marginalia

読んだ本の話や一緒に暮らす猫のこと、それと趣味ではじめた翻訳の話など。

第32章

ハーラン・ポッター老に呼ばれたマーロウはリンダ・ローリングといっしょにアイドル・ヴァレーにあるローリング邸に向かう。そこはフランスの貴族が女優の妻のために建てた奇妙な建築物だった。マーロウは、そこでポッター氏の現代文明に対する論説を拝聴することになる。
フランスの城を模倣した「灰色の四角い箱のような建物」(清水)が何階建てかが抜けている。原文は“ It was a square gray box three stories high ”と書いてある。続けて“ with a mansard roof, steeply sloped and broken by twenty or thirty double dormer windows ” マンサードというのは、通常二重勾配になった屋根の形状を指し、急傾斜の部分に採光用の窓をつけることが多い。この窓をドーマーと呼ぶ。フランス映画でおなじみの屋根裏部屋の窓だ。村上訳では「灰色の箱を重ねたような三階建ての建物で、屋根は勾配の急なマンサード、そこに二段構えの張り出し窓が二十から三十ほどついている」となっているが、ベイウィンドウならまだしも、ドーマーを張り出し窓というだろうか。二段構えのドーマー窓というのもないわけではないが、ここは両開きと解するほうが自然だろう。
奇妙な館の中に入ってゆくマーロウとリンダ。そこには、大きな扉が。“ half of the big double doors ”を例のごとく清水氏は「大きな二重扉」と訳している。村上訳は「大きな両開きドアの片方が」である。そこには男が一人待っていた。“ an expensive and very snooty-lokking character stood aside for us to enter ” 清水訳では「立派な服装(なり)が身についていない召使が私たちのために道を開けた」。村上訳は「いかにも上等な身なりの、いかにも人を見下したような顔つきの人物がさっと脇に寄って、我々を中に通した」である。” snooty ”には、傲慢なという意味があるから、村上訳が正しい。ローリング医師が雇っている男だ。マーロウを見下したとしても不思議ではない。
館の中に入ると、玄関ホールの細々とした描写が挿入される。
“ It had a tesselated floor and there seemed to be stained-glass windows at the back and if there had been any light coming through them I might have been able to see what else was there ”
清水訳「床はモザイク式で、はるか遠くのステンド・ガラスの窓からかすかな光線がさしこんでいた。」
村上訳「床は細かいモザイクになっており、奥にはステンドグラスの窓があるようだ。もしそれを抜けてくる光が少しでもあったなら、ほかにそこにどんなものがあったか見て取れたかもしれない。」
清水訳の方が映像をイメージ化しやすいのは確かだが、原文からはステンドグラスを抜けてくる光の覚束なさが伝わってくるばかりで、かすかにもせよ彩色硝子の光線は感じられない。ただ“ tesselated floor ”は単にモザイク式の床を意味するのみで、村上氏が何故「細かい」をつけ加えたのかは定かでない。
玄関ホールから老人の待つ部屋までにはほかにも“ double doors ”を通り抜けなければならない。清水氏は「もうひとつの二重扉をとおると」と書くが、村上氏によれば「玄関からさらにいくつかの両開きのドアを抜けた。ドアには彫り物が施してあった」。原文は“ From the hallway we went through some more double carved doors ” で、村上訳が原文に忠実。それにしても、こうして英語の文と翻訳を見比べてみると、日本語に比べ、英語の持つ直截さが強く感じられる。村上氏が原文どおりに訳そうとすればするほど、文章は長くなり、テンポも変わる。清水氏の訳に省略箇所が多いのは原文の持つリズムを活かそうとしてのことのようだ。二人の翻訳を手引きとして原文を読むと、そのあたりがよく分かる。
いよいよポッター老との会見である。威圧感のある大男を前にして、さすがのマーロウも少し緊張気味なのか。“ My voice seemed to echo off into the distance and get small and lonely ”
清水訳「声が遠くへ消えて、私は急に孤独を感じた。」
村上訳「私の声はずっと遠方で、小さくはかなくこだましたようだった。」
その前に二十メートルもの奥行きを持つ部屋であることが紹介されているので、“ small and lonely ” に感じられるのは「私」自身ではなく、村上訳のように「声」ととらえるのが正しい。
眉と同じように髪も黒く一本の白髪もないポッター老人を見て、村上訳のマーロウは「あくまで直感だが、それはかつらで、その下にはおそらくつるつるの頭皮があるはずだ」と見破っている。清水氏がこれをカットしている意味がわからない。鬘だと威厳が失われるとでも考えたのだろうか。
何故事件に首を突っ込むのか説明を求めるハーラン・ポッターにマーロウが言う台詞。
“ Maybe you had better let me have my own notions. Mr.Potter. They are not important, naturally, but they’re all I have. ”
