marginalia

読んだ本の話や一緒に暮らす猫のこと、それと趣味ではじめた翻訳の話など。

『許されざる者』 辻原登

許されざる者 上 許されざる者 下
日露戦争前夜の明治三十六年(1903)三月、紀伊半島の南に位置する森宮の港にひとりの男が帰ってくる。男の名前は槇隆光。元森宮藩藩医の四男でアメリカで学位を取得後カナダで診療経験を積み、帰朝後森宮で開業していた。貧しい者からは金を取らず、金持ちからは高額の治療費を取る、毒取ル先生と呼ばれていた。そのドクトルが再び海を渡ってインドはボンベイ大学で脚気を研究し、その成果を引っさげての三年ぶりの帰郷である。町は沸き立っていた。

同じ頃、元森宮藩主の長男永野忠庸少佐は八甲田山雪中行軍で遭難死した弟の救出に向かい、その計画の杜撰さを指摘したことで軍から譴責を受け、妻を伴って帰郷していた。物語は、槇と永野夫人の許されざる恋愛を核に、槇の姪、西千春をめぐる甥の若林勉ほか若者たちの競争をからませながら、日露戦争を背景に、開戦論者と幸徳秋水たち非戦論者の闘いを描く一大ロマンスである。

インドから持ち帰ったトンガと呼ばれる二輪馬車を駆って森宮の町を疾駆するドクトル槇の颯爽とした姿は、いかにも大衆好みの設定だが、実は槇にはモデルがいる。佐藤春夫与謝野鉄幹が、その早すぎる死を悼んだ新宮の医師大石誠之助その人である。差別された人々にも進んで施療し「毒取ル」と呼ばれ、太平洋食堂を開業し、洋食の普及に努めるなど、開明的な活動家であったが、幸徳秋水との関係が災いし逮捕され死刑となる。

作家はこの郷土が生んだ傑物の復権を試みたのだろう。脚気の特効薬ベリベリ丸を大陸に持ち込み、脚気に悩む将兵を治療したり、元藩主筋に当たる永野の妻と愛し合わせたり、と大石にはできなかっただろう縦横無尽の活躍ぶりである。モデルといえば、勉や千春には文化学院を開設した西村伊作の風貌が垣間見えるし、千春の結婚相手である上林青年は阪急鉄道や宝塚歌劇団創始者小林一三翁の若き日の姿が重なる。シルクロードの探検隊を組織し帰りの船で槇と出会う谷晃之は真宗大谷派の宗主大谷光瑞石光真清森鴎外、田村花袋、頭山満ジャック・ロンドンという錚々たる顔ぶれは本人の名前で登場する。

ロマンスといえば、本来中世騎士物語のことだが、槇と永野が夫人の愛を争う三角関係は円卓の騎士ランスロットアーサー王の妻、グィネビアと愛を通じ合う有名な物語を思い出させる。ホイッスルという愛馬を駆る槇の姿は囚われの王妃を救い出そうとする騎士を髣髴させるし、思い姫を故国に置いて北の戦場に赴く槇の姿は遍歴の騎士そのものであろう。

階級差というものがはっきりしない現代日本においてロマンスを描こうというのはかなり難しいことにちがいない。その点、まだ旧藩主というものが存在し、同時に西洋の後を一生懸命追いかけていた明治時代なら華麗なロマンスが描けるだろう。時計のネジ巻き屋やガス燈の点燈夫といった職業もこの時代ならでは。アンナという名の入ったロールネットのような小物を使って、トルストイチェーホフの名作を持ち出したりできるのも共通する時代背景があってこそ。

さらには、日本陸軍脚気黴菌説を墨守し、白米食にこだわり脚気による大量の戦病死者を出したという軍事上の事実を重要なエピソードとして持ち込むことで、コッホの説を疑わず、麦飯・パンを食べれば脚気が治るなどというのは非科学的な妄説とした軍医総監森鴎外脚気の特効薬を開発したドクトル槇を対峙させるなど、辻原登ならではの小説的詐術が愉快である。

同時代の日本を描いた司馬遼太郎の『坂の上の雲』を意識したにちがいない設定には、同じ小説家として国民的人気作家に対する挑戦が感じられる。テロルなきアナーキズムやレーニン以前のマルクシズムを奉じる槇のイデオロギーは、その言葉から伝わりはするが、大仏教教団の宗主で爵位を持つ谷と友人付き合いしたり、侠客といえば聞こえがいいが、自分に気がある女親分の力を借りたりと、実際の行動には権力や暴力という力の行使に無思慮に過ぎる気もする。まあ、そこはロマンス、あまり堅苦しく考えるのも野暮だろう。新聞連載小説らしく、誰にでも読みやすく書かれている。暑気払いにはうってつけの痛快巨編である。