marginalia

読んだ本の話や一緒に暮らす猫のこと、それと趣味ではじめた翻訳の話など。

第16章

The Long Goodbye (A Philip Marlowe Novel)
第16章の舞台は、牡猫を思わせるユーカリ独特の匂いに満たされ、死んだように静かなセパルヴェダ・キャニオン。マーロウが愛用のオールズモビルで向かったのはVの頭文字ではじまる三人のもぐり医者の一人ドクター・ヴェリンジャーの経営する芸術家コロニーだ。使われなくなって久しいさびれた施設には、空っぽのプールや、色あせたクッションからスプリングがはみ出したラウンジ・チェアが置きっ放しにされているのが探偵の目に映る。清水訳はこういう情景描写は省エネで行く。村上訳は相変わらず丁寧だ。荒れ寂れた風景は、それを見る人間の心象風景の現れである。マーロウの乾いたセンチメントの表現は大事にしたいところ。

管理棟らしいレッドウッドの建物の屋根を村上氏は「下見張りの屋根」と訳している(清水氏は例によって端折っている)が、屋根を下見張りと形容するのはちょっと無理がありはしないか。建物の四囲に長い板材を横に張り、上端の上に次の板の下端を重ねる張り方が下見張りだ。丸太小屋を作った経験から言わせてもらえば、この“shake roof”は、シングル葺きの屋根のことだろう。「板葺き屋根」でいいのではないか。

広いポーチを持った建物の入り口にある“double screen doors”が問題だ。清水訳は「二重のスクリーン」。そのままだ。村上訳は「両開きの網戸」。スクリーンの上に蝿がとまっていると書かれているので、網戸で正解としたい。ただ、網戸の裏に硝子戸がついているタイプが標準なので、二重という清水訳もイメージとしては理解できる。ただ、「二重のスクリーン」では訳語としてはどうだろう。手抜きととられはしませんか。

その蝿だが、“Large black flies”と、わざわざ複数になっているのに、清水氏は「大きな黒いはえが一匹とまっていた」と、訳している。これは誤訳というより、そう書きたかったのだろう。村上訳は例によって、注意を喚起するように「黒い大きなハエたちが居眠りをしていた」と、書く。ハエの複数を「ハエたち」と、表現するのが、日本語として適当かどうか、ちょっと気になるところだ。

木立の中に点在する丸太小屋の窓にはカーテンが引かれている。“monk's cloth or something on that order”を、清水氏は「坊主の服を思わせるようなカーテン」と直訳し、村上氏はめずらしく「ざらっとした布地の厚いカーテン」と意訳している。映画『薔薇の名前』を見た人なら、きっと、バスカヴィルのウィリアムが着ていたフランチェスコ派の僧服を覚えているだろう。日本語で「坊主の服」と書かれると、袈裟がけの僧侶の姿を思い浮かべてから、ここはアメリカだったと思い出すのでは。村上氏の意訳は、そういう意味では分かりやすい。「修道士」の訳語で、独特の服地のイメージがつかめると思うのだが、それではだめだろうか。

その窓枠に積もったほこりを想像する場面。“You could almost feel the thick dust on their sills”を「窓のヘリにつもっている塵が手でふれられるような気がした」と、するのが清水氏。「窓の下枠にたっぷり積もっているほこりまで目に浮かんだ」と、書くのが村上氏。どちらも直訳調を避けた上手い訳だが、ほこりをより感じるのは手か、目か、どっちだろう。

この場面に登場するドクター・ヴェリンジャーと、彼の使用人アールは、非常に個性の強い人物だ。両氏ともしっかり二人の人物を描き分けている。ヴェリンジャー医師の見せる“The guy had a kind of dignity”を清水氏が訳してないのが解せない。もぐりの医者に威厳は要らないと思ったのだろうか。