marginalia

読んだ本の話や一緒に暮らす猫のこと、それと趣味ではじめた翻訳の話など。

『悲しみのイレーヌ』 ピエール・ルメートル

悲しみのイレーヌ (文春文庫 ル 6-3)
『天国でまた会おう』のときにも、そう感じたのだけれど、ルメートルという作家は気質的に残酷な話が好きなのかな、と思ってしまう。何人かのレビューに、『その女アレックス』より先に、こちらを読むべき、とあったので、その言に従ったのだが、タイトルが気になった。原題どおり「丁寧な仕事」とした方が良かったのではないか。『その女アレックス』が売れたので、未訳の第一作を後から出すことになり、女性の名前つながりで行こうと考えたのか、アレックスを読んだ読者なら、この題名がいい、と思ったのか、おそらくそんなところだろうけれど、配慮に欠けるやり方だ。

ミステリもこれだけ書かれてくると、トリックや動機もたいてい出つくした観がある。後から参入する新人としては、それまでにないまったく新しい仕掛を考え出さなければとても読んではもらえない。それで、犯人の動機や叙述の仕方に新味を出そうと、頭をひねった結果、こういったケレン味の強い作品が生まれることになる。仕方のないことかもしれないが、ストレートに書いてもけっこう読ませる筆力を持っている作家なのに、どんでん返しや叙述トリックが売り物になるのは残念だ。それとも、読者はやはり新奇なアイデアに飛びつくものなのだろうか。

解説者も作品紹介に手を焼いているように、少しでも内容にふれるとネタバレを起こしそうになるので難しいのだが、殺害方法が残酷である点には理由があり、ミステリ好きならそこは許容するしかない。何故そんなにも手の込んだ仕事をしなければならなかったのか。あなたが海外ミステリのよき読者であったなら、分かるように書かれている。それほどの数を読んでない評者のような読者にはとても無理な話だが。

探偵役を務めるのはパリ警視庁の警部カミーユ・ヴェルーヴェン。身長145cmの小男ながらなかなかの切れ者で、犯罪捜査部班長として個性溢れるチームを率いる。妻イレーヌは妊娠中であり、フランスの男らしく、難事件の捜査中でも妻に対する心配りを忘れないでいたいのだが、今回の事件は残虐で時間がかかりそうだった。二人の若い娼婦が体をバラバラにされたあげく、壁に血文字で「わたしは戻った」と書かれていたのだ。映画撮影用という名目で借りた部屋の壁紙や家具は新調されており、金がかかっている。殺人目的でそんなところに金をかける必要があるだろうか。しかも、殺人事件は一件ではなかった。同じ犯人によるものと思われる事件が他にも見つかり、カミーユは対応に追われる。

小説は二部仕立てで、紙数の大半は第一部に割かれている。カミーユの身長に対するコンプレックスや大富豪の息子でルックスも知力も兼ね備えたルイ、浪費家と吝嗇家という好対照のマレヴァルとアルマンといった部下の紹介が、小気味よいテンポで語られ、事件解決まで一気に突き進んでゆく。残虐な事件を描く部分と人間関係の機微を描く部分がほどよいバランスを保ちながら綴られているので、事件の陰惨さに滅入り、後が読めないということはない。シリーズ化しようという思いが透けて見えるような、登場人物間の関係も、連続テレビドラマを見るような人物紹介の仕方で切れ味のよさを感じさせられる。

問題は、叙述の方法にある。クリスティの『アクロイド殺し』を面白いと思えるか、フェアじゃないと感じるかで評価が分かれるように(ちなみに本作の中では傑作と評価されている)、それまでは読者が疑うこともしなかった記述者という設定をどう受けとめるかだろう。確かに、意表をつかれたが、なるほど、と感心もした。こんな手があったか、という感じである。犯人探しをする上で、ヴァン・ダインやノックスが謳った古典的な原則からみても何の問題もないし、伏線も用意されている。さりながら、裏切られたという思いが付き纏うのはどうしようもない。

シリーズ物の第一作である。当然、次の作品はこの人物設定で書き続けてゆくことになると思われるのだが、そうなるといささか厄介な事情が介在することになる。そのあたりの問題は、読まずにおいた第四作『その女アレックス』が解消してくれるのだろうか。やはり、著述順に、第二作『死のドレスを花婿に』を先に読んだ方がいいのだろうか。いや、どれだけ読んでみても、このもやもやは解消しないだろう。発表当時、内容の残酷さが問題になったそうだが、それよりも作中人物の人物像を判断停止させてしまう叙述の方が余程罪が深いように思われるのだが。どうだろうか。