marginalia

読んだ本の話や一緒に暮らす猫のこと、それと趣味ではじめた翻訳の話など。

『大いなる眠り』第4章(6)

<私は椅子のひとつに体を伸ばし、灰皿スタンドの上の丸いニッケル・ライターで煙草に火をつけた。彼女はまだ立っていた。歯で下唇をかんで、なんとなく困ったような目をしていた。ようやく頷くとゆっくり振り返り、コーナーの小さな机の方に歩いて戻った。ランプの火影から彼女は私をじっと見つめた。私は脚を組んでひとつ欠伸をした。彼女の銀色の爪は机の上の電話にのびかけたが、それには触らずに落ち、机の上をトントンと叩き始めた。
沈黙が五分ほど続いたろうか。ドアが開いて、長身で腹でも減っているのかと見紛いそうな輩が、ステッキと大きな鼻を携えて整然と入ってきた。ドア・クローザーの圧力に逆らって自分の背後でドアを閉め、コーナーに向かって行進すると包装された品を机の上に置いた。彼はポケットから四隅に金細工を施した海豹革の財布を取り出すと金髪女に何かを見せた。女が机の上のボタンを押した。長身の男は仕切りパネルのドアまで行き、かろうじて体を滑り込ませるくらい開けた。
私は一本目の煙草を吸い終わり、二本目に火をつけた。時がだらだらと過ぎた。大通りでは車のクラクションが不平を言い立てた。赤い大型都市間バスが唸り声を上げて通り過ぎた。交通信号灯が音を立てた。金髪の女は頬杖をつき、眼を覆うように丸めた掌の陰から私を見つめていた。仕切りのドアが開いて、長身の男がステッキといっしょにこっそりと出てきた。手には別の包装された品を持っていた。形からすると大判の本のようだった。机の方に行って金を払った。来た時と同じように店を出ていった。親指のつけ根のところだけで歩き、口を開けて息をし、通り過ぎるとき、横目で私に鋭い一瞥をくれながら。>

ガイガーの店の商売の仕方が克明に記されるところ。マーロウの観察眼の鋭さが遺憾なく示される。ここのところは両氏の訳にも特に異同がない。気になったのは、チャンドラーの言葉遣いで、最初机の上にあった"lantern”が、女が机に戻った時点で”lamp”と表記されていることだ。突然模様替えをするはずもないから、不自然な表記といえる。冒頭、店のウィンドウを埋め尽くす東洋風の意匠に作家自身が引きずられて「ランタン」のイメージが湧いたものの、後になって、そのイメージが消えると、普通の卓上ランプのイメージに取って代わられたのだろう。双葉氏ははじめから「ランプ」の表記で通しているが、村上氏ははじめは「卓上灯」、その後は「ランプ」と、原文に引きずられるように表記を変えている。

店に入ってきた客を原文は”tall bird”と表記している。”bird”は、俗語で人を指すが、あまりいい意味ではないようだ。辞書には「やつ、変人」などの例が載っている。村上氏は「長身の男」とさらりと流しているが、双葉氏はバード(鳥)にかけて、いかがわしい店の常連客らしい男を「背の高いかも(傍点二字)」と訳している。遊び心もあり、作者の俗語表現にこめた意味も伝わってくる上手い訳ではないか。

妙にこそこそしているかと思うと居丈高でもあるかのような男の身ぶりには、隠し事をする男ならではの過剰な自意識が滲み出ている。「親指のつけ根のところだけで歩き」と訳したところ、双葉氏は、「踵をつけない歩き方」、村上氏は「母指球にそっと体重を載せて歩き」と訳している。原文は”walking on the balls of his feet”で、辞書にもそのままの例文が載っている。日本語で言う「抜き足、差し足、忍び足」といったところか。借りた物を返す時は「マーチ」と表現されるようなどしどしと音を立てる歩き方で歩いていたのに、借りてきた物を抱えて帰るときは足音を立てずに歩いている。

すでに評価の定まった名訳があるのに、あえて自分で訳してみたくなる村上氏の気持ちが、自分で辞書を引きながら訳していると、少しずつ分かってきた。旧訳に文句があるというのではないのだ。自分ならどう訳すだろうと考えながら原文を読み、分かり辛い部分は辞書を引く。その作業をくり返していること自体が何より愉しいのだ。シンプルな原文に対し、日本語がそれに対して持つ豊かな対応力のなかで泳いでいるような自由な感じがたまらない。もっと若い頃に目覚めていたら単語を覚えるのも今ほど苦労しなかっただろうに。記憶力が鈍くなってきてから始めたのは、ちょっと残念だ。まあ、誰にせかされているわけでもない。ぼちぼちやっていこうと思う。