marginalia

読んだ本の話や一緒に暮らす猫のこと、それと趣味ではじめた翻訳の話など。

『ラ・カテドラルでの対話』 マリオ・バルガス=リョサ

リョサ初期の長篇ながらすでにただならぬ挫折感が漂う。ペルーという国とその国民性について。何をしたいのか、どうなりたいのか分からないままに常に状況に身を任せてしまう自分について。身を滅ぼすと知りながら、やめられない酒や煙草、女そして男。ついに分かり合うことのない父と子の関係。失意と挫折から若くして敗残者としての凋落の日々を送る男が探る父の秘密

ペルーの首都リマを舞台に繰り広げられる、あるブルジョワ一家をめぐる物語である。主人公サンチャーゴは、独裁政権を陰で支える裕福な商人ドン・フェルミン・サバロの次男。成績優秀で父親にも溺愛されているが、本人は父の庇護下から抜け出したいと願っている。母の反対を押し切りサンマルコス大学に入学すると、級友の影響を受け共産主義にかぶれ、シンパになる。ストライキの密議の最中公安に踏みこまれ逮捕されるが、公安のトップカジョ・ペルムデスはドン・フェルミンの顔を立てて釈放する。サンチャーゴは大学を去り、伯父の伝手を頼って新聞記者となる。友を捨て戦線離脱し、生計のために詩を捨てて売文業に成り果てたサンチャーゴは以後淫売屋と酒場通いに明け暮れる。

ラ・カテドラルとは、下町の安酒場の名だ。愛犬が野犬狩りに捕まったのを救い出しに行った先で再会したのが、かつて父親の運転手をしていたアンブローシオというサンボ(インディオと黒人の混血)。第一部は、すでに結婚したサンチャーゴがアンブローシオと語る過去の回想から始まる。リョサの特徴とも言える唐突な話者の転換に最初のうちは戸惑うかもしれないが、挿入される過去の逸話の中に張られた伏線が、この大部の小説を読みすすむ上での重要な手がかりとなる。意表をつく話題の提出が異化効果となって、後になって効いてくるのだ。

アンブローシオは、若い頃チンチャで高利貸しを営む禿鷹の息子カジョ・ペルムデスが後に妻となる娘を誘拐する手伝いをしたことがある。リマに出て来たアンブローシオは、昔なじみのカジョの運転手として雇われ、そこで、後にその運転手となるドン・フェルミンと出会う。アンブローシオはサバロ家の女中アマリアとつき合いはじめるが、何故かそのことを隠したがる。カジョはナイトクラブの歌手であった美女を囲っていたが、サバロ家を出た後アマリアはその女ムサの家で雇われる。

オドリア政権時代を中心に描かれるが、独裁者その人は登場しない。望めば大臣職にも就けるはずのカジョは公安の長にとどまることで政権の裏にあって側近の秘密や弱みを握り権力を操ることに暗い情念の炎を燃やしていた。成績優秀で将来は大臣と目されていたカジョがしくじったのは例の牛乳屋の娘との一見が父にばれて半殺しにされたことがきっかけだった。

世代も人種も社会的階層も異なるが、サンチャーゴとカジョ、アンブローシオは相似形をなす。サンマルコス大学で文学と法学を学ぶサンチャーゴが作家自身と重なるのは無論だが、父親との確執が子の人格形成に影響を与えている点ではあとの二人も同様である。三人の父親は質はそれぞれ異なるものの「力」で息子を圧倒する。サンチャーゴは、父の資産や名声に庇護される存在である。彼はそれをよしとせず自立を図るが、挫折してしまう。カジョは剥きつけの権力と暴力を奮う父の支配下に育った結果人を愛することのできない人間になる。アンブローシオは、父の力を恐れるあまり、常に人の機嫌をうかがわずにいられない臆病者となった。何故、父とうまくやっていくことができないのか、その理由を知りたいというのが、リョサが文学を志す契機だったという。小説の中では一人の女が殺される。その謎を追うサスペンスが後半部を牽引するのだが、見ようによっては、それも父と子の確執が遠因になっている。

人が人を愛するというのはデファクトスタンダードではない。人は成長する中で人を愛するということを学ぶのではないか。キリスト教圏では、父と子(息子)というのは他の関係に比べ絶対的なものがある。父は絶対者であり、子は一方的にその愛を求める存在である。しかし、必ずしも父に愛されるとは限らない。理不尽にも他者に愛を奪われることもある。その不条理をそのまま肯定できる強者がどれほどいるだろう。愛されなかった子はそれ故他者を愛せなくなったり、愛を乞うようになったりする。父の死は、サンチャーゴにとって父からの解放を意味した。小説は、サンチャーゴと彼を取り巻く世界との緩やかな和解を暗示させて終わる。サンチャーゴに息子ができる日も近いだろう。