清水訳「僕がどんな考えを抱いているかはぼくの口からいわせてください」
村上訳「私ごときものがどんな考えを抱いたところで害はありませんよ。ミスタ・ポッター。当然ながら、それほど大した考えではありません。とはいえ私には考えのほかに手持ちがない。」
さも自分を卑下したように見せかけながら、その実、言いたいことはしっかり言うというマーロウの性格がよく出ているところだ。清水訳のマーロウは、ちょっとお行儀が良すぎる気がする。
舅であるポッターが娘婿のローリング博士をどう見ているかを表す言葉に“ prig ”というのが出てくる。清水氏は「学究」と訳しているが、この単語、あまり言い意味では使われていないようで、「潔癖症」だとか「上品ぶった」だとか「学者ぶった」といったローリング博士を指すにはぴったりの意味がある。村上氏は意訳して「気取り屋」と訳している。
両氏とも同じ訳で別に問題はないと思うのだが、ポッター老の台詞 “ Terry had just killed his wife ” を「テリーは娘を殺した。」(清)「テリーは間違いなく娘を殺したのだよ」(村)と訳すのが、日本語としては一般的なのだろうか。この場合テリー夫妻に娘がいないから、この「娘」はポッター老の「娘」つまりテリーの妻と分かるわけであって、もしテリーに娘がいたら混乱するだろう。あっさりと「テリーは自分の妻を殺した」ではいけないのだろうか。
老人の演説を聞きながら、マーロウが席を立って、椅子の周りを回りながら感じている独白を清水氏は省略している。“ I needed a little luck. Hell, I needed it in carload lots. ” の部分だ。村上版では「ささやかな幸運を私は必要としていた。トラック一台分のささやかな幸運を」と訳されている。“ carload ”は手許の辞書には「貨車一両分」と出ているのだが、それでは何かまずいことがあるのだろうか。トラックには大型もあれば小型もある。貨車なら大体一両の大きさは決まっていて、イメージするには都合がいいと思うのだが。ささやかな幸運といいながら、その「ささやか」は貨車一両分に相当する。チャンドラー一流のレトリックである。省略するのは惜しいのでは。
この章も清水訳には省略が目立つ。次の文もそうだ。
“ I was sitting there with my mouth open, wondering what made the guy tick. He hated everything. ”
清水訳「私はこの男はなんのために生きているのだろうかと思いながら、口をあけて座っていた。」
村上訳「私はそこに座ってぽかんと口を開け、いったい何がこの男の神経をかくも苛立たせているのだろうかといぶかった。彼はすべてのものごとを憎悪しているのだ。」
マスプロ化された近代文明社会を嫌悪し、自分の財産と権力をもって自分の周りに壁を築き、他人に煩わせられることのない静穏な余生を願って暮らす孤独な老人の中にひそむすさまじい憎悪。チャンドラーは、マーロウの周りに権力者を配するのが好きだ。そしてそれらの人物を存分に描写する。外形描写もあれば心理描写もある。マーロウの目を通して描かれる相手の姿があればこそ、それらに対するマーロウの姿勢がぴたりと決まるのである。この老人に、もう少し娘を思う気持ちが見られたなら、ああまでマーロウはかたくなに真相を暴こうとはしなかっただろう。ここは、そういう意味で伏線でもある。大事に訳したいところだ。それと比べれば次の文などは罪のない省略といえる。
“ his defense would blow your privacy as high as the Empire State Building ”
清水訳「被告がわの弁護士があなたの静かな生活を脅かすからです」
村上訳「被告人弁護人はあなたの私生活をエンパイア・ステート・ビルよりも高く吹き飛ばしてしまうでしょう」。
“ He had a grip like a pipe wrench. ” 話も終り、二人は握手して分かれる。マーロウが感じた老人の握力。「ねじまわしでねじあげたような握力だった」(清)。「彼の手は鉛管レンチのように強かった」(村)。普通「ねじまわし」というとドライバーを思い浮かべるから、清水訳は分かりづらい。一方、「鉛管レンチ」というのも一般的とはいえないだろう。いっそのこと「パイプレンチ」と、そのままにしておく手もあると思うが、何が何でも日本語に変換しないと気がすまないのがプロの翻訳家なんだろうか。
マーロウが最後に感じたハーラン・ポッターという男の人物評である。「たしかに彼の方が役者が上だった」(清)。「この男は大物であり、勝者であり、何もかもゆるぎなく制御されているのだ」(村)。原文は“ He was Mr.Big, the winner, everything under control. ” 村上訳が忠実。役者が一枚上というのは、よく使う言い回しだが、この人物の特徴を言い当てたものではない。マーロウより役者が上の人物は、アメリカには掃いて捨てるほどいるだろう。相対的評価でなく、絶対的評価こそがふさわしい相手なのだ。
玄関で待っていたローリング夫人に首尾を聞かれて、文明についての講釈を聴かされたと、ひとくさり皮肉を言ったあとの“ He’s going to let it go on for a little while longer ” を、清水氏は「話はもっとつづきそうでした」とやっているが、ここは村上氏のように「あとしばらくは現状のままに放置しておくおつもりのようだ」と訳すのが正しかろう。