marginalia

読んだ本の話や一緒に暮らす猫のこと、それと趣味ではじめた翻訳の話など。

『紙の民』 サルバドール・プラセンシア

紙の民
段ボールの脚とセロファンの肝臓、ティッシュペーパを撚って作られた血管でできた「紙の女」メルセド・デ・ペパル。バチカンが封鎖した人間を作る工場で、折り紙で人工臓器を作ることのできるアントニオの手によって生み出された女。彼女の中に入ろうとする男は舌から血を流さなければならない。雨の中を歩けば新聞の日曜版の腕は印刷がうすれ、足先はふやけてどろどろになってしまう「紙の女」は隠喩である。男の欲望によって作り出された物語としての女。ひととき愛し愛されはするものの、やがては男の体や心に傷を残し、男の住む世界を崩壊させずには置かない魔性の存在。捨てられた男が傷を癒すために頭の中で拵えた架空の女性。ペンを持つ手が、タイプのキイを叩く手が作り上げた嫉妬と哀憐の構築物。

ガルシア=マルケスを貪り読んだ文学青年が失恋の痛手から抜け出すために自分の失われた恋を物語として書くことで紙の中に封じ込めようとして小説を書くことを思いつく。ところが、登場人物たちは自分たちの生活が誰かによって始終監視されていることに気づく。自分たちの運命を握るのが土星であることを突きとめた登場人物たちは、土星との戦いを始める。彼らは機械仕掛けの亀の甲羅を買い集め、その鉛の平板を家の壁や天井に張りめぐらし、土星の視線をさえぎるが、鉛は彼らの身体を侵す。

土星は物語の作者の隠喩である。書かれる側の者が、書いている者を意識し、逆に作者の部屋に侵入したり、見られていることを意識して裸になってみたりする。所謂メタ小説である。普通の小説のレベルにあたる場合は、段組は一段だが、メタレベルに入ると、三段、四段と視点人物の数の分だけ段数が増殖し、果ては、縦書きの中に横書きが入りこんだり、思考が読みとれない部分は真っ黒に墨が塗られたり、文字の印刷が薄れていったりと、ずいぶん手の込んだ表現手段をとる。

白アリもいないのに町が崩壊したり、折り紙で作られた女性にキスをした男たちが舌に切り傷を負ったり、ありそうもないことをまことしやかに語るところは、いかにもガルシア=マルケスの洗礼を受けた作家らしい。ロスアンジェルスのエル・モンテが舞台だが、千の顔を持つ男ミル・マスカラスやタイガー・マスクがサトウ・サトルの名で登場したりすることからも分かるようにメキシコ文化が濃厚なラテン・アメリカ文学の一角を占める作品。ここでは、リタ・ヘイワースメスティーソ(メキシコ人との混血)であることを隠してハリウッドに身売りした売女扱いである。

デビュー作である本作が評判を呼び、現代を代表する作家の一人に選ばれるという強運の持ち主。運も実力のうちというが、そればかりでもないだろう。読み終わったあとに不思議な余韻の残る一冊である。