marginalia

読んだ本の話や一緒に暮らす猫のこと、それと趣味ではじめた翻訳の話など。

第14章

松原氏の『3冊の「ロング・グッドバイ」を読む』の書評に書いたことだが、アイリーンが夫の居場所を探してもらおうとしてマーロウを訪ねた先は、オフィスではなく自宅だった。久しぶりに続きを書いてみようと思い立って、原文を読むと最初にそう書いてある。
今度はもっと注意しながら読むぞ、と心に決めて読みはじめた。すると、“She came into the living room and sat on the davenport without looking at anything.”という文が目に入った。「ダヴェンポートに腰掛ける?」大文字になっていないが、ダヴェンポートというのは人名としてよく目にする。なぜ小文字なんだろう。訳書を読むと、村上は「大型のソファ」、清水は「長椅子」となっている。今度こそと思って辞書にあたってみると面白い事実が分かった。
同じ単語がアメリカでは椅子を指し、イギリスでは机を指すのだ。もちろん、ダヴェンポートというのが人の名前であることに帰する。イギリスのdavenportは18世紀後期に作られた蝶番式の傾斜蓋のついた書き物机で、今で言うライティング・デスク。ダヴェンポートというのは机の注文主の名だ。側面に引き出しのついているのが機能的でかなり流行ったみたい。そういえば映画で見たことがある。
それに対して、アメリカのdavenportの方は、会社名がベッドにも使える大型ソファを指す普通名詞になってしまったもの。アメリカなど一部の英語圏でしか通用しない呼び方である。チャンドラーは7歳から23歳まで英国で暮らしていた。同じものを指すのでも英国と米国では呼び方がちがうことに意識的であっただろう。なんとなく使われているように思える単語だが、そう考えてみると、英国育ちでアメリカの商業誌に小説を書いているチャンドラーにとっては、あだやおろそかにできないのが、こうした日常的な小道具の呼び名ではなかったろうか。それにしても、所かわれば品かわるというが、同じ呼び名で英国では机、米国では椅子というのは面白いではないか。
ちなみに、以前に書いた文章を引用しておく。
アイリーンがマーロウのオフィスを訪ねた時にマーロウが出すコーヒーカップのことだ。原文を引く。“I set out two Desert Rose coffee cups and filled them and carried the tray in.”このデザート・ローズを村上はそのまま「デザート・ローズのコーヒーカップ」と訳し、清水は「上等のコーヒー・カップ」と訳している。著者(松原氏)は、「コーヒー・カップに絵付けされた“砂漠の薔薇”と呼ばれる観葉植物」と解釈されているが、大文字で書かれているから固有名詞ではないかと思いつき、調べてみた。1940年代のサンフランシスコで売られていた陶器に「デザート・ローズ」というブランドがあって、随分人気があったようだ。時代や場所から見て、ブランド名ととるのが自然ではないだろうか。
第14章のマーロウは、ペーパー・ナプキンと金属トレイの取り合わせを気にしたり、汚れた灰皿を下げたり、実にこまめに動く。暑くなりそうな夏の朝、自宅で起き抜けのところをうら若い女性に襲われれば誰だってそうするだろう。ましてや相手は絶世の美女と来ている。
アイリーンがオフィスでなく自宅に来たことに意味がある。ダヴェンポートは大型のソファであるが、座面の下を引き出すとベッドにもなる寝椅子の一種だ。マーロウも一度や二度は寝たことがあるかもしれない。そこにアイリーンが座った。スリムな灰色のジャガーの運転席から手を振ってみせるアイリーンを、車のかげが見えなくなるまで、じっと見送るマーロウの姿は恋する男のそれである。