マーロウはリーガン夫人、つまり将軍の上の娘に呼ばれ、部屋を訪れる。その第一印象が語られる。
<部屋は大きすぎ、天井は高すぎ、ドアも高すぎた。部屋中に敷きつめられた白い絨毯はアロウヘッド湖に降った新雪のようだった。等身大の姿見やら、クリスタル製の安ぴか物がいたるところにあった。象牙色の家具にはクローム鍍金が施され、馬鹿でかい象牙色の厚地のカーテンは白い絨毯の上に崩れ落ち、窓から一ヤード離れたところまでもつれあっていた。白は象牙色を汚く見せ、象牙色は白を貧血じみて見せていた。窓は暗さを増す丘のふもとに面していた。もうすぐ雨がやってくる。空気には既に圧迫感があった。>
”the enormous ivory drapes lay tumbled on the white carpet a yard from the windows.”を双葉氏は「大きなぞうげ色の衝立が、窓から一ヤード離れたじゅうたんの上にひっくりかえっていた」と訳しているが、これは、まちがい。「ドレープ」は、厚手の生地でできたカーテンのことである。双葉氏は、横引きのカーテンが絨毯の上に一ヤードも転がったり横たわったりすることがイメージできなかったにちがいない。近頃のカーテンは床の高さで切られているが、少し前までは二重になったカーテンの室内側の方は、床の上で弛みができるほどたっぷりした丈に作られていたようだ。村上氏は「堂々たる象牙色の厚手のカーテンは、白いカーペットの上に垂れ落ち、窓から一メートル近くもつれて広がっていた」と、いつものようにヤードはメートル法に換算して訳している。部屋の中には”full-length mirrors”(村上訳「全身鏡」、双葉訳「大きな鏡」)のほかに”crystal doodads”(村上訳「水晶でできたがらくた」)もあったはずだが、双葉氏には珍しく訳から脱け落ちている。チャンドラーの筆は、冒頭の情景描写に呼応して、雨が近づきつつある窓外の気配をさりげなく挿入するあたりが心憎い。
<私は深く柔らかなソファの端に腰をおろし、リーガン夫人を見た。彼女には見つめるだけの値打ちがあった。まさに「トラブル」そのものだった。現代的な寝椅子にからだを伸ばし、スリッパは脱いでいた。それで、私は透き通った絹の靴下越しに彼女の両脚をじっと見つめることになった。見つめられることを意識して配置されているようだった。両脚とも膝まで、片方はもっと奥まで見えた。膝には笑窪があり、骨張っても尖ってもいなかった。ふくらはぎは美しく、長く細っそりした足首のラインは、そのままで交響詩の旋律だった。背は高くほっそりして、一見すると強そうに見えた。頭は象牙色のサテンのクッションに押し当てていた。髪は黒く硬く、真ん中で分け、ホールの肖像画と同じ熱く黒い目をしていた。形のいい口と顎をもち、唇は心もち拗ねたように下がり、下唇はぷっくりしていた。>
”The calves were beautiful, the ankles long and slim and with enough melodic line for a tone poem.”<ふくらはぎは美しく、長く細っそりした足首のラインは、そのままで交響詩の旋律だった>のところを、双葉氏は「脛(ふくらはぎ)は美しく、足首はほっそりして、韻をふんだ詩みたいになめらかな線だった」と訳す。村上氏は「ふくらはぎは美しく、踵(かかと)は細くすらりとして、その滑らかな旋律は交響詩の一節になりそうだ」と訳している。”a tone poem”を双葉氏は「韻をふんだ詩」と、読んだわけだが、その前にある”melodic line”の持つ音楽性を無視しては拙いのではないだろうか。ここは、ふくらはぎから足首にかけてのラインを、音符のつながりが作るメロディー・ラインに見立てて、そのなめらかな曲線を賛美している、と読むのが正解ではないか。そう考えたとき、双葉氏は、せっかく「なめらかな線」という形象を浮かび上がらせながら、「韻をふんだ詩」という音韻を持ち出すことで、喩えがうまく成り立たないきらいがある。また、村上氏の場合、細くすらりとした踵を「滑らかな旋律」に喩えることで比喩として成立してはいるが、せっかくのラインという言葉を響かせ損ねている点が惜しい。
<彼女は酒を手にしていた。一口飲み、グラスの縁越しに冷ややかな眼差しをまっすぐ私に投げてよこした。
「それで、あなたが私立探偵というわけね」彼女は言った。「そんなものが本当に存在するなんて知らなかった。本の中は別よ。いるとしても、ホテルを嗅ぎまわる脂ぎった小男だと思っていたわ」
私には関わりのないことだった。だから聞き流していた。彼女は寝椅子の平らな肘掛の上にグラスを置くと、エメラルドをきらめかせ、髪に触れた。彼女はゆっくり言った。「父は、気に入った?」
「気に入りました」私は言った。
「父はラスティが気に入ってた。ラスティのことは知ってる?」
「ふうむ」
「ラスティは時には粗野で無作法だった。だけど、彼はまちがいなしの本物。そして、父をとっても楽しませてくれてた。ラスティは、あんなふうに消えちゃいけなかった。父はそのことでたいそう心を傷めたの。口じゃそうは言わないけど。あなたには言った?
