marginalia

読んだ本の話や一緒に暮らす猫のこと、それと趣味ではじめた翻訳の話など。

『四人の交差点』 トンミ・キンヌネン

四人の交差点 (新潮クレスト・ブックス)
フィンランド北東部の村で暮らす家族四代の1895年から1996年にわたる世紀をまたぐ物語。その間には継続戦争と呼ばれる対ソ戦とその後のヒトラーによる焦土作戦や物資の欠乏に苦しめられた戦争の時代をはさむ。助産師として自立し、女手一つで娘ラハヤを育てたマリアは、一軒の家を買うと蓄えた金で次々と家を増築していった。戦争でその家が焼かれると、娘の夫となったオンニは、家を再建し、湖を臨む土地に新たに家を建てる。

人生は建物だと、マリアは思っている。多くの部屋や広間を持ち、それぞれにいくつもの扉がある。誰もが自分で扉を選び、台所やポーチを通り抜け、通路では新たな扉を探す。正しい扉も、間違った扉も、ひとつとして存在しない。なぜなら扉は単に扉でしかないからだ。時には、初めに目指していたのとまったく違う場所にいることに気づいたりもする。

増築に次ぐ増築で長屋のように横に細長い平屋の家の主であるマリア、戦争から帰還したオンニが建てた地下室や屋根裏部屋のある二階建ての家の主であるラハヤ、そして姑が実権を握るその家に圧迫を感じ、舅が建てた湖のそばの夏小屋を愛するカーリナという三人の女の、これは家と家族をめぐる年代記でもある。

フィンランドという北の国の中でもさらに北方にある起伏のある森に囲まれた小さな村が舞台。人々は旧弊で、男は女の体のことなど考えず、次々と子どもを孕ませる。しかもどの家でも助産師など呼ばず取り上げ女に任せていた。女たちは相次ぐ妊娠で体を弱らせ、難産で母子ともに死ぬことも多かった。そんな中、マリアは懸命に力を尽くし、無駄な妊娠を避けるよう説得し、女たちの信頼を得てゆく。二百キロも離れた町にある店に注文した自転車を馬車でもらい受けに行き、帰りには乗って帰るという進取の気性に富む娘だった。

この小説に登場する女性たちはみな強い。男に頼ることなく自立し、周囲からどのように見られても超然と生きている。その一方で、感情が激すると、洗い桶は投げつけるし、皿は叩き割る。手にした猫は壁に叩き付けて息の根を止める。反対に男のオンニは、家族思いで、子どもにも大人と同じように接するよき父親である。自分の子ではないアンナにもわけへだてのない愛を注いでいる。そのオンニが戦争から帰って以来、妻と夜を共にしなくなった。夫婦の間にできた距離は次第に広がり、ラハヤはマリアから見ても無慈悲な女になる。

いったい、オンニに何があったのか、というのがこの小説を前へ前へと進ませてゆく推進力になる。小説は四人の視点で語られる。時系列は、それぞれの視点人物の中では一貫しているが、人物が交代するごとにもう一度過去へと戻り、少しずつズレを含んで繰り返されることになる。同じ場面、あるいは前後する場面が、異なる人物の視点から語られることで、出来事の意味がまったくちがって見える。それまでは意味不明であった手紙の内容や、記憶の断片が少しずつ姿を現し、最後のピースが嵌められることで夫婦の不和、ラハヤの非情を生んだ原因が明らかになる。

秘密をかかえているのは、一人だけではない。マリアはラハヤに、ラハヤはオンニに、オンニはラハヤに対し、決して口にすることのできない秘密を胸にかかえ込んでいた。マリアが家を増築し、オンニが次々と家を建てていったのは、秘密を抱え続けるという息の詰まる事態に耐えるために、家族の中にあっても一人でいられる部屋を必要としたのではないか。そこにいさえすれば、息がつける、そんな部屋が。

ハンサムで人当たりがいいオンニの秘密は、出会ったときからラハヤに明かされていた。はじめ、そこでひっかかって変な気がしたのだが、オンニの良き父親ぶりを見ているうちにいつの間にか忘れてしまっていた。あれが伏線だったのだ。とはいえ、どんな鈍感な読者でもオンニの秘密はだいたい見当はつく。最後までわからないのは、ラハヤのかかえる秘密である。嫁と姑の中がうまくいいかないのは、よくあることだが孫に背を向けられる祖母というのはめずらしい。

ラハヤの人を寄せつけない性格が他人をしてそうさせるのだ。ではなぜラハヤはそんな非情な性格になってしまったのか。誰にも言えない秘密をずっと心の中にかかえてきたからだ。終章でようやくそれが明らかになる。読者は、そこを読み終えると、あわてて冒頭に置かれた「一九九六年 病院」のページを繰る。再読して初めてそれが何のことだったのか分かる。本当の終章は冒頭にある「一九九六年 病院」の章だったのだ。

森と湖の国、フィンランドという一昔前の観光用コピーを覚えているが、フィンランドと日本にはもっと生臭い因縁もある。第二次世界大戦勃発当時、フィンランドは日本がソ連と戦端を開くことを強く期待していた。そうなれば、ソ連は西に侵攻するだけでなく東へも戦力を向ける必要に迫られる。しかし、日本は日ソ不可侵条約を結び、アメリカとの戦いに勢力を傾注した。フィンランドは日本を恨んだにちがいない。この小説の背後にはそんな歴史も潜んでいる。

川沿いに建つ小屋で浴するサウナをはじめ、セルフビルドによる家作りなど、森と湖の国フィンランドならではの風物が、ともすればぎすぎすした家族間の諍いに傷んだ読者の心を優しく撫でてくれるようで、ずいぶん助けられた。