marginalia

読んだ本の話や一緒に暮らす猫のこと、それと趣味ではじめた翻訳の話など。

『堆塵館』 エドワード・ケアリー

堆塵館 (アイアマンガー三部作1) (アイアマンガー三部作 1)
暗雲立ち込める空の下、塵芥の山の上にそびえたつ城のような館を背に、沈鬱な表情を浮かべた半ズボン姿の少年が懐中時計状のものを手にして立つところを描いた表紙画が何ともいえない味わいを出している。著者自身の手になるものだそうだ。アイアマンガー三部作と銘打ったシリーズの第一巻。表題はディケンズの『荒涼館』を意識したのだろう。貧しい人々が生きていくために屑拾いをし、親を亡くした孤児が売り買いされるロンドンの街外れを舞台に、まさにディケンズ張りの世界を描く。

主人公のクロッド・アイアマンガーは、堆塵館という大きな館に住むアイアマンガー一族の一員。先祖のセプティマスは土地を持たない屑拾いからはじめ、屑山に捨てられた不用品の中から金目の物を探し、他人の借財を買い集めて財を成した。その資金を元手にロンドン中のゴミの山を一か所に集めたのがここ、フィルチングだ。アイアマンガー家の力が大きくなるにつれ、人々はそれをそねみ、憎んだ。一族を不浄の者と蔑み、フィルチング区の壁の中に閉じ込め、区外へ出ることを禁じた。

アイアマンガーの者は、人々が見捨てた物、壊れた物、汚れた物に愛情を注いだ。それは自分たちと同じ臭いがするからだ。そして、屑の山の上に、ごみの中から使えそうな扉や窓枠を探し出し館を建てるに至った。それが地上六階、地下五階に及ぶ広大な堆塵館だ。地下にはロンドン直通の蒸気機関車が走り、騾馬を動力とする昇降機を備えた近代建築でもある。地上には純血種のアイアマンガー一族が暮らし、地下には、どちらか一方の親がアイアマンガーの血を引くものが、純血のアイアマンガーたちの世話をする役として雇われ、居住している。

水平的平面では、その職業に対する差別意識によって、他のロンドン市民から差別され、隔離されているアイアマンガー一族は、垂直的には、地上階と地下階で、支配する者と隷属する者とに二分されている。同じ地下にあっても、執事や家事頭には名前があるが、下働きの女たちは館に来るまでは所有していた固有の名前を取り上げられ、ただアイアマンガーと呼ばれることに甘んじなければならない。事ほど左様にこの物語は差別被差別、支配被支配の関係の上に成り立っている。

アイアマンガーの支配するフィルチングには、ロンドン市内でやっていけなくなった貧しい者、病人、罪人、借金取りに追われる者、異国の者が集まってきた。彼らはごみの選別の仕事を与えられたが、そのうち奇妙な病気が流行り出した。それに感染すると人が物化するのだ。それはやがて区外にも派生し出した。壁近くに住んでいたルーシーの両親もその病で死に、ルーシーは孤児院に入れられた。ところが、親のどちらかがアイアマンガーの血を引いていたらしく、ルーシーは館に迎え入れられ暖炉係として働くことになる。

ディケンズの小説で描かれているように、当時のロンドンの下層階級に位置する人々の暮らしは貧しく悲惨なものだった。ルーシーは、その階級を代表するヒロインだ。一方、市民からは白眼視されながらも、経済的には富裕層である純血のアイアマンガーであるクロッドは、上流階級とはいわぬまでも中流程度の階層に位置している。この二人の身分ちがいの恋が、主題になっている。階層社会がそれなりに保たれるのは、互いの不干渉が前提である。そこに亀裂が走れば、あとは革命まで一直線だ。

物語は、当然のように二人の出会いに始まり、禁忌の侵犯があり、安定していた構造に揺らぎが起こる方向へ動き出す。そのための仕掛けが、「誕生の品」と呼ばれるものである。アイアマンガー一族が、人が物化してしまう病気から免れているのは、誕生すると同時に、贈られる「誕生の品」をいつも身近に置いておくことにある。まあ、言ってみればお守りのようなものだ。屑の中から選ばれるそれは、蛇口であったり、浴槽の栓であったり、というものだが、ロザマッド伯母の誕生の品であるドアノブが紛失したことが、アッシャー家ならぬ堆塵館の崩壊の契機となる。

誕生の品には、それぞれ名がついている。たとえば、クロッドの誕生の品である栓は、ジェイムズ・ヘンリー・ヘイワードという。一族の中で、誕生の品の名前やその他の物の話す声が聞こえるのは、イドウィド伯父を除けば、クロッド一人だった。いつも家族から疎んじられているクロッドには「聴く人」の力が備わっていたのだ。みじめな少年が異界からやってきた王子様ならぬみすぼらしい孤児の力を借りて、輝かしい騎士に変容する。このあたりのみそっかすがヒーローに変身するあたり、典型的な昔話のスタイルである。もともと児童向けに書かれた絵入り小説らしく、堆塵館に吹きつのる嵐の中、物たちが反乱を起こす場面など、血沸き肉躍る痛快冒険小説のノリで、手に汗握る展開はまるで映画を見ているよう。

いわゆる幻想小説を期待すると、ちょっとちがうかな、という気にさせられるが、見捨てられたものが力を結集して群体を作るという発想など、手塚治虫の『鉄腕アトム』にあったエピソードを思い出した。口髭用カップが走り出すのにつられて、いろんな物が次々と命を授かったように動き回るあたり、日本の付喪神を髣髴させる。屑となった物や、社会から振り落とされ、無用の烙印を押された者を支配する頂点に立つアイアマンガー一族の長である祖父を向こうに回して、虐げられた者や物の側に立つクロッドとルーシーがどう闘うのか、次巻の刊行が待たれる。