友人として食事をともにしたり、自宅に招待したりする。するとそれに甘え、金銭を借用しては滞納、相手の家に居続け、その挙句が喧嘩、中傷の手紙という繰り返し。優れた才能を持ちながら、その破滅的な性格ゆえに、年中食べるものにも住むところにも窮し、とうとう最後は憧れのヴェネチア野垂れ死にを遂げる。
シモンズは、作家の才能に魅せられながらも、その人生のあまりな奇矯さに圧倒されているように見える。作家の数奇な人生には生まれながらの性癖が影を落としていることにも触れながら、遺された作品の行方をたどる探索行を続けてゆく。最後にはその全ての作品を読むことを得るのだが、ロルフのことを教えてくれた友人や、知られざる作品を金にあかして発掘してくる途方もない資産家など、ロルフ以外にもエキセントリックな人物に事欠かない。そういう意味でも面白い読み物で、これが今まで本邦初訳であったのがちょっと信じられない。稀覯本に限らず、奇書、珍書に目がない読者なら何を措いても読まねばならない一冊である。