marginalia

読んだ本の話や一緒に暮らす猫のこと、それと趣味ではじめた翻訳の話など。

『大いなる眠り』第4章(5)

<「ああ、あの手のものには全く興味がない。おそらく鋼板印画の複製セットだろう。安直な彩色で二束三文の出来。そこいらによくある低俗な品さ。申し訳ないがお断りだね」
「わかりました」彼女は自分の顔に微笑を引き戻そうとがんばっていた。苛立ってもいた。まるでおたふく風邪にかかった市会議員のように。「ガイガー氏がおりましたら、お役にたてたのでしょうが、あいにく留守を致しておりまして」彼女の目は注意深くこちらを窺っていた。彼女は稀覯本について、私が蚤のサーカスの取り扱い方について知っている程度には、よく知っているのだ。
「後で顔を出すんだろう?」
「申し訳ありませんが、遅くなるかと」
「それは残念だ」私は言った。「いやあ、実に残念だ。この素敵な椅子に腰掛けて一服させていただくとするかな。今日の午後は暇なんだ。三角法の講義について考えることくらいしかすることがないんだよ」
「はい」と彼女は言った。「は、はい。もちろん」>

"Oh, that sort of thing hardly interests me, you know. Probably has duplicate sets of steel engravings, tuppence colored and a penny plain. The usual vulgarity. No. I’m sorry. No.”
双葉訳
「ああ、あんなものにはてんで興味がない。けちな版画の複製だろう。陳腐だよ。僕は結構だ」
村上訳
「ああ、あの手の代物にはまるで興味はない。どうせ銅版画のセットを複製したもので、色彩も安直、一丁上がりのやっつけ仕事で、一山いくらの値打ちしかない。申し訳ないが願い下げだね」
"steel engravings”は鋼板印画もしくは鋼板彫刻であり、銅版の代わりに鉄を用いた印刷技術である。安価で大量に印刷できる点が銅版画と比べた時の長所とされる。この文脈では、相手の所蔵品を貶めるというところに力が入っているのであるから、わざわざ銅版画と訳しなおすことには意味がない。双葉氏のように意訳して「けちな版画」とするか、あまりなじみのない言葉だが「鋼板印画」と訳すかしかないのでは。蛇足ながら”tuppence”は”twopence” で前にある鋼板印画から連想すれば”tuppence colored and a penny plain”は「二ペンスの色づいた土地と一ペニーの平地(無地)」ということになり、安っぽい彩色がなされた無地の部分の多い(安価な)印刷物を揶揄した文句となる。もちろん、ペンスとペニーをかけていることは言うまでもない。村上氏も前半の「色彩も安直」は忠実に訳しているが、後半は意訳せざるを得なかったようだ。

"I’m afraid not until late.”を双葉氏は「遅くならないとは思いますが」。村上氏は「参るのはかなり遅くなるかと思います」と反対の意味に訳している。"I’m afraid not”は、いわゆる丁寧語表現で、相手が言ったことについて否定しつつ不快感を与えない言い方として主に英国で使われる。彼女のこの返事を引き出すマーロウの質問は"He might be in later?”で、双葉氏は「じきに帰ってくるかね」。村上氏は「彼は後で出て来るのかな?」だ。双葉訳では同意に取れるので、否定になっていない。村上訳では来店予定があるかどうかの確認なので、来る予定だが遅くなるという彼女の返事は、これもまた否定とはいえない。つまり、彼女の返事に"I’m afraid not”が出てくるためには、マーロウ側に、すぐに会えるだろう、という期待がにじんでないといけないわけだ。そういう意味で「たぶん〜だろう?」という意味の訳がぴたりと当てはまるはず。

"Nothing to think about but my trigonometry lesson.”
「三角法の授業のことなんか考えなくてもいいんだ」(双葉)
「三角法の講義について考えるくらいしかすることがないんだ」(村上)
よく使われる"nothig but”のイディオム。双葉氏がどうしてこう訳したのかが分からないくらいのもの。もちろん村上訳が正しい。双葉訳では"but”が効いていない。