marginalia

読んだ本の話や一緒に暮らす猫のこと、それと趣味ではじめた翻訳の話など。

『奇跡なす者たち』 ジャック・ヴァンス

奇跡なす者たち (未来の文学)
SFの持つ面白さにもいろいろあるが、一つには時空間や次元を超えた世界や文明を持ち出すことによって、今ある世界や文明に対する批判が容易にできることがある。しかし、想像力にも限界があって、批評する側が当然視してしまっている文化のようなものは案外スルーされてしまうものだ。だから、太陽系を遠く離れた宇宙や何万年も先の未来を舞台にしてみても、そこに登場する人間や宇宙人は、我々とよく似た考えや行動をするし、世界の構造も今ある世界と極端に異なっていたりはしない。逆に、あまりにもかけ離れた世界を想定したとして、自分たちと似ても似つかぬ存在の引き起こすあれやこれやに興味を引かれることはないだろう。我々は、見慣れた世界の枠組みはそのままにしておき、一部が異なる設定の中に置かれて一喜一憂する人間の姿を面白がっているのだ。

だから、すべての人が仮面を着けて暮らし、他者とのコミュニケーションの手段として幾つもの楽器を奏する者たちが暮らす星を舞台とする「月の蛾」のような小説を読んでも、別に面食らったりしない。たとえ、装着する仮面がその日の気分によってちがったり、相手との関係性によって的確な楽器を選ぶことができないと、気まずいどころではなく、身に危険が及ぶことになる惑星シレーヌのようなところであっても。ジャック・ヴァンスは、ジャズミュージシャンになろうと思ったことがあるらしいから、楽器の持ち替えというアイデアの出所も分かる。世界中を旅し、様々な職業に手を染めた経歴から、自分とは異なる文化慣習を持つ人々とコミュニケーションをとる難しさとともに、その面白さも充分すぎるほど理解していたにちがいない。

典型的なアメリカ人にとっては、感情をあまり表面に出さず、相手との関係性のちがいによって言葉の使い方を常に変化させ、何よりも体面を非常に気にする文化を持った民族――たとえば日本人のような――と接するのは、ほとんど別の星の生物と話すようなものなのかもしれない。「月の蛾」を読んでそう思った。尊敬語に謙譲語、丁寧語、と同じ内容をいくつもの言い回しで異なる表現を使用する日本の「敬語」は、ある意味、相手によって別の楽器を使い分けているのかもしれない。顔に被る仮面も、自分が人からどのように思われ、どれくらいの物を身につければいいか、身分相応というか、相対的な価値観で選ぶ、この若干面倒臭い気遣いにも身に覚えがある。この短篇集を読んだ日本の読者の多くが「月の蛾」を激賞するのもそのせいではないだろうか。異なる文化が持っている差について敏感な作家である。

千六百年前、宇宙に戦争があり、拠点を破壊された船団の船長たちが惑星に非難してきた。新来者である人類は先住者である<先人>を森へと追いやり、長い時間をかけて大城砦を築き上げ、そこに宇宙船から取り外した火砲を据え、惑星を支配する。表題作「奇跡なす者たち」は、呪師を擁する二つの陣営の闘い、とその後に起こる<先人>との戦いを描いた作品。人類同士の戦いは、一種の憑依体験を使って、バーサーカー状態にされた兵士同士の戦闘によって決着がつけられる。この場合重要なのは、人間が感情や心理、精神を持った存在であることで、呪師はそれを使って戦わせる。ところが、<先人>が使用するのは蜂やダニといった虫や落とし穴のような罠である。偉大な呪師も虫相手には力を発揮できず、人類は苦戦する。それを救ったのが、見習い呪師のサム・サラザールだった。科学が退潮し、魔法が台頭している未来において、初歩的科学が息を吹き返すというひとひねりが効いている。

中篇「最後の城」も、舞台設定は表題作によく似ている。地球へ帰還した人類は他の星から連れてきた奴隷や農奴を駆使して巨大な城を築き、ようやく栄華を誇れるようになった。ところが、機械の扱いはじめ、生活手段のほとんどを頼っていた奴隷階級メックが反乱を起こしたことで、貴族的な階級である人類が追い詰められてゆく様子を描いている。日本の伝統社会の様式的主従関係をヒントにした社会制度である氏族の当主の性格や嗜好、能力等の特徴が的確に描き分けられ、会議の場における主張のちがいによって選択する進路に差ができる。迫りくる敵を前にして、城に残る者、城を去る者、それぞれの運命が分かれる。中篇らしく人物像を丁寧に描いているので、主要な人物に陰影が生まれ、読んでいて心躍るものがあった。『三国志』を読んでいるような感じといったら分かってもらえるかもしれない。

表題作も、この中篇もそうだが、戦いは壮絶でありながら、憎悪や怨念というネガティブな感情が感じられない。ぶつぶつ言いながらも主人公を乗せて飛ぶ巨鳥もそうだが、どこかのどかなヒューモアが感じられる。戦いの終わり方も同じで、敵を殲滅して終わるという破壊的、終末論的な決着の仕方を選ばない。話し合いによる和解の道を探るという方法論を大切にする作家の考え方に強い共感を覚えた。古い物では50年代の作品も含まれているが、全然といっていいほど古びていない。むしろ、この殺伐とした時代にこそ読みたくなる先見性すら感じられる。コアなSFファンでなくとも充分楽しめる、読みどころの多い魅惑的な短篇集である。