marginalia

読んだ本の話や一緒に暮らす猫のこと、それと趣味ではじめた翻訳の話など。

『大いなる眠り』註解 第七章(8)

《私は部屋の裏にある廊下に入って家の中を調べた。右側に浴室が、背面に鍵のかかったドアと台所があった。台所の窓はこじ開けられていた。網戸はどこかに消えており、留め金が引き抜かれた痕が見えていた。裏口のドアは鍵が掛かっていなかった。それは放っておいて廊下の左側にある寝室を見た。小ぢんまりとして、細部にこだわりがあり、女っぽかった。ベッドには襞飾りがついたカバーが掛かっていた。三面鏡付きの化粧台には香水が置かれ、ハンカチの横には散らばった小銭、男性用のブラシ、キーホルダーがあった。クローゼットには男物の衣服が掛かり、ベッドカバーの縁の襞飾りの下には男物のスリッパがあった。ガイガー氏の部屋だ。私はキーホルダーを手に居間に引き返し、机の中を調べた。抽斗の奥に鍵のかかったスチール製の箱があった。キーホルダーにあった鍵の一つを使って開けた。青い革装本が入っているだけだった。索引になっていて、暗号で多くの書き込みがある。スターンウッド将軍宛の手紙にあったのと同じ傾いた活字体だった。私はそのノートをポケットに突っ込み、スチール製の箱の私が触ったところを拭いた。机に鍵をかけ、キーをポケットに入れ、飾り丸太のついた暖炉のガス栓を閉め、コートに身を固めるとミス・スターンウッドを起き上がらせようとした。だが、できなかった。彼女の頭にヴァガボンドハットをかぶせ、体にコートを巻き付けて彼女の車まで運んだ。私は引き返し、すべての灯りを消し、玄関ドアを閉め、彼女のバッグを探ってキーを見つけると、パッカードをスタートさせた。我々はライトを点けずに丘を下った。アルタ・ブレア・クレセントまで十分もかからなかった。カーメンはその間いびきをかき、エーテルの匂いのする息を私の顔に吹きかけていた。私は彼女の頭を肩から離すことができなかった。膝の上で寝られないためにはそうするしかなかったのだ。》

双葉氏が「広間」と訳している<hall>だが、部屋の裏に広間があるというのは変だ。村上氏は「廊下」だ。アメリカでは<hall>は「廊下」を意味するらしい。各部屋間をつなぐ連絡通路のようなものだ。右手にあるのは<bathroom>。双葉氏も浴室と訳しているが、村上氏は「洗面所」だ。<bathroom>もアメリカではトイレを指すらしい。日本でも「洗面所」はトイレの意味でも使われる。ただ、浴室とトイレが仕切られていることの多い日本の場合「洗面所」というとシンクの上に鏡がついたものを思い浮かべてしまう。

だいたい、日本の住宅とアメリカのそれでは、靴を脱ぐ脱がないというところから大きく異なっている。いっそ「バスルーム」のままにするのも手だ。そうすると、次の<kitchen>も「台所」ではなく「キッチン」ですむ。ぬか味噌臭くなくていいではないか。だとすると、<hall>も「ホール」でいいような気がしてくる。一度妥協すると、とめどなくカタカナ語が増えてしまう。やはりどこかで歯止めをかけなくてはいけないのかもしれない。

「小ぢんまりとして、細部にこだわりがあり、女っぽかった」の原文は<It was neat, fussy, womanish.>。双葉氏は「小ぎれいで、女性的な部屋だった」。村上氏は「小綺麗で、ちまちまして、いかにも女性的だった」。形容詞が三語、畳みかけるようにして使われている。最初の<neat>は、小ざっぱりと、整った、というような肯定的な意味だが、二つ目の<fussy>は、「念の入った」とか「凝った」とか必要以上にこだわりがあることを貶めて言う言葉だ。最後の<womanish>も、そのまま読めば、確かに「女性的」という意味になるが、その前に(男が)をつけて読む必要がある。「柔弱な」、「女々しい」というニュアンスが付きまとった「女性的」なのだ。女性に対して誉め言葉で「女らしい」の意味で使う場合は普通<feminine>を使う。

双葉氏の場合、二つ目の否定的なニュアンスが飛んでいるし、村上氏の場合は逆に「いかにも」という強意が付加されている。ふだん、原文に忠実な訳を心がけている村上氏がわざわざ付け加えているのだ。この「いかにも」には、ただの「女性的」ではない、「(男にしては)どう考えても」の意味が込められていると考えたい。余計に思える「いかにも」が付加されることで、結果的にに原文の<womanish>の意味に近づいているわけだ。文章にリズムも生まれるし、よく考えられた訳といえる。

「クローゼットには男物の衣服が掛かり」のところ、原文は<A man’s clothes were in the closet>だ。双葉氏はここを「戸棚に男の服が一着」としている。どうして一着にしたのだろう。村上氏は「クローゼットには男物の服が並び」としている。どこにも並んでいるとは書いてないが、たとえ二着でも掛かっていれば、並んでいるとはいえる。単数、複数にこだわる村上氏らしい工夫だ。

「青い革装本が入っているだけだった」の「本」だが、原文は<a blue leather book> だ。双葉氏は「青い皮の帳面」、村上氏は「青い革製のノート・ブック」と訳している。実は次に出てくるときは<the notebook>と作者が書いているので、この<a blue leather book>が、ノートだということは分かるのだが、開けてみるまではマーロウにはそれがノートなのか、本なのかは分からない。それで、こんな書き方になるのだろうが、訳者泣かせだ。本もノートも表すことのできる「冊子」という訳語を考えてみたが、使用頻度が低いので、あきらめて「本」を使うことにした。次に出たときは同じ物を「ノート」と訳すことになるが、その間に手書きの文字がたくさん書かれていることを説明する文が挟まっているので、わかってもらえるだろうと判断した。作者も同じ考えだろう。

<turned the gas log off the fireplace>がよく分からなかった。<turn off >で「栓をひねって消す」ことだとは分かるのだが、<the gas log>が分からない。直訳すれば「ガスの丸太」だ。暖炉の中にある丸太というので見当はつくが、ネットで検索をかけると「ガスログ」でヒットして画像が出た。セラミック製の薪を組んだ暖炉用のバーナーだ。双葉氏は「暖炉のガス栓をとめ」と、あっさりパスしている。村上氏はどうかと見てみると「暖炉の中にある作り物の薪のガスを止め」と、相変わらず丁寧だ。<log>の語感を生かし「飾り丸太のついた暖炉のガス栓を閉め」と訳してみた。