ジョゼフ・コーネルはアメリカ人。ニューヨーク市近郊クィーンズのユートピア・パークウェイという名前だけは素敵な町の小さな木造家屋に住み、口うるさい母親と障碍を持つ弟と暮らしていた。昼間は毛織物などのセールスをし、家族が寝静まった夜、地下室で発条やら挿絵の切り抜きやらを木箱の中に細工するのを常としていた。これは、後年「コーネルの箱」の作者として知られることになるジョゼフ・コーネルの伝記である。
「コーネルの箱」をご存知だろうか。大きくても三十センチをこえない木製の小箱の中に貝殻や陶製のパイプ、コルク玉、金属製の環といったものをつめこんだものである。身近にある雑多な物を寄せ集めて展示したそれは、今では「アッサンブラージュ」という呼び名で現代美術の一ジャンルを占めている。アッサンブラージュは、彼が始めたものではないが、それを表現の中心に据えた第一人者はジョゼフ・コーネルその人といっていいだろう。
コーネルは、ニューヨークの街を歩き回り、古本屋や古道具屋を漁っては挿し絵入りの本や古い映画のフィルム、ロマンティック・バレエの記事などを集めることを趣味にしていた。当時、フランスではシュルレアリスムの運動が起き、ニューヨークにもそれは伝わってきていた。エルンストの『百頭女』のコラージュに影響を受けたコーネルは、蒐集した古本の中にある挿し絵を鋏で切り抜き、コラージュを作り始めた。それを見た画商が、コーネルに勧めたのが箱の作品だった。
コーネルは箱の表面にガラスを張り、その中に蒐集した本から切り抜いた挿し絵や様々なオブジェを配置するやり方を好んだ。マルセル・デュシャンの『大ガラス』の影響もあるかもしれない。とにかく、それはシュルレアリスム運動勃興期にあたり、誰も実作者がいなかったアメリカにあって、アメリカ人が試みたシュルレアリスム作品と受けとめられた。デュシャンと友情を結び、ダリに嫉妬されるなどシュルレアリストの仲間入りを果たしながらも、コーネルは彼らとは距離を置いていた。というのも、騒ぎを起こすのが大好きなシュルレアリストとコーネルとは水と油ほどもちがっていたからだ。
早くに父を亡くしたコーネルは、働いて家族を養わねばならなかった。自分の欲望を抑え、旅行もせず、女性とも交際することがなかった。ただ、女性を見ることは好きで、行きつけの食堂で詩人や音楽家の伝記を読みながら、ウェイトレスやレジ係の娘を眺めては片思いに耽っていた。ただ、その思いは成就することはなかった。デートに誘うことさえできなかったからだ。
コーネルは自分の作品を売りたがらなかったという。人に贈ることはしたが、相手との縁が切れると返却を求めたりもしている。有名になりたいとか売りたいとかいう野心とは無縁で、「天文台」と名づけた家の台所から夜空の星を見ることや、裏庭の木陰に置いた椅子に腰掛け、やってくるカケスにピーナッツをやることを好む物静かな人物だったようだ。
著者は、この伝記によってこれまで過小評価されていたコーネルを美術史上に正しく位置づけたいと考えている。シュルレアリスムから抽象表現主義を経て、ポップアートに至るアメリカ現代美術史の中で、コーネルはそのどれとも関わりながら常にコーネルであり続けた。彼のアッサンブラージュは、「一九六〇年代以降のアメリカ美術で主流となった、がらくたを芸術に変えるという美学をもつ先駆者として認知されるべき」という著者の見解は肯ける。
今ひとつ著者が力を入れているのは、コーネルの芸術と彼の性的嗜好の関係である。母の子への愛がその裏に束縛という側面を併せ持つものであることは、よく知られている。コーネルは母を愛していたが故に女性への欲望を自ら抑圧した。しかし、そのことが母との葛藤を生み、彼には母や弟から逃れて自由に羽ばたきたい、旅したいという欲求が生まれる。彼の箱によく使われるモチーフに蝶や鳥は多い。また、「ホテル」を冠した作品も数多くある。金網や横木に通した金属の環に繋がれた鎖といったモチーフも家族に縛りつけられた自分を表しているという見方もできるだろう。
ただ、著者の解釈は解釈として、一つの観点から見た解釈は芸術作品に豊穣に含まれている多様性を奪い、薄っぺらなものにしてしまうのではないだろうか。「コーネルの箱」が持つ人を惹きつける力は、それを鑑賞する人との共感から生じるものであり、そこにこそ「コーネルの箱」の魅力がある。ペニー・アーケードやニッケル・オデオン(五セント玉劇場)への執着、星座や天体運行への興味、球体や卵、グラスや瓶、細かな木枠で区切られた箱などに向けられた独特の嗜好は、洋の東西を問わず同じ気質を持つ同士をいくらでも見つけることができる。
伝記の中に、皆の前で自分のことを恥ずかしがり屋だと言った友人をコーネルはいつまでも許さなかったというエピソードが紹介されている。伝記を読むのが好きだったコーネル自身にこそ読んでほしいと著者は冒頭に記しているが、多くの女性との性的交渉のことまで事細かに論っている自分の伝記を読んだコーネルが眉を顰めるのが目に見えるようだ。この本を読んでコーネルの箱に興味を持たれた方はチャールズ・シミック著『コーネルの箱』を併せて読まれることをお薦めする。カラー図版も多く、「コーネルの箱」の持つ魅力を味わえると思う。