marginalia

読んだ本の話や一緒に暮らす猫のこと、それと趣味ではじめた翻訳の話など。

『ジーン・ウルフの記念日の本』 ジーン・ウルフ

ジーン・ウルフの記念日の本 (未来の文学)
原題は“ Gene Wolfe’s Book of Days ” 。この「ブック・オブ・デイズ」。ここでは「記念日の本」という訳になっているが、一年間365日の一日一日について、「今日は何々の日」ということを解説した本のことである。ジーン・ウルフがその初期短篇の中から、ある記念日にちなんだ短篇を選び出し、「ブック・オブ・デイズ」を模して配列した短篇集である。かなり短い作品から、中篇に近い作品を含む十八篇とまえがきに仕込まれた小篇がひとつ。ちゃんと前書きを読む好い子のためにおまけがついている。このおまけが絶妙で、本編に対する期待がいやまさるという憎い仕掛け。

実はジーン・ウルフについて、有名な『ケルベロス第五の首』や「新しい太陽の書」シリーズには今ひとつ好印象をもてなかったのだが、「デス博士の島その他の物語」には惹かれるものがあった。個人的な好みで一般性はないのだが、いかにもSFらしい作品を前にすると難解な科学用語や架空の理論にひるんでしまうところがある。それでいてSF作家が書く物の中にはお気に入りの作品がいくつもある。そんな読み手なのだが、この短篇集からは自分好みの作品をいくつか見つけることができた。自分でアンソロジーを編むとしたら、是非選びたいのは休戦記念日にちなんだ一篇、「ラファイエット飛行中隊(エスカドリーユ)よ、きょうは休戦だ」だろうか。

かなりの空戦マニアなのだろう。フォッカー三葉機のレプリカをほとんど自力で造りあげた「わたし」は、空気のきりっと冷たい早春のある日その年二度目のフライトに飛び立つ。機体はぐんぐん上昇し、どんな鳥の背をも見下ろす高度に駆け上がったそのとき、地平線すれすれに浮かぶ赤身の強いオレンジ色の点を発見する。それは気球だった。ゴンドラには美しい娘が乗って手を振っていた。「わたし」は、偵察の任務も忘れ、気球の周りを旋回し、娘と身ぶり手振りで会話のまねごとをかわすが、やがて燃料が切れ着陸を余儀なくされる。給油後再び離陸するも娘には二度と会えなかった、という話。

気球は南北戦争当時リッチモンドの淑女たちが拠出したシルクのドレスで縫い上げた偵察用気球のレプリカと思われたが、その後何度飛んでも二度と出会うことは叶わなかった。 「わたし」は密かに思う。すべてを本物と同じように造りあげたフォッカー三葉機が唯一オリジナルと異なっているのは、ドープ塗料が当時の強燃性のものから不燃性のものに変わっていたことだ。もし、強燃性ドープ塗料を使っていたら、事態はちがっていたのではないか、と。このとことん細部にこだわるマニアックな資質に神が宿るのだ。

日暮れ近い空の上で遭遇した気球はレプリカではなく本物ではなかったのか。もし、自分の機体が当時と同じ強燃性ドープ塗料で塗られていたら、オリジナルの飛行物体だけが時を越えて相見えることのできる時空に、思う様飛んでいけたのではなかったか。その時代の最新鋭機を造りあげた者だけが行くことのできる空の通い路には、今も多くの複葉機や三葉機、飛行船が夕焼けの雲を背景に行き交っている、そんな夢のような光景を想像させる珠玉の一篇である。宮崎駿はこの作品の存在を知っているだろうか。評者にはゴンドラに乗ったペチコート姿の娘がナウシカに見えて仕方がなかった。