marginalia

読んだ本の話や一緒に暮らす猫のこと、それと趣味ではじめた翻訳の話など。

『大いなる眠り』第七章(2)

《部屋の片端の低い壇のような物の上に、高い背凭れのチーク材の椅子があり、そこにミス・カーメン・スタンウッドが、房飾りのついたオレンジ色のショールを敷いて座っていた。やけに真っ直ぐに座り、両手は椅子の肘掛けに置き、両膝を閉じていた。背筋をピンと伸ばした姿勢はエジプトの女神のようだ。顎は水平に保たれ、両の唇の割れ目から小さな白い歯が輝いていた。両眼は大きく見開かれていた。暗灰色の虹彩が瞳孔を呑みこんでいた。狂人の目だった。彼女は意識を失っているように見えたが、気を失った者のとる姿勢ではなかった。心の中では何か重要な仕事を立派に遂行中であるかのようだった。口からは耳障りな含み笑いが漏れていたが、表情が変わることも唇が動くこともなかった。》

初めの文で、双葉氏が「チーク材の」という部分をカットしているが、それ以外は問題のない訳だ。同じく双葉氏、「暗灰色の虹彩が瞳孔を呑みこんでいた」のところを「瞳の灰色が、まつげをにらむみたいに上向いていた」と訳しているが、意味がよく分からない。因みに原文は<The dark slate color of the iris had devoured the pupil.>。<iris>は植物のアイリスではなく「虹彩」、<pupil>は中学では「生徒」と習ったけど「瞳、瞳孔」、<devour>は「貪り食う」の意味だ。

薬物の過度の接種によって「縮瞳」が起きていることを、マーロウは見て取ったのだろう。瞳孔が収縮している状態を「虹彩が瞳孔を呑みこんでいた」と表現したのだ。例によって村上氏は< dark slate color>を「粘板岩のような暗色の」と「粘板岩」にこだわって訳している。<slate>はもちろん粘板岩のことだが、「暗い青味がかった灰色」という色を表す意味もある。目の色を表すのに粘板岩を持ち出さないではいられない、このあたりのこだわりが村上訳の面目躍如たるところか。

最後のところ、双葉氏の訳では「口からは小さな笑い声みたいな音がもれていたが」、村上氏の訳は「口からは浮わついた含み笑いが聞こえたが」となっている。原文を見てみよう。<Out of her mouth came a tinny chuckling noise>の部分だ。はじめは双葉氏と同じように「小さな」と訳してしまった。<tinny>を<tiny>と読みちがえていたのだ。<tinny>は<tin>(スズ、ブリキ)から「スズのような」、「ブリキのような音のする」「(金属製品が)安っぽい」というような意味がある。

双葉氏の訳は<tinny>を<tiny>と読んだのだろうと推測できる。村上氏の方は「安っぽい」という意味からの「浮わついた」という訳ではないか。ただ、スズメッキを安っぽく見せているのは、主に視覚からくるのであって、聴覚の方でいうなら、「ブリキのような音のする」(不快な、耳障りな)の意をとるのが順当ではないだろうか。

《彼女は細長い翡翠のイヤリングを着けていた。見事なイヤリングで、おそらく二百ドルはくだらない。それ以外は何一つ身に着けていなかった。》

双葉氏の訳は「彼女は両耳に細長いひすいの耳飾りをつけていた」。この「耳飾り」という訳語が賞味期限切れ。どんな名訳も、流行に関する語彙は、十年も経てば錆が出てくる。経年劣化というやつで、どうしようもない。村上氏が、自分の好きなチャンドラーの小説をいつまでもピカピカにしておきたくて、錆取りをしたくなる気持ちがよく分かるところだ。

<She was wearing a pair of long jade earrings. They were nice earrings and had probably cost a couple of hundred dollars. She wasn’t wearing anything else.>。「彼女は細長い翡翠のイヤリングを着けていた」を「見事なイヤリングで、おそらく二百ドルはくだらない」という肯定的な価値判断を間に挟んで「それ以外は何一つ身に着けていなかった」という、同じ単語<wearing>を使い、その否定形で受ける。この鮮やかな対句表現を使ったスタイルがチャンドラーの文章だ。