「そのことについては話がありました」
「あまり、おしゃべりな方じゃないようね、ちがう?マーロウさん。でも、父は彼のことを探し出したい。そうじゃない?」
私は少し間を置くあいだ礼を失しない程度彼女を見つめ、「そうでもあり、そうでもない」と言った。
「それでは、ほとんど答えになってないわ。彼を見つけられそう?」
「私はまだやってみるとも言ってません。なぜ、失踪人捜査課を頼らないんです?彼らには組織があります。これは一人でやる仕事じゃない」
「父は、この件に警察を関わらせることを嫌がるでしょう」彼女は、再びグラス越しに滑らかな視線で私を見遣ると、酒を飲み干し、呼鈴を鳴らした。脇のドアからメイドが入ってきた。黄味がかった面長で優しげな顔つきの中年の女性で、長い鼻をし、顎がなく、濡れたような目をしていた。長い間働いた挙句用済みとなって放牧場に戻ってきた気立てのいい老馬みたいだった。リーガン夫人が空っぽのグラスを揺らすと、彼女はお代わりをつくり、手渡すと部屋を出て行った。無言で、私の方を一顧だにせず。
ドアが閉まると、リーガン夫人は言った。「それで、あなたはどうするつもり?」
「いつ、どうやって彼は出て行ったのですか?」
「父は言わなかったの?」
私は首をかしげ、彼女ににやっと笑いかけた。彼女の顔が真っ赤になった。熱く黒い瞳は怒りを帯びていた。「隠し立てなんか願い下げよ」彼女はびしっと言った。「それと、あなたの態度は気に入らない」
「誰もあなたに夢中ってわけじゃない」私は言った。「私が会いたがったんじゃない。あなたがそう言ってよこしたんだ。上流ぶって見せようが、ランチ代わりにスコッチを一瓶飲みほそうが知ったこっちゃない。おみ足を見せびらかすのも構わない。素敵な脚で、お近づきになれたのは光栄の至りでしたがね。私の態度をどう思おうが知っちゃいない。確かに良くはないさ。長い冬の夜なんか悲嘆に暮れますよ。けどね、私を尋問しようなどというのは時間の無駄遣いだ」>
「そうでもあり、そうでもない」と訳したところ。原文は”Yes and No,” だ。村上氏は「答えはイエスであり、ノーです」と、ほぼそのまま日本語にしている。英語の持つ、こいうシンプルさがたまらないのだが、そういったシンプルさが何とか日本語にならないか、と考え悪戦苦闘中である。因みに双葉氏は「たのんだともいえるし、たのまないとも言えますね」と、丁寧に意訳している。リーガン夫人に対して、マーロウが切ってみせる啖呵がいい。こういうところを訳すのは面白い。原文を次に示す。
”I’m not crazy about yours,” I said. ”I didn’t mind your ritzing me or drinking your lunch out of a Scotch bottle. I don’t mind your showing me your legs. They’re very swell legs and it’s a pleasure to make their acquaintance. I don’t mind if you don’t like my manners. They’re pretty bad. I grieve over them during the long winter evenings. But don’t waste your time trying to cross-examine me.”
