marginalia

読んだ本の話や一緒に暮らす猫のこと、それと趣味ではじめた翻訳の話など。

『人みな眠りて』カート・ヴォネガット

人みな眠りて
2014年に出た『はい、チーズ』の訳者あとがきに、もう一冊未発表作品集があると紹介されていて、首を長くして待っていたのがやっと出た。カート・ヴォネガットの短篇集である。『スローターハウス5』で有名になる前、1950年代にスリック雑誌(光沢紙を使った高級雑誌)に寄稿していた短篇のなかに、雑誌に載らなかったものが結構な数で残っていた。それをジャンル別に編集し、SF、ミステリ等を集めたのが『はい、チーズ』。ボーイ・ミーツ・ガール物やO・ヘンリー風のショート・ストーリーズ等を集めた姉妹編が本作ということになる。

新妻ナンシーに似せて作られた精巧なジェニーは、天才技術者ジョージの自信作。会話はおろか歌うことさえできる。片時もジェニーと離れていることができなくなったジョージは、ついに家も会社も後にして販促の旅に出た。もちろんジェニーをトラックに載せて。自分の創作した人形に夢中になるピグマリオン・コンプレックスの男を描く「ジェニー」。妻より、自分の理想に近い機械仕掛けの女を選んだ男は、年に一度だけジェニーを新しい筐体に移し替えるため本社を訪れる。

その筐体というのが、何と電気冷蔵庫!ジェニーのソフトラバー製の顔は冷蔵庫の扉についているのだ。体は冷蔵庫でも、ジョージと会話している時のジェニーは、誰の目にも素敵な女性に見え、二人は似合いのカップルに見える。別れた妻からジョージに死ぬ前に一度会いたいという知らせが届く。トラックは一路本社へと向かう。歳をとらないジェニーとちがい、ナンシーは病み衰えていた。冷蔵庫に恋した男の下した決断とは?愛というものの持つ不可思議さをとことん追求した一篇。機械と人間の交わす眼差しが切ない。

タイトルが讃美歌の歌詞から採られていることから分かるように、表題作はクリスマス・ストーリー。新聞社の敏腕社会部長ハックルマンはクリスマス嫌いで通っていた。その彼がある年のクリスマス、イルミネーション・コンテストの審査をする破目に。その年の一番は、皮肉なことに元ギャングのボスが金に飽かして作らせた物になりそうだった。ところが、本番直前聖家族の石膏像が盗難に遭う。

「クリスマスに対してだけではなく、政府、婚姻関係、ビジネス、愛国主義他、ほとんどすべての慣行に対して敬意を欠いているように見え」るハックルマンの「理想と言えば、簡潔な記事前文(リード)、ミスのないスペル、正確性、それに人類の愚行を報じる迅速性」だ。いいねえ。この現実認識と仕事に対する潔癖さ。クリスマス・ストーリーの定番と言えば、この手のすれっからし男の心を変容させることだが、果たしてハックルマンは?最後のオチにミステリ風味が塗されているのがニクい。

アルチザンとして裕福な暮らしをしている画家と売れないアーティストが、双方の妻のプライドの衝突(つまりは口喧嘩)のとばっちりを受けて、相手が得意とする主題の絵を一晩で描き上げるという勝負をさせられる。実は風景画を得意とするステッドマンも、抽象画しか描かないラザロも、互いに自分はペテン師である、と思っていた。真向かいに店を出す相手の方こそ本物の画家だとひそかに思っていたのだ。さて、その晩、二人は絵筆を手にしても、結局いつもの自分の絵しか描けない。途方に暮れた二人は、上手い手を思いつく。その秘策とは?

O・ヘンリーの『賢者の贈り物』を彷彿させる、よくできた話。この時期のヴォネガットは雑誌に合わせて、趣の異なる短篇を量産する職人作家だった。自分の書きたいと思うものより、相手の望むものを書く。それも実に巧みに。それは、主人公のステッドマンに似てはいまいか。ステッドマンは、画布に一筆走らせると、雲になり、白樺の樹になる。素人目には魔法のようだが、本人はそれが修練の賜物だと知っている。自分にはいくら頑張ってもラザロのような見る者の魂を掴んで放さない絵は描けないと思っている。

一方、ラザロはと言えば、評論家には褒められても一向に売れないのは自分の絵が独りよがりで、いくらあがいてもそれしか描けないことに業を煮やしている。この二人の仕事に対するディレンマは、クリエイターなら誰しも感じることがある煩悶ではないか。売れたらそれでいい、というものでもなければ、自分にしか書けないものさえ書いていれば売れなくてもいい、などということもない。

どんなジャンルでも苦も無く書ける才能の持ち主であるからこその贅沢な悩みを二人の画家に託して弁証法的な解決に導くという離れ業。この他にも、超絶技巧を凝らし、意表を突く短編が十三篇。『はい、チーズ』の時も思ったのだが、どうしてこれだけの水準の作品が雑誌未掲載なままで残っていたのだろう。当時の雑誌の水準がよほど高かったのだろうか。それとも、よく似たアイデアの作品と競合したのだろうか。いずれにせよ、こうして読めたのだから良しとしよう。全編にほのかに淡くあたたかな50年代のテイストが感じられる至福の短篇集。

最後に訳者に一つ疑問を。「ジェニー」の値打ちを22ページではジョージに「二十五万ドル」と言わせ、25ページでは「ジョージの言う二千五百万ドル」と書いているのは如何なる理由によるものか。何度読んでも真意がつかめなかった。「賢臓(キドリー)のない男」の中で、腎臓(キドニー)を「キドリー」と言いまちがうところに「賢臓」という卓抜な訳語をあてる訳者のことだ。何か理由があるのか、と勘ぐってしまう。単なる誤植ならそれでいいのだが。