marginalia

読んだ本の話や一緒に暮らす猫のこと、それと趣味ではじめた翻訳の話など。

本屋

実家に用があって出かける妻の車に乗せてもらい河崎まで送ってもらった。
用事が終わり、河崎の町をぶらぶらと歩いて帰る。
古本屋があるのだが、あいにく店は閉まっていた。そのまま古い町並みの中を通り抜け近鉄の駅裏に出た。
駅裏の商店街に一軒の本屋がある。以前は警察署の近くに大きな店舗を出していたが、今ではマーケットの一角、橋本紡の『半分の月がのぼる空』で有名になった食堂の隣で小さな店を続けている。その前は、駅前に今でも残る戦後のマーケットの中に店があった。小さな頃よくここで本を買ってもらった。
近くの歯医者に虫歯治療に通っていたのだが、歯医者が好きな子どもはいない。帰りに好きな本を買ってやるからという条件で祖母とバスに乗った。両親は共稼ぎで、どこに行くのも祖母がいっしょだった。色刷りの漫画が単行本で出ていた頃だ。『若乃花物語』や『朝潮太郎物語』など、今でも覚えている。大相撲が人気だった。テレビはまだなかったから、取り組みはラジオで聞いた。
小学校に入る頃には、買う本が物語に変わっていた。まんがは月刊誌が中心で『少年』や『少年画報』を、初めは月一回行く床屋で読んでいたが、後には定期購読するようになった。それを配達してくれていたのが、先代の店主だった。本を買うことについては甘い親だったと思う。その頃、子どもが買うような本ではなかった『カー・グラフィック』をやはり定期購読していた。そのほかに『自動車ジュニア』という雑誌も買っていたから月々の本代はばかにならなかったと思う。母の稼ぎが父のそれを上回っていたからできたのだろう。本来の勤務のほかに内職もよくやっていた。神宮のお札つくりで得た儲けでは、息子一人の本代にも足りなかったにちがいない。
店構えは小さくなったが、本屋の個性というものは変わらない。ベストセラー以外にどんな本を並べているか棚を見れば大体分かる。こういう小規模の店が商売を続けていくのがどんどん難しくなってきている。よくがんばっているな、と思い、探していた本があったらここで買おうと思ったが、残念ながらなかった。店主に軽く会釈をして店を出た。
この間引き出しに引っかけてゆがんでしまった眼鏡のつるを直してもらおうと思い、表通りにある眼鏡店に入った。今使っているのは京都で買ったもので、この店のではないのだが、いつも何かと世話になる。少し時間がかかりますのでといって、女店員が麦茶を出してくれた。歩いてきてのどがかわいていたのでありがたかった。修理が終わり、かけ心地がよくなった眼鏡をかけて店を出た。
間の山を登ると、両口屋の屋根瓦がすっかりはがされていた。後は重機で一気に解体するのだろう。ずいぶん長い間放置されていたので、このまま廃屋化するのだろうと勝手に思っていたが、そうはいかなかった。こんなことなら蔦に覆われた姿をカメラに収めておくのだった。もう後の祭りだ。町並み会議などという組織が活動中のようだがY字路の交点に立つモニュメンタルな建物をあっさり解体してしまうとは。修復してつかうようなことはできなかったのか。残念なことである。