marginalia

読んだ本の話や一緒に暮らす猫のこと、それと趣味ではじめた翻訳の話など。

シェイクスピア&カンパニー書店の優しき日々

カナダで新聞記者をしていた「僕」は、筆禍に遭い、命の危険を感じ、とるものもとりあえずパリに逃げた。たくわえも尽き、冬のパリを彷徨ううち雨に降られ、雨宿りにとある書店に飛びこんだ。ノートルダムにあるその書店こそシェイクスピア・アンド・カンパニー書店だった。

この名前にぴんと来た人があるかもしれない。ジョイスの『ユリシーズ』がどこの出版社からも相手にされずにいた時、出版費用を出したのがシルヴィア・ビーチ、シェイクスピア・アンド・カンパニー書店の店主である。フィッツジェラルドヘミングウェイが立ち寄る有名な英語書籍店だったが、ドイツ占領時に店を閉め、パリ解放後も店を開けることはなかった。

そう、この本に出てくるシェイクスピア・アンド・カンパニー書店はその本家の名前をいただいたいわば二代目の書店である。店主はジョージ・ホイットマン。まぎらわしい名だが、父親は教科書こそ書いたが、詩人のホイットマンではない。このジョージという人物が実に魅力的に描かれている。まるで小説のようなノリとテンポで読ませるが、歴としたノンフィクションである。

運よく週に一日だけ開かれているティー・パーティーに誘われた「僕」は、この特異な書店に圧倒される。なにしろ、広い店の中にはキッチン(ゴキブリがうろついている)があり、誰かがスープを作っているかと思うと、別の部屋には数台のベッドが置かれているというありさま。

実は、この書店は作家志望の若者に寝るところを提供していたのだ。パリに行けば、無料で泊まれる本屋があるという噂は広く知れ渡っていて、この店を訪れるものは引きもきらなかった。ただ、長逗留できる者は限られていて、それにはジョージに自伝を読んでもらわなければならなかった。

「僕」は、みごとその試験に通りシェイクスピア・アンド・カンパニーで暮らしはじめることになる。個性的な同宿人との日々の暮らしやその日の糧を得るための涙ぐましい苦労。パリで安い飯を食べる方法と、興味深い話題には事欠かない。何しろ、新聞記者と言ってもかけだしでまだ若い。恋もすれば、嫉妬もする。

アルコールと薬物から手が切れず、あぶない橋を渡りながらもシェイクスピア・アンド・カンパニー書店での生活がしだいになくてはならないものとなってゆく。特に八十六才という高齢でありながら、二十才のイヴに恋をし、結婚を申し込むジョージの姿に心を動かされる。精力的に書店を運営していくジョージだったが、店には買収の手がのびてきていた。

舞台になっているのはミレニアム問題に揺れるパリである。ところが、筋金入りのコミュニストであるジョージの来る者拒まずというコンミューン作りには、なにやら60年代のにおいが漂っている。鍵もかからぬレジや、そこいら中に置き忘れられている金は、泥棒の餌食になっているが、ジョージは本の万引きも、盗難事件にもひるむことがない。

ただ心配なのは、自分に何かがあれば、書店は別れた妻の名義となり、自分を怨んでいる妻はさっさとホテル王に売り渡してしまうだろうということばかり。ジョージにはその先妻との間に、その名もビーチからとったシルヴィアという子がある。娘が店を継いでくれれば、という願いはあるものの仕事一途できた男にそんなことを言い出せるはずもない。

シェイクスピア・アンド・カンパニー書店の運命やいかに。また「僕」の恋の顛末は…。今風と言うよりはビートニクやフラワーチルドレン、ヒッピームーブメントの雰囲気が濃厚な気配だが、金なし宿無しの異邦人がパリのど真ん中で生き生きと暮らしていくその日々のなんとも言えない開放感がたまらない。ロレンス・ダレルが『アレクサンドリア四重奏』を書いていたという、その部屋が今も残っているなら、今度パリを訪れたときにはぜひ足を伸ばしてみたいものだと思う。