marginalia

読んだ本の話や一緒に暮らす猫のこと、それと趣味ではじめた翻訳の話など。

『ホワイト・ティース』(上・下) ゼイディー・スミス

ホワイト・ティース(上) (新潮クレスト・ブックス) ホワイト・ティース(下) (新潮クレスト・ブックス)
「おれたちの子供はおれたちの行動から生まれる。おれたちの偶然が子供の運命になるんだ(十八字分傍点)。そうさ、行動はあとに残る。つまりは、ここだってときに何をするかだよ。最後のときに。壁が崩れ落ち、空が暗くなり、大地が鳴動するときに。そういうときの行動がおれたちの人間性を明らかにするんだ。そしてそれは、おまえに視線を注ぐのがアッラーだろうがキリストだろうがブッダだろうが、あるいは誰の視線も注がれていなかろうが、関係ないんだ。寒い日には自分が吐いた息が見える。暑い日には見えない。でもどちらの場合も息はしてるんだ(七字分傍点)」

ベンガル人のサマード・ミアーには学歴があったが、従軍中の事故で右手が不自由なため、やむなく従兄弟の店でウェイターをしている。サマードは、敬虔なムスリムとして生きたいと思いながらも飲酒や手淫、浮気といった罪から逃れられない。アーチーはイギリス風朝食と日曜大工を愛する白人。優柔不断で、何かを決める時にはコイン投げに頼る。イタリア人の前妻に逃げられ、自殺を試み失敗した後、コミューンで出会ったジャマイカ出身の美しい黒人娘クララと再婚した。第二次世界大戦の終末を遠い異国で共に迎えた二人は、女房そっちのけで、始終オコンネルズというアラブ人が経営するカフェで顔を突き合わす毎日。

いろいろな国からやってきた移民が集まるロンドンの一地区で暮らす二組の家族に、もう一組ドイツ・ポーランド系のリベラルなチャルフェン一家がからんで起きる家庭騒動を、コミカルななかにも辛口の諷刺を利かせた、とびっきり愉快な英国流風俗小説である。移民にはそれぞれ異なるアイデンティティがある。宗教がちがえば、夫婦関係のあり方や子育ての仕方も異なる。そこから生じる実に様々な齟齬が、ほとんどマンガチックと思えるほど戯画化され、極端から極端に走る子どもたちの行動が、英国だけにとどまらない、信仰と科学、イデオロギーの衝突といった諸々の現代的な問題を引き起こす。

ジャマイカ系のクララは「エホバの証人」の熱心な信者である母を嫌い、ヒッピー仲間のコミューンに逃げ込んでいてアーチーと出会った。母は、今でもランベス自治区でクララのかつてのボーイフレンドであったライアン・トップスと布教活動を共にしている。そのライアンの計算によれば、世界の終りは一九九二年十二月三十一日に訪れる。二人はクララの娘アイリーにそのことを警告する電話を何度もかけてよこす。

サマードの双子の息子、マジドとミラトは二人とも類い稀な美貌の持ち主だ。ただ、それ以外は正反対。成績良好でイギリス人たらんとする学者肌のマジドに比べ、弟のミラトはマフィア映画にかぶれ、デニーロやパチーノの真似をし、ギャング仲間を引き連れて歩く不良少年だが、やたらと女性にもてる。ファミリーという集団に固執するミラトはイスラム系の過激な集団KEVINと行動を共にするようになる。同じ頃、チャルフェン家の当主マーカスの秘蔵っ子となったマジドは大晦日に行なわれる科学イヴェントに向けて準備を進めていた。

遺伝子工学で癌細胞を移植したマウスの公開実験を目的とするイヴェントは、神の意志に背く行為として反対を唱えるエホバの証人やKEVINの他に、動物愛護を唱える団体FATEからも攻撃されていた。そこには運動を主催する女性に魅かれて仲間になったマーカスの息子ジョシュアもいた。こうして、三家族の子どもたちがそれぞれの立場から、マーカスとマジドのイヴェント阻止に向けて一気に行動を起こす。

自分たちの主義主張が正しいと信じて行動に飛び込んでゆくのは、若者の特権のようなものだが、自分たち以外の人間の思想や信仰、慣習を認めない不寛容さは、多様性を認めない窮屈な世界を現出してしまう。大人になれば、その性急さも理解でき、一歩離れた位置から見直すこともできる。一概に愚かしさを責めるのではなく、カリカチュアライズすることで、相対視させるのが、ゼイディー・スミスの真骨頂だ。

笑われているのは若者だけに限らない。カルト的な宗教者やタコツボ的な視野でしか周りが見えない科学者、せっかくイギリスでの生活を選びながら生国の縛りから抜け出せずにいるサマードのような移民たちも同じだ。それらをいかにも滑稽に描いてみせるが、上から目線で見るような意地の悪いものではない。自身英国とジャマイカ生まれの父母を持つスミスの視線には心ならずも移民となった世代に寄せる愛情がこめられている。

自在に回想を挿入し、時代や空間を自由に行き来するスミスだが、収拾がつかないほどこんがらがっていた多くのエピソードが次第に一点に集まってきて大団円を迎える展開は、しっかりしたプロットあってのことである。多少あざとくも見える結末のつけ方も、巧妙に張りめぐらせた伏線のせいもあって、不自然さを感じさせない。これが大学在学中の作品だというからその才能の豊かさには驚くよりほかはない。なにより、アーチーやサマードをはじめとする中年男性のセックスその他のどうしようもない生態が、あからさまにされているところに驚きもし、感心させられる。うら若い女性作家の筆になるとは到底思えない。こうした才能が歳を重ねたらどんな作品を書くのだろう、と末恐ろしくも楽しみなことである。