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『哲学の起源』柄谷行人

哲学の起源
社会構成体の歴史を見るとき、マルクスの所謂「生産様式」から見ていく見方では理解することが難しかった近代以前の社会や宗教、ネーションといった上部構造とのつながりが、同じく経済的土台である「交換様式」という観点から見ればよく分かるのではないか、というのが先に上梓された『世界史の構造』で、柄谷が提起した問題であった。
柄谷が主張する交換様式には四つのタイプがあり、「A贈与の互酬、B支配と保護、C商品交換、およびそれらを越える何かとしてのD」がそれである。家族や共同体内部の交換であるAや、税や兵役の代わりに保護を受ける国家と個人の交換様式であるB、さらにCの商品交換と比べ、ある意味抽象的なDには説明が必要だろう。柄谷によれば、「交換様式Dとは、交換様式BとCが支配的となった段階でそれらによって抑圧された交換様式Aが回帰したもの」である。ただ、それはAあるいは共同体のたんなる回復ではなく、Aを一度否定した上で高次元で回復したものとしてある。いいかえればそれは普遍宗教として到来するのである。
紀元前五、六世紀ごろ、イスラエルにエゼキエルをはじめとする預言者が、イオニアに賢人タレスが、インドに仏陀、中国に孔子老子があらわれた。この同時代的平行性には驚くべきものがある。普遍宗教成立に到るこの不思議をマルクスの「生産様式」の変化という観点では説明できない。仏陀老子は古代社会の転換期に出現した自由思想家であった。後に宗教的開祖と目されるようになったが彼らは自由思想家と考えるべきではないか。交換様式Dなるものは、宗教というかたちでしか現れることはできないのだろうか。それについて、ほぼ同時代にイオニア地方の都市国家に出現した自由思想家およびそれを受け継いだ一群の思想家について、改めて考察を試みたのが『世界史の構造』の続編ともいえる『哲学の起源』である。
プラトンアリストテレス以来、哲学の起源はアテネとされ、イオニアは単なるその萌芽でしかなかったと考えられているが、それはちがう。アルファベットもホメロスの作品も貨幣の鋳造も、みなイオニアで始まった。アジア全域の科学技術、宗教、思想が海外交易とともにイオニアに集まってきたからだ。ただ、イオニアは、アジアのシステムにあった官僚制や常備軍、価格統制は持ち込まなかった。
イオニアの政治形態を表す言葉はイソノミア(無支配)である。アテネに始まるといわれる民主主義(デモクラシー)が、氏族的伝統を濃厚に留めた盟約連合体として形成されたポリスを基盤にしたため、階級対立や不平等を払拭できず、多数決原理に基づくデモクラシーという支配体制をとらざるを得なかったのに対し、それまでの特権や盟約を放棄した植民者によって形成されたポリスであるイオニア諸都市では、伝統的な支配から自由であり、経済的にも平等であった。ただ軍事に長けていなかったイオニアペルシャに敗北してしまう。イオニア出身の思想家たちは、他国によって支配された後、他のポリスに赴き、彼らの思想を実際の政治に生かした。ピタゴラスヘラクレイトスパルメニデスといった錚々たる顔ぶれが登場し、彼らの哲学がどんなもので、それがなぜそのようなかたちをとらねばならなかったかを、彼らが暮らしていた都市の政治形態、たとえば奴隷制の有無や僭主制、軍の構成員といった視点から読み解いていく。
哲学という一見難解になりがちな話題をとりあげながら、きわめて平易な語り口で、時には人口に膾炙した哲人、賢人たちの逸話もまじえながら、生き生きとした人物像をつくりあげている。特に、ソクラテスについては一章を割き、プラトンによって捻じ曲げられたその思想、生き方をすくい取って見せる。マルクスフロイト、カントといった柄谷にとって馴染みとなった解析格子を駆使し、ヘーゲルの誤りをつき、イオニア哲学の精華がいかにしてソクラテスの中に胚胎したかを解き明かす。かつて『探究』を読んだときの興奮を久しぶりに思い出した。
現実の社会は国の内外を問わず混迷を深め、何時その抑圧されたものが回帰しても不思議ではない様相を呈している。このようなときだからこそ大きなパースペクティヴで世界を見る必要があるだろう。蒙を啓く一助になる一冊。「起源」好きの著者ならではの表題と、その出版社から専門書のようにとられる恐れがあるので、蛇足ながら付言しておくが、これは専門書ではない。もともとは月刊文芸誌に連載したものを単行本化したものである。気軽に手にとって読んでほしい。