母が亡くなり、住人のいない母屋はさすがに傷みが激しくなっていた。旧街道に面して「鰻の寝床」と揶揄される細長い敷地の表通りに建つ母屋を解体することにした。跡地は駐車場にというのが母の考えであった。
ちょうど我が家を建てた住宅メーカーがリフォームの案内を持ってきたので、相談してみると出入りの業者を紹介してくれた。不要になった家具その他の処分も任せることにした。
工事開始は7月24日。家の前に横付けにしたダンプに、家具類や家電、その他廃棄物と見なされるものがどんどん放り投げられてゆく。まる一日かかって、家は空っぽになった。翌日は、いよいよ解体。屋根瓦が一枚ずつはがされ、やはりダンプに投げ込まれていく。瓦をはがし終えると、パワーショベルを使って屋根から崩していく。あっという間に半分が解体された。次の日に残りの半分を解体し、都合三日間で母屋は完全になくなってしまった。
敷地内に井戸があるのはわかっていた。前もってその処理も含めて見積もりをしてあったのだが、解体を請け負った業者は井戸に関して経験がなさそうだった。電話のやりとりがあり、次の日砂を満載したダンプがやってきた。水を満々とたたえた深い井戸に、そのまま砂を入れたからたまらない。溢れた水が敷地内に広がり、手のつけようがない。仕方がないので、パワーショベルで掘った敷地内の土をそこに投入し始めた。掘った後には、あわてて手配したリサイクル土を敷き詰め、なんとか整地はしたのだった。
解体が終わったので、カーポートを建てる業者に連絡をすると担当者が訪れた。井戸の話をすると、まなこ石は抜いたか、神上がりはしてもらったのか、と真剣な顔で訊かれた。息抜きのパイプを通し、枠は外したと聞いたままを伝えた。やはり一度は拝んでもらっておく方がよかろうというので、手配をしてもらうことにした。
当日、遠くから車でやってきたのは、神官の装束をまとった老人と先日の担当者、それに助手がもう一人の三人。北の方角に祭壇を設け、持参した供物その他を手際よく配置してゆく。いよいよ儀式が始まる。井戸の神上がりとカーポートの工事の地鎮祭と二つの宣詞を奏上するのだが、音吐朗々としてまことに丁寧なものであった。
その次にやってきたのは、左官業者だった。ユンボで表土を取り去り、土地改良剤をつかって、土間を固めていった。道路との境に縁石を敷いた位置がまちがっていて、後日やり直しをするという。そして、今日カーポートの部材が到着した。工事開始は8月24日、二日で組み上げるとのこと。そのあとで、下にコンクリートを注入して終わる。
我が家は、この辺では「世古」という狭い路地とバス通りが接するT字路の角地にある。車の出入りする角に電柱が一本立っているのだが、宅地であったときには気にならなかったが、駐車場になると、いかにも邪魔になる。教えてくれる人があったのでNTTに電話をしてみた。どうやら反対側の道路際に移設できそうだ。もちろん費用はこっち持ちだ。今、その見積もりのできてくるのを待っているところである。