marginalia

読んだ本の話や一緒に暮らす猫のこと、それと趣味ではじめた翻訳の話など。

『老首長の国』 ドリス・レッシング

老首長の国――ドリス・レッシング アフリカ小説集
南ローデシア(現ジンバブエ)を主な舞台とした短篇集。ドリス・レッシングはペルシアに生まれ、五歳の時、南ローデシアに家族で移住。そこで三十年過ごした後英国に渡り、作家となる。副題にあるとおり、アフリカに想を得た短篇ばかりを集めているが、なかには到底短篇とはいえない重量感を持つ中篇も含まれており、読み応えがある。アフリカという異郷の大地がもつ魅力と、そこに暮らす肌の色や伝統・文化を異にする人種の軋轢、わざわざ遠いアフリカに渡ってきた移民が抱える葛藤、少年・少女が大人に抱く反撥や不信感、と主題は豊富だ。

まず言えるのは、舞台となっているアフリカの持つ魅力だろう。夜明けの雲の色、日暮れ時のベランダで迎える満天の星空。小丘(カピ)、沼沢地(フレー)、溝(ガリー)、草原(ヴェルト)といった独特の土地形状。レパード、レイヨウなどの魅力的な動物、ジャカランダ、ハイビスカスなどの熱帯の花々。マラリアを媒介する蚊の襲来、といずれをとってもヨーロッパやアメリカ、アジアの小説ではまずはお目にかかれない大自然の底知れない驚異に溢れている。

しかし、そのなかに暮らす人々を語る語り口は微妙である。南ローデシアは英国の植民地から独立を果たし、ジンバブエ共和国となるまで、南アフリカ連邦と同じ、少数者の白人が現地人である黒人を差別・支配する政治体制下にあった。多感な少女期から大人になるまでにその地で経験したことが作家の問題意識に強い影響を与えたであろうことはまちがいない。そこにあるのは人権的な見地からの差別に対する批判というような単純なものではないのだ。

小さい頃は何も思わずにいた白人と現地人のちがいも、学齢に至れば区別ではなく差別であることに気づく。だが、判断力が育ち、そうした土地を選んで入植した両親に対する批判が可能になるまで、我知らず差別的な体制に属していたし今もまだいるという意識が、主人公の心理や思考を複雑なものとし、差別的な社会の中で心ならずも差別する側にあることの苛立たしさ、苦しさを伝えている。

さらに、英国での生活につまづいてアフリカ移民を志願した人々の中にあるコンプレックスと、何としてでも成り上りたいという向上心、異郷で共に不自由な暮らしを続ける隣人たちが抱く共同体意識と、逆に広大なアフリカに来てまで他人に煩わされたくないという気持ちとの対立が、互いに対する批判、陰口、中傷に発展してゆく。大人と子どもの中間地点にいる少女の目を通して、植民地の農場主たちの偽善的な生活実態が暴かれる。

あるいは、成人女性が二人の男性と一つ家に暮らす難しい愛の形がある。男同士は義兄弟であったり、共通する嗜好を持つ友人であったりするが、どちらの男も主人公を愛しながら、男同士のつながりを切ることができない。危うい均衡を保っての三角関係は、いつかバランスを失い危機が訪れる。ドリス・レッシングが描く女性は独立心が強く、男を頼りにしない強さを持つが、そういう女に魅力を感じる男がいつも複数になるのは、植民地という特殊事情のせいなのだろうか。

白人女性と結婚しない男は性欲の処理のため現地人と関係を持つ。自分の片腕と頼む老人の若妻とも知らず関係を持ったことで、女を死なせてしまった男は、女を殺した豹(レパード)を見つけると殺さずにいられなくなる。戦争の英雄であった男の心のなかにあるヒリヒリするような虚無感を描いた「レパード・ジョージ」は、主人公ジョージの人物造型が巧みでいつまでも心に残る。主役にショーン・ペンを思い浮かべながら勝手に脳内で映画化してしまった。

周りの農場主の言うことを聞かず、自分の思うやり方でトウモロコシを作って行き詰まり、起死回生をねらって金鉱探しを始める夫と、それに批判的な息子の間に立って頭を痛める妻を描く「エルドラド」。自分を無視する父親の代わりに教えを乞うた金鉱堀りの男と息子はついに父の探しそこねた金鉱を発見するのだが、それを知った父はどうしたか。この父親の何かに獲りつかれたような熱中ぶりが凄まじい。

父の雇い主である独身者マッキントッシュに可愛がられて育ったトミーには混血児のダークという親友がいた。しかし、成長するにつれ二人は互いの置かれた環境の差が原因で喧嘩をくり返す。トミーはダークに勉強を教えるうち、ダークが自分より勉強ができることに気づく。実はダークはマッキントッシュが現地人に産ませた子だった。トミーはマッキントッシュに、ダークを大学に行かせることをすすめる。めずらしく後味の爽やかな佳篇。特にマッキントッシュの人物像が魅力的で、とんでもない男なのになぜか憎めない。

アフリカを舞台にしているが、出てくるのはせいぜいがブッシュや草原で、アフリカと聞いて冒険を期待する読者には向いていない。しかし、人物の造型はしっかりしていて、心理描写はたしか、会話も生き生きしてどれもじっくりと読める。読んでいる間、ずっと当時の南ローデシアの地にいて、怖いほどの静寂の中に響く鳥の声や虫の声を聞いているような気がした。