”I’m not crazy about yours,”を双葉氏は「もったいぶってるわけじゃない」と訳す。これは、その前にあるリーガン夫人の言葉を双葉氏が「なにも、もったいぶることなんかないじゃないの」と訳したのを受けてのことだ。村上氏は「私もあなたのマナーをとくに気に入ったわけじゃない」と訳している。これも、その前の夫人の”And I don’t your manners.”を受けての意訳だ。プロの翻訳家と世界的な作家がこんなふうに意訳しているのだから、そういうものか、とも思うのだが、夫人の、誰もが自分に夢中になるにちがいないという思い込みを、一度ぺしゃんこにしてやろうというマーロウの目論見だろうから、あえて、直訳してみた。
”I didn’t mind your ritzing me or drinking your lunch out of a Scotch bottle. “のなかに出てくる”ritzing”が、最初分からなかった。でもスペルをよく見ると、あのスナック菓子を思い出し、連想ゲームのように、ハリソン・フォードの映画を思い出した。主人公が記憶をなくし、逢引きに使っていた高級ホテルのリッツ・カールトンの「リッツ」を菓子の「リッツ」と取り違え、菓子箱の絵ばかり描く場面だ。双葉氏はここを「あなたが高慢ちきなところを見せびらかそうと、昼食がわりにスコッチを一本あけちまおうと、僕はかまわん」。村上氏は「私の前でえらそうにしようが、スコッチを昼食がわりにしようが、それは私の知ったことではない」と訳している。辞書にもちゃんとホテルの「リッツ」から来ている言葉で、「みせびらかし・誇示」の意と、載っている。
<彼女が叩きつけるようにグラスを置いた、そのはずみで残っていた酒が象牙色のクッションの上にはねた。彼女は脚を床に向けて振るようにして立ち上がった。目は火花を発し、鼻孔は広がっていた。口は開かれ、ぎらぎらと輝く歯が私を睨みつけた。拳は白くなっていた。
「誰も私に向かってそんな口はきかないわ」しゃがれ声で言った。
私は座ったまま、にやりと笑いかけた。たいそうゆっくりと彼女は口を閉じ、こぼれた酒を見おろした。寝椅子の端に腰をおろし、顎に一方の手をあてがった。
「ったくもう、あなたは大きくて腹黒いハンサムな獣よ。ビュイックをぶつけてやれたらいいのに」
私は親指の爪でマッチを擦った。珍しいことに一度で点いた。煙を宙に吐き、待った。
「人を人とも思わない男は大嫌い」彼女は言った。「どうしようもなく、へどが出る」
「何を怖がってるんですか?リーガン夫人」
彼女の目が白くなった。そのあと、目全体が瞳孔になってしまったみたいに黒くなった。鼻孔はつままれたようにせまくなった。
「父があなたにしてほしかったのはそれが全部だというの?ちがうでしょ」彼女はやっとしぼり出したよう声で言った。声にはまだ、私に対する怒りの切れ端が纏いついていた。「ラスティのことよ。そうだったんでしょ?」
「お父さんに訊かれたらいい」
彼女は、また燃え上がった。「出ていって。さっさと出ていきなさい」
私は立ち上がった。「座りなさい!」噛みつくように言った。私は座った。手のひらを指でたたきながら、待った。
「お願い」彼女は言った。「お願いよ。あなたはラスティのことを探し出せるわね。もし、父がそう頼んだとしたら」
それもやはり役に立たなかった。私はうなずき、そして尋ねた。「彼はいつ出て行ったのですか?」
「ひと月前のある日の午後、彼は何も言わずに車で出かけた。車は彼らがどこかにある私用の車庫で見つけた」
「彼ら、とは?」
彼女は魅力を取り戻した。全身から力みが抜けたようだった。それから勝ち誇るように微笑んだ。「父はその時の話をしなかった」彼女の声は上機嫌といってもよかった。まるで私の一歩先を行っているかのように。もしかしたらその通りだったのかも知れない。
<彼女が叩きつけるようにグラスを置いた、そのはずみで残っていた酒が象牙色のクッションの上にはねた。>のところ。双葉氏は「彼女はグラスをたたきつけるように置いたが、はずみでぞうげ色のクッションの上へころがった」と訳している。原文は”She slammed her glass down so hard that it slopped over on an ivory cushion.” 一見したところ問題がないように思えるが、ひっかかるのは”slopped”だ。”slop”は、「(液体)を(ぼとぼと)こぼす、(ピチャピチャ)とはねを上げる」のように液体がこぼれたときの様子を表す動詞だ。とすれば、象牙色のクッションの上に落ちたのは、グラスそのものではなく、中に入っていた飲み物を指しているのだろう。村上訳は「彼女はグラスを叩きつけるように置いたので、中身がいくらか象牙色のクッションにはねた」となっている。
<「ったくもう、あなたは大きくて腹黒いハンサムな獣よ。ビュイックをぶつけてやれたらいいのに」>原文は、”My God, you big dark handsome brute! I ought to throw a Buick at you.”だ。この「ハンサム」、双葉氏は「背は高く、色浅黒く、好男子のけだものさん」と訳しているが、村上氏は「大きくて、ハンサムで、どす黒い獣みたいなやつ」と、ハンサムのままだ。スマートもそうだが、ハンサムにも見かけ以外に「賢い」のような意味がある。同じく「ダーク」にも目で見える黒さ以外に心象としての黒さを表すことがある。いっそ、「ビッグ、ダーク、ハンサム、ブルート」とそのまま日本語にしてしまったほうがニュアンスが伝わるのではないか、とさえ思った。
