marginalia

読んだ本の話や一緒に暮らす猫のこと、それと趣味ではじめた翻訳の話など。

『韃靼の馬』

韃靼の馬
「韃靼」と書いて「タタール」と読む。モンゴルから東ヨーロッパにまたがる広い範囲をさす。「韃靼の馬」とは、有名な武帝の故事にある、一日千里を走り、血の汗を流すという大苑(フェルガーナ)の天馬「汗血馬」のことである。

『遊動亭円木』で初めて出会って以来、その語り口の巧さには絶大の信頼を置く辻原登。その小説巧者が、エキゾチズム溢れる韃靼を舞台にどんな物語を見せてくれるのかと多大な興味をもって読んだ。もとは日本経済新聞朝刊に連載した小説である。新聞連載小説というのは、日替わりで興味をつないでいかないと読者に飽きられる。小難しい歴史的事実や時代考証をくだくだしく書き連ねることは許されない。その一方で、毎日少しずつ新知識が頭に入っていくことも事実で、短いからこそ読み続けていくこともできる。しかも当面の相手は経済新聞の契約読者であるが、連載終了時には単行本化は必至。そこのところを逆手にとって、竹島問題で難しい局面にある日韓両国の歴史に残る二つの事件を素材に、往年の山中峰太郎を髣髴させる冒険小説風に仕立ててみせた作家の手腕をまずは賞でたい。

その一つが「朝鮮通信使」にまつわる事件である。朝鮮通信使とは、将軍の代替わりごとに朝鮮国王からの親書を携え江戸を訪れた外交使節のことだが、その行列は華麗を極めたもので絵巻にも描かれ今に伝えられている。半島と本土の海峡にあって両者を取り持つ任務にあたったのは対馬藩であった。小藩対馬は日本で掘られた銀と中国の絹糸、朝鮮人参との貿易の利によって藩財政をまかなっていた。ところが、新たに将軍侍講となった新井白石は、国家経済の窮状を見据え国産銀流出停止、絹糸、朝鮮人参の国産化を実行に移そうとしていた。そんなことになれば対馬の存在意義はない。雨森芳洲は白石の投じた難題を解決するため半島に渡り、かつての僚友の子で今は朝鮮の倭館で暮らす阿比留克人を訪ねるのだった。

主な登場人物は薩南示現流の使い手で漢語、朝鮮語はおろか上代文字にまで通じている青年、阿比留克人。文武両道に秀で妹思いで優しくおまけに美男。その友人の陶工で李氏朝鮮の特務工作員暗行御史の李順之。好敵手で最後には一騎打ちの相手となる対馬藩家老職の血を引く監察御史柳成一。貿易商の看板を掲げる裏で半島の密貿易組織哥老会とつながる唐金屋等々。互いに複雑な事情を抱えた面々が入り乱れて、日朝二国間に持ち上がる国書の書き換えという外交問題の解決をはかり、暗闘するのが第一部。間諜が潜入した相手国の情報を得ようと要人に接近すればするほど、その見返りとしてなにがしかの情報が相手に流れることになる。つまり、どちらもが二重スパイにならざるを得ない。このジレンマを先物取引に活況を呈する大阪堂島、享楽的な元禄文化が花ひらく江戸を舞台にスパイ小説仕立てで展開して見せる。驚異的な能力で統計学を駆使し先物取引という取引形態を考えつく大阪商人の逸話がくわしく語られるのも経済新聞ならではか。

第二部は、それから十五年後。故あって朝鮮に渡り、名前も金次東と改め、李順之と共に陶工として働く克人のところへ、対馬藩の窮地を救うため将軍吉宗に献上する伝説の天馬を探してくれと唐金屋が現れる。藩の借金を天馬献上で相殺するという計画だ。題名「韃靼の馬」は、こちらが本編。克人を親の仇と狙う柳成一の一子徐青。克人が朝鮮に渡るきっかけを作った朝鮮通信使の一員朴秀美。それに、チャハル・ハーンとその子オーリらが、広大なタタールの地を舞台に伝説の天馬を追い求める冒険活劇。冷涼な山岳地帯を背景に意気に感じた流れ者が土地に暮らす人々の苦境を救うという映画『シェーン』を思わせる西部劇調の一幕。

中国大陸を舞台にした第二部は、勧善懲悪、恩讐を超えた情愛、囚われの美女奪還の電撃作戦と、読者サービスの満漢全席。さりげなく中島敦の『山月記』や『李稜』のもとになった伝説や史実に触れるなど、文学から文学を創る作家辻原登らしさも顔をのぞかせる。新聞小説という縛りがあり、構成の緻密さや語り口の巧さは他の作品に一歩譲るが、通俗小説的興味で読者をぐいぐい引っぱって、これだけスケールの大きい稗史小説を最後まで読ませるのは、作者の力量というものだろう。

桃源郷の故事や『ロスト・ワールド』を想わせる天空の花畑、岩窟の寺院、暗夜に浮かび上がる「銀の道」と辻原ならではの凝ったロケーションも一大冒険ロマンに花を添える。花といえば、女の美しさと男の腕力を併せ持つ綱渡り芸人リョンハンの克人に寄せる思いが切なさを誘う。ひとつ気になるのは、リョンハンに横恋慕してふられたのを根に持ち、事あるごとに克人一行の邪魔をする朴が、眇(すがめ)で背中の曲がった人物として描かれていることだ。あえて一昔前の冒険活劇の線を狙ったものと考えることもできるが、ヒーローやヒロインの容姿端麗はよしとしても、嫌われ役の朴にわざわざ肉体的にも負のイメージを付す必要があったかどうか。再三にわたる眇という肉体的な特徴への言及には違和を覚えた。

第一部で描かれる外交上の駆け引きが興味深い。上司の中に教条主義者がいると現場がどれだけ苦労するか。過去の例がいかに現在を縛るか。相手の言うことをただ鵜呑みにするのでなく、こちらの言い分を声高に言いつのるのでもなく現実的な妥協点をねばり強く探ること。江戸時代の外交を描きながら、政権交代以来、外交が停滞していると言われる今の日本に何が欠けているのかを教えてくれる。政治家のパフォーマンスを受け、現実的な落としどころを見つけていく有能な官僚の存在である。頭脳明晰なだけでなく、古今の詩文に通暁し、尚かつ志の高い人物。どこかにいないのだろうか。