marginalia

読んだ本の話や一緒に暮らす猫のこと、それと趣味ではじめた翻訳の話など。

山茶花のトンネル

f:id:abraxasm:20131216190837j:plain

新聞に、粥見の山茶花が見頃と出ていたのは一週間ほど前だった。『温泉○○』今月号の無料で入れる温泉手形のページには、めずらしく近県の日帰り温泉が数軒紹介されていた。そのなかに香肌峡温泉もあり、粥見はちょうどそのルート上に位置していた。温泉への日帰りだけでもさみしいので、ついでに山茶花見物としゃれ込むことにした。

 

R166号の途中にある休業中の喫茶店の前で右折し、農道に入る。対向不可の道を進むこと数分、めざす山茶花は大きく道の上に枝を広げていた。惜しむらくは見頃を過ぎていたが、名にし負う山茶花の銘木。たっぷりとつけた花を惜しげもなく、見物客の前に差し出していた。見頃のころには四台ほどしかない駐車スペースは満杯だろう。途中の空き地に車を停めて歩いてきても多寡が知れた距離である。次回は歩いて来ることにしよう。

 

蓮ダムの標識で左折し、目指す温泉に到着。山に囲まれ、奥まったところに位置する隠れ家的なリゾートホテルのなかにある。以前コペンのオフ会で夏に一度来たことがあった。川遊びに興じた河原も冬枯れの風景の中で物寂びた風情をまとっている。遠くの山の上には早くも冠雪が認められ、冬の到来を告げていた。

 

時雨まじりの天候に山里のホテルを訪れる物好きもさほどいるはずもなく、男湯には二、三人の先客がいるばかりだった。内湯に露天、サウナと一通り設備は整っているが、「山里は冬ぞ寂しさまさりけるひとめもくさもかれぬとおもへば」と歌にあるとおり、人の少ない温泉はゆったりした気分というより物寂しさがまさる。

 

露天風呂に肩まで浸かり、遠山の雪をながめていると、湯治にでも来たような気分になる。年とともに肩やら腕やらに痛みが絶えず、ついつい温泉に来たくなる。充分湯治気分である。ゆっくり浸かって外に出ると、女湯が騒がしい。なにやら人の服を着て出て行った客がいて、服をなくして困っていると訴える客がいた。

 

女湯から出てきた妻に聞くと、人の脱衣籠に手を突っ込んでいた客がいたらしい。どうも、痴呆老人らしく、自分の服がわからず適当に引っつかんで着て帰ってしまったようだ。後から出た客は自分のシャツがなく、寒いとこぼしていた。フロントが、何かアメニティグッズのようなものをお詫びのしるしにわたしていたが、奈良まで帰るのに風邪を引かなかっただろうか。毎年来ているのにこんな目に遭うのは初めてだと訴えていたあの客、来年は来ないだろうなあ。ホテルの脱衣場であってもリターン式のコインロッカーにしたほうが安全だろうな、と思ったことであった。