marginalia

読んだ本の話や一緒に暮らす猫のこと、それと趣味ではじめた翻訳の話など。

第13章

午前11時のリッツ・ビヴァリー・ホテルのバー。マーロウは、人と会う約束でここに来ている。壁一面のガラス窓からプールが見えている。マーロウは飛び込みをする娘を欲望を感じながら眺めている。それまでとは明らかにちがう展開への予感を感じさせる。

「私から三つ目のブースにはでな服装の男が二人いて、はでな身ぶりをしながら、二十世紀フォックスの動きについて論じ合っていた。間にはさんだテーブルに電話がおいてあって、二、三分おきに受話器をとりあげていた。」

バーで話し合ういかにもやり手風の二人の男たち。電話をひっきりなしにかけているこの二人が何をしているのかが、清水訳ではよく分からない。原文を次に示す。

“Three booths down a couple of sharpies were selling each other pieces of Twentieth Century-Fox, using double-arm jestures instead of money.They had a telephone on the table between them and every two or three minutes they would play the match game to see who called Zanuck with e a hot idea.”

二人は、どうやらホットアイデアを手みやげに一人の男に会うためにマッチゲームをしているらしい。「ザナックと呼ばれる男」とは、ダリル・F・ザナック。いわずとしれた二十世紀フォックスの大立て者である。とすれば、二人が金の代わりに腕を振り回して宣伝しているのは映画の企画ということになる。村上訳ではこうだ。

「三つ先のブース席では、いかにもやり手風の二人の男が、二十世紀フォックスの企画をぶっつけあっていた。そこで交わされているのは金ではなく、承認の仕草だった。テーブルの上には電話が置かれ、二、三分ごとに受話器が取られた。どちらが先にホットなアイデアを思いつき、ザナック御大に採用されるかを競っている。」

ザナック」は、ルイ・ロペスとはちがって超大物である。ハリウッドで仕事をしていたチャンドラーでなくともだれもが知っているビッグ・ネームをなぜ省略したのか。話の本筋と関係がないと思うとあっさりカットしてすませてしまう。このあたりが清水訳の問題点である。

さらば愛しき女よ』当時と比べ、本作品ではマーロウは歳をとっている。二人のいかにもやり手風の若者の精力的な売り込みの様子は、少しくたびれかけたマーロウとの対比を意図している。マーロウは仕事にも女にも飢えていない。素晴らしい体つきをした水着の美女であっても、大口を開けて笑うような女は願い下げなのだ。

そんなマーロウでも一目でぐらっとさせられてしまうのが、この章で登場するアイリーン・ウェイド。作家ロジャー・ウェイドの妻である。この矢車草の色をした瞳を持つ絶世の美女の登場シーンは往年のハリウッド映画の一場面を想い出させる。言い換えれば少々大げさ過ぎる。それだけ、魅力的であることを読者に印象づけたいということだろう。

アイリーンの依頼を断ったことで、むしゃくしゃしていたマーロウは、コメディアンと口論をする。軽口の応酬になるのだが、ヤンキースのセンターを守ってホームランをかっ飛ばす“breadstick”が、清水訳では「パンのし棒」、村上訳では「棒パン」になっている。無理なことの喩えなのだからパンでできた棒のほうが面白かろう。ここは、やはり「棒パン」か。

それともう一つ。アイリーンがくれた名刺のことだ。“a formal calling card”を村上氏は「社交用のしるしだけの名刺」と否定的な意味合いに訳しているが、清水氏は逆に「訪問用の正式のもの」と肯定的な意味合いに訳している。その前に“not ”がついているので、否定の否定が肯定になる。つまり、村上訳が構文上適切であろう。住所と電話番号を記した名刺を渡すだけで、相手に対する信頼の意を表すことができるというわけだ。