marginalia

読んだ本の話や一緒に暮らす猫のこと、それと趣味ではじめた翻訳の話など。

『大いなる眠り』註解 第十四章(3)

《カーテンが横に引かれ、緑色の目をして太腿を揺らしたアッシュブロンドが部屋に仲間入りした。ガイガーの店にいた女だ。彼女は切り刻みたいほど憎んでいるとでもいうように私を見た。鼻孔は縮み上がり、暗さを増した眼は二つの陰になっていた。とても不幸そうだった。
「私はちゃんと気づいてた。あんたが厄介者だって」彼女はぴしゃりと言った。「私はジョーに言ってたの。足もとに気をつけるようにってね」
「足もとじゃない。気をつけなきゃならないのは尻の方だ」私は言った。
「それ、面白い」ブロンドは甲高い声で言った。
「今まではな」私は言った。「だが、おそらくもうちがうだろう」
「冗談もほどほどにしろ」ブロディは私に忠告した。「ジョーは自分の足もとくらいちゃんと見てるさ。灯りをつけてくれ。こいつを撃つようなことになればその方がうまくやれる」
 ブロンドは大きな角型のフロアスタンドの灯りをつけた。彼女はスタンド近くの椅子に沈み込んだ。まるでガードルがきつ過ぎるかのように体をこわばらせて座った。私は葉巻を口にくわえ、その橋を噛み切った。私がマッチで葉巻に火をつける間、ブロディのコルトは私から目をそらさなかった。私は煙を味わい、そして言った。
「私が話した顧客名簿は暗号になっている。まだ解けていないが、名前はおよそ五百ある。私の知るところでは君は二十箱分の本を持っている。少なく見積もっても五百冊だ。他にも貸出中の分があるからもっと増えるだろうが、ここは手堅く、まとめて五百冊と言っておこう。もし、これがまだ現役の名簿で、君がその半分を完全に働かせれば、十二万五千件の貸し出しになるだろう。その辺のことは君のガールフレンドが全部ご承知だ。私のはただの当て推量さ。平均貸出料金は君の考えで低くしていい。といっても一ドルは下らないだろう。商品には金がかかる。一冊につき一ドルで、君は十二万五千ドル稼いだ上に、君の資本はまだ君のものだ。つまり、ガイガーの資本はまだ君のものだ。人ひとり殺すには十分な理由だ」
ブロンドがまくし立てた。「あんたの頭はどうかしてる。何さインテリぶって」
 ブロディは彼女の方を向いてうなった。「静かにしろ。頼むから黙っててくれ」》

「足もとじゃない。気をつけなきゃならないのは尻の方だ」は<It's not his step, it’s the back of his lap he ought to watch.>。双葉氏は「気をつけるのは足もとじゃなくて手もとだ」と訳している。村上氏は「彼が気をつけなくちゃならないのは足もとじゃなくて、火のつきそうな尻じゃないかな」と訳している。<back of his lap>は直訳すれば「膝の裏」だが、ラップトップという使い方で分かるように、<lap>は、座ったときの膝から腰までの上面を意味している。つまり立った時にはなくなってしまう部位なのだ。

母親が幼児をあやすようにのせる場所というところから転じて、<lap>には「保護された場所」の意味がある。だから、そちらは安心でも、その裏側は保護されていない。気をつけるなら裏側、座っている時なら座面、つまり「尻」だ、というのが村上氏の解釈だろう。「尻に火がつく」という危機的状況を表す日本語表現を生かして上手に訳している。残念ながらこれを上回る訳は思いつかなかった。

実は<back of his lap>という文句が第二次世界大戦の戦意高揚ポスターに使われている。釘のついた板切れを握ったアメリカ人が、かがんで後ろを向いている日本人の尻を叩こうとしている絵柄にかぶせて<Whack the Jap on the back of his lap!>という標語が書かれている。時期的に考えて、マーロウはこのポスターのことを言っているのではないだろうか。ポスターの使用時期が1939年から1945年まで。『大いなる眠り』は同じ1939年に発表されている。雑誌「ブラックマスク」に発表されたのが1935年だから、その時にこの文句が出ていたとしたらこの説は成り立たないことになるが、今は調べる手立てがない。

マーロウがブロディに貸本屋商売の利益について講釈を垂れる場面。数字がたくさん出てくるが、ここで双葉氏は計算ミスを犯している。「十二万五千」は原文で<one hundred and twenty-five thousand>だが、これを「千二百五十」とやってしまっているのだ。500×250=125000。もう一度同じ数字が出てくる。一冊一ドルのレンタル料金なので、<one hundred and twenty-five grand>。<grand>は一千ドルを表すので「十二万五千ドル」。ここも「千二百五十ドル」と訳している。双葉氏ともあろう人が<grand>は一千ドル、という俗語を知らなかったはずはないと思うのだが、このミスの原因ばかりは見当がつかない。

「君の資本はまだ君のものだ。つまり、ガイガーの資本はまだ君のものだ」は、チャンドラーお得意の少し言葉を入れ替えた繰り返しになっている。原文は<you still have your capital. I mean, you still have Geiger’s capital>だ。双葉氏は「そのうえ資本はまるまる残る。つまり、ガイガーの資本だがね」。村上氏は「しかも元手は減らない。つまり君はまだガイガーの元手を手にしていることになる」と、訳している。こなれた訳だとは思うが、原文の工夫を何とか活かせないかと思い、こう訳してみた。

「あんたの頭はどうかしてる。何さインテリぶって」は<You’re crazy, you goddam eggheaded―!>。双葉氏は「この気ちがい!とんかち頭の――!」。村上氏は「ああ、何を言い出すの。偉そうにわかったようなことを――!」だ。何故か近頃では<crazy>を、文字通り双葉氏のようには訳せないことになっている。それはともかく、<egg>がなぜ「とんかち」になっているのかがよく分からない。<egghead>はアメリカでは「知識人、インテリ」を表す俗語なので、村上氏のような訳になる。

ただ、その金髪女の言い方を、双葉氏はあっさりと「金髪が叫んだ」としているところを、村上氏が「金髪女が息を呑んだ」と訳しているのは合点がいかない。原文は<The blonde yelped:>だ。<yelp>は、犬がキャンキャン吠えるような、甲高い声で叫ぶ様子を表す言葉で、村上氏は前の部分で金髪女の声を「甲高い声」と訳している。それなのに、なぜここを「息を呑んだ」と意訳したのだろう。たいしたことではないと思うのだが、気になる。