原題は“ Author, Author ” 。つまり『作者、作者』の意味で、劇の幕が下りて拍手が鳴り止まず、カーテン・コールに作者の登壇を呼びかける観客の掛け声。もっとも、それがブーイングの声といっしょにかかるときは、「作者を出せ!」つまり、「責任者出て来い!」の罵声ともなるのだが。
ジェイムズ・ジョイスやプルーストらに先駆け、モダニズム文学の礎を築いた作家として知られるヘンリー・ジェイムズが、その生涯の一時期、劇作家を目指したことはあまり知られていない。いや、ありていにいえば、今でこそ映画化された作品も数多く、その名は英米文学を代表する作家として有名になっているものの、ヘンリー・ジェイムズの小説自体どちらかといえば通好みで、一種の幽霊譚である『ねじの回転』を除けば、あまり知られていないのではないだろうか。
日本にかぎらず、英国においても事情はあまり変わらなかったようだ。出版される本の評判はよくても、売れ行きはかんばしくなかった。その一方でヘンリーは、一冬に百をこえる晩餐の招待を受けるなど友人との社交を大事にする人であった。季節に応じて、イタリアやフランスといった海外の地も含め、イギリス各地に屋敷を借りて執筆や社交に勤しんでもいる。もともと父親は米国きっての資産家であったが、遺産の一部は病がちの妹アリスに贈与しており、生活を維持するためにも作品が売れる必要があったのだ。
遺された書簡から、ヘンリーとジョージ・デュモーリエの親交が篤かったことに着目したロッジは、売れない小説家を休業し、売れっ子劇作家を目指すヘンリーと、雑誌『パンチ』の挿絵画家として知られ、その当時ブラム・ストーカーの『ドラキュラ』に次いで読まれたベストセラー小説の作者であり、後に劇化された『トリルビー』の原作者として大金を儲けたデュモーリエを対比的に描くことで、ヘンリー・ジェイムズの伝記小説を書くことを思いつく。
今ではデュモーリエといえば、ヒッチコックの映画『レベッカ』や『鳥』の原作者で、ジョージの孫娘にあたるダフネ・デュ・モーリアのほうが有名かもしれない。しかし、『トリルビー』は、当時劇中の役者がかぶっていた帽子に似た中折れ帽にトリルビー・ハットという名前がつけられたほど、一世を風靡した人気芝居であった。問題は、著名な小説家であるヘンリーが、目を悪くした画家に小説を書くことを勧めたことにある。処女作の好評に気をよくしたジョージは、二作目の『トリルビー』で大ブレイクする。一方、ヘンリーは、一作目の『アメリカ人』こそ、地方ではまずまずの入りだったものの、ロンドンではこける。名誉挽回を期した『ガイ・ドンヴィル』だったが、天井桟敷の観客から大ブーイングを受けてしまう。親友の成功を喜ぶ心と嫉妬心の葛藤に悩むヘンリー。
小説は、ヘンリーが死の床に着くところから書き起こされ、劇作家として悪戦苦闘する時期に回帰し、再び臨終の場面にもどる。後に『ねじの回転』となる話を大主教から聞く場面や、後期を代表する三部作の着想を得た場面なども登場はするが、軽く触れられる程度で、小説の主眼は、劇作家ヘンリー・ジェイムズの失意と、そこからの回復を描くことにある。
読者は、ロッジの筆によって、人間ヘンリー・ジェイムズの姿にふれることができる。それはもちろん、作家の想像力の所産ではあるが、単に家族や文学者仲間にとどまらず、従僕のバージェスはじめ雇い人の子孫からも話を聞くなど徹底的な調査から知りうる限りの資料に基づいて書かれている。生涯童貞だったと伝えられるヘンリーには、同性愛者ではなかったのかという疑惑があるが、フェニモア・クーパーの甥の娘にあたる女性や、劇作家としてライヴァル視されるオスカー・ワイルドとの関係など、伝記的興味を満足させる面にも紙数を割いている。
しかし、何よりもこの小説から感じられるのは、作者のヘンリーに対する愛ではないだろうか。融通がきかず、慇懃で、もってまわった物言い。それでいながら家族、友人は無論のこと、使用人、愛犬に至るまで周りの者を大事にする善良な人物ヘンリー・ジェイムズを視点人物に据えることで心理小説の大家ならではの自己省察がたっぷり読める、この小説から伝わってくるのは、難解な芸術小説の書き手として知られるヘンリーの人間的な弱さも認めたうえでの誠実さではないだろうか。もちろん、コミック・ノヴェルの名手の筆になる伝記小説である。ヘンリー・ジェイムズを描いてこれほど面白い小説が書けることに驚いてしまう。巻を措く能わず、というのはこういう本をさすのだろう。
劇評家としてデビューしたてのバーナード・ショーやH・G・ウェルズも顔を見せている。これが近作の『絶倫の人』につながる。当時の文士の社交生活が如何に華やかなものであったことか。モーパッサンやドーデーとの交遊からフランス人作家の女道楽ぶりを、レズリー・スティーヴン一家との交遊からは、後のヴァージニア・ウルフの才気煥発な姿が。自転車の練習中にぶつかりかけた少女アガサが長じて作家クリスティーになるとか、作家的想像力も駆使し、同時代に生きた文学者の老いも若きも総動員して人物相関図を描くことに成功している。文学好きにはまたとない贈り物である。