marginalia

読んだ本の話や一緒に暮らす猫のこと、それと趣味ではじめた翻訳の話など。

京都に行ってきました。

駅までは徒歩だったため、麻のシャツの背中に汗が浮いてきていた。
京都行き特急券二枚を買って、ホームに上がると待合室は節電のため開放中であった。この夏は至るところで錦の御旗のように「節電」の二文字がまかり通る。「欲しがりません。勝つまでは」を思い出す。この国の心性は戦後数十年を過ぎても何も変わらない。自販機の電気は入れっぱなしなのに、と心の中で呟きながら椅子に腰を下ろすと、駅員が近づいてきた。
「9時44分の京都行き特急をご利用でしたね?瞬間停電により、その列車は鳥羽の手前の白木で停車中のため到着が少し遅れます。くわしいことはまた連絡します。」と告げた。
この日は、京都の行きつけの店で昼食の予定で午後一時に予約をいれてあった。余裕を見て立てた旅程だったが、早くも暗雲がたなびいてきた。駅員が二度目に現れたとき、その予感があたったことを知った。
「特急は鳥羽で止まっています。とりあえず普通列車で宇治山田まで出て、次の大阪上本町行きの急行で八木まで行き、そこで京都行き急行に乗り換えて行かれるのがいちばん早いと思います。京都駅到着は12時50分になります。」
タクシーで乗り付ければ、何とか予約に間に合いそうだ。特急券は払い戻しになるという。あわてて普通列車に乗った。
宇治山田駅のホームにある助役室は、ガンガンに冷房が効いていた。五十鈴川駅から電話で連絡があったそうで、払い戻しは京都駅になるそうだ。上本町行き急行は、中央通路に向かい合わせに座る通勤電車そのもので、久しぶりに乗った。これで京都まで行くのかと妻と顔を見合わせ苦笑いした。八木駅で連絡の列車に乗り換えたとき、ホームの電光掲示板に「瞬間停電」を告げる文字列が流れ出した。それによると、幸か不幸か停電が起きたのは9時30分。我々が乗る予定の15分前だったらしい。
ほぼ各駅停車状態の急行は、予定通りに駅に着いた。二人分3160円の払い戻しを受け、八条口からタクシーに乗った。
四条河原町木屋町の間にある『ちもと』って分かります?」
木屋町だと川端通りになりますね。四条河原町は右折できないんで。」
「それなら高島屋前で下ろしてください。そこから歩きます。」
京都は交通規制がうるさい。狭い小路まで車で乗り付けることもない。
「彩席ちもと」は、有名な料亭「ちもと」の別館。向かいにある本館の方は堂々とした構えで、ちょっと敷居が高いが、こちらは店構えも小体で気軽に入れるので、京都に来ると昼はここだ。暖簾をくぐると、「○○様ですね。二階へどうぞ。」と声がかかる。いつもは、一階のカウンター席が多いのだが、妻が今回は二階席を予約してあった。誕生日の食事がカジュアルすぎたのを気にしていたらしい。
四人がけの席が四つという二階には、すでに先客が二組。そのうち一組は祇園のお姉さん方三人連れ。着物姿がさすがに決まっている。もう一組は初老の夫婦二組だった。
テーブルの上には「辛卯文月雪」と記された献立が置かれていた。料理は九品。以下に記す。
八寸…真砂子和え、三度豆胡麻クリーム、赤芋煮、冬瓜味噌添え、酢蓮根、ミニトマト、オクラ。
お椀…白味噌仕立て、餅麩、じゅん菜。
造里…すずき、烏賊ソーメン、あしらい。
おしのぎ…飯むし、南京、枝豆。
玉子宝楽、生姜。
温物…丸茄子、車海老、小芋、万願寺唐辛子、針葱。
中皿…五島の冷やし麺、なんば アスパラ 茗荷 天麩羅。
鰻のお茶漬け、香の物、又は、茗荷御飯、赤出し、香の物。
水物…西瓜、巨峰ゼリー掛け。以上である。
「料理の前にお飲物は如何します?」と訪ねられたので、冷酒のリストの中からお薦めの辛口キンシ正宗を選ぶ。電車で来たら二人で飲める。これが何より。乾杯がすむと料理が来た。七月の京都らしく、団扇に見立てた敷物の上に祇園祭長刀鉾が置かれている。蓋物になっていて、中には半分に割ったすだちの上に真砂子和えが。つぶつぶした食感にすだちの爽やかな香りが相俟ってまことに夏らしい一品。何より容器の取り合わせがうれしいではないか。これだから、季節ごとに来たくなるのだ。
この日、初めて味わったのが、なんば、つまり玉蜀黍の天麩羅。薄く削ぎ切りにした玉蜀黍の切片に衣つけて揚げた物。ぱりぱりの食感となんばの持つ甘みが意表をついた組み合わせだった。
「いつものですが。」と、紹介されて出てきた「玉子宝楽」は、ちもとのオリジナル料理。ふわふわ玉子が、「森のきのこ」状に、器に入って出てくる。以前より小振りになった気がしたが味わいはより濃厚になったように感じた。季節によって変えるのかもしれない。
次々と出てくるどの料理も素晴らしかったが、待たせず、あわてさせず絶妙のタイミングで供される、そのサービスが見事。満足して店を出た。
その後、四条通を渡って、花遊小路から新京極、寺町京極、錦と買い物がてらぶらぶら歩く。錦の「有次」を冷やかしていると雷の音。土砂降りに店の人は、「やっと降ってくれた。」と、涼を呼び込む雨をうれしがる様子だが、旅行者には困りものだ。雨宿りを兼ねて、今話題の町家カフェ「さらさ花遊小路」で珈琲を飲んだ。何やら懐かしいつくりで、客の方もまったりと時間を過ごしていた。雨も止んだようなので、帰ることにした。
タクシー乗り場に急ぐ道で、大阪から来たらしい人が、落雷で電車が遅れたとか話す声が聞こえた。不審に思いながら駅に着くと、改札がごった返していた。近鉄京都線で落雷のせいで信号が故障したため、安全を確認しながら徐行運転で運行中との文字がまたしても電光掲示板の上を流れている。
試しに特急券売り場に並んだが、「特急は走っていません」とにべもない。次の客が、「散々待たせた挙げ句それはないだろう。行列の前に書いて出しておけ。」と声を荒げるのも分かる気がした。情報を小出しにする悪い癖が抜けないのは、この国の企業の悪弊だ。
そこへいくとホームの駅員は親切だ。「今入っている天理行きの急行で平端まで行き、そこで橿原神宮行きに乗り換え八木まで行って、宇治山田行きの特急を待つのが一番早い」と教えてくれた。何のことはない。往きも帰りも落雷のせいで、特急に乗れないということか。こんなことは初めてだった。
帰りの急行は、久津見と寺田間で踏切が故障しているらしく、先行列車が停車するたびに何度も停車する。すし詰め状態でつり革にもたれたまま、いつまで続くのかとうんざりした。アナウンスが判で捺したように同じことを繰り返すのも腹が立った。少しずつ明らかになる状態をそのつど流すだけでイライラ感は治まるのに、それができない。
平端で橿原神宮行きの普通列車に乗ると、その後は復旧したらしく、八木からは特急に乗れた。新型車両のヴィスタカーは、座席間が広く飛行機を模したテーブルが付いていた。一流料亭の料理と比ぶべくもないが、座席に座って食べる売店で買ったおにぎりと缶ビールの美味いこと。結局家に着いたのは午後十時頃。いやはや印象に残る一日であった。