<彼女の目が白くなった。そのあと、目全体が瞳孔になってしまったみたいに黒くなった。>原文は、”Her eyes whitened. Then they darkened until they seemed to be all pupil.”だが、双葉氏は「彼女の目が白くなった。と思う間に、全部がまつげみたいに黒くなった」と訳す。”pupil”に「まつげ」の意味はない。中学校で習った英語では小学生までの子どもを表す意味と覚えていたが、相手の瞳のなかに小さく人の形が映ることから、転じて「瞳」を意味するようになったらしい。
”She got cunning”<彼女は魅力を取り戻した>を双葉氏は「彼女はだんだんずるくなってきた」、村上氏は「彼女は小狡(ずる)い顔になった」と、訳している。ふつうはそうだろう。「カンニング」は芸人の名前に使われるくらい日本語化している。しかし、稀にだが、特別な場合「魅力的な」とか「可愛い」とかの意味で使われることがあるらしい。文脈で考えると、それまでマーロウにやられっぱなしだった夫人が、ここでやっと一本取り返したという場面である。すぐ、そのあとでマーロウも渋々ながら、事実を認めている。だとすれば、ここで彼女の見せる勝ち誇ったような笑顔が広がる、その少し前の表情は、けっこう可愛く見えたのじゃないだろうか。マーロウの目を通して見るのだ。「ずるさ」を見たとしたなら、マーロウは自分の負けたのが悔しかったのだろう。魅力的に見えたのなら、相手の勝ちを称えたといえる。あなたなら、どちらを採るだろうか。
<「リーガン氏のことは聞いた。が、お父さんが私に会いたがったのはそのことではない。私に言わそうとしていたのは、それだろう?」
「いいの。私、あなたが何を言おうが気にしない」
私は再び立ち上がった。「それでは、そろそろお暇することにしよう」彼女は何も言わなかった。私はそこから入った背の高い白いドアの方へ行った。振り返ると、彼女は歯で唇を噛んでいた。絨毯の縁飾りを噛む仔犬みたいに。
私は外へ出た。タイル敷きの階段を下りて玄関ホールに出ると、執事がどこからかふらっと現われた。手に私の帽子があった。彼がドアを開けてくれている間に私はそれをかぶった。
「君はまちがってたよ」私は言った。「リーガン夫人は私に会いたがってなんかいなかった」
彼は銀髪の頭を下げ、慇懃に言った。「失礼しました。私は粗相が多いようです」彼は私の背でドアを閉めた。>
父が探偵を呼んだ目的は夫の捜索ではなかった。それが分かった夫人にマーロウは用無しだ。しかし、夫の行方は相変わらず分からない。どうしたらいいのか、不安は募る。その様子を表した一文。
”When I looked back she had her lip between her teeth and was worrying it like a puppy at the fringe of rug.”を双葉氏は「彼女はくちびるをかみ、困ったような顔をしていた。敷物の縁飾りをかんでいる狆ころみたいだった」。村上氏は「振り返ると彼女は唇を噛みしめ、絨毯の端っこに挑む小犬のようにそれを手荒く扱っていた」と訳している。「困ったような顔」や、「手荒く扱っていた」は、”worrying”の意を汲んだものだろうが、”worry”には、よく知られた「心配する」のほかに「(動物が)…をくわえて振り回す」という意味がある。村上氏は、それを採ったのだろう。ただ、その様子は、小犬の比喩で分かるように配慮されている。あえて、屋上屋を重ねる必要はないのではないか。
<私は階段の段上に立ち、煙草の煙を吸い込み、花壇や刈り込まれた樹木が鉄柵まで続くテラスを見下ろした。金箔を被せた槍をつけた鉄柵は地所を取り囲んでいた。曲がりくねったドライヴウェイが土止め擁壁の間を抜けて、開いた鉄の門まで下っていた。柵の向こうに数マイルに及ぶ丘の斜面が広がっていた。その麓のはるか遠くには、スターンウッド家がそれで金を儲けた油井の木製櫓がいくつかかろうじて見える。それら現場のほとんどはきれいに整地された後、スターンウッド将軍によって市に寄贈され、今では公園になっている。しかし、少しは残っていて、その内の一群の井戸は今でも一日あたり数バレルの石油を生産している。スターンウッド家の者は、丘の上に移転してからは腐りかけた溜り水や石油の臭いを嗅がずにすむようになった。が、今でも正面の窓からは彼らを金持ちにした縁(よすが)を見ることができた。もし彼らが望めば、だが。私は彼らがそうしたがるとは思えなかった。>
映画でも見ているようにハリウッド郊外の景色が目の前に広がってくる。しかし、情景描写とはよく言ったもので、マーロウの目を通し、チャンドラーの文明批評が言葉の端々に顔をのぞかせている。スターンウッド一族も、以前は映画『ジャイアンツ』でジェイムズ・ディーン演じる青年のように、噴出す原油に目を細めたものだろうが、資産家となった今では、ヨーロッパの王侯貴族が暮らす城のような大邸宅を建て、優雅に住みなしている。しかし、内実はヤク中の娘の不始末やら、家出中の闇酒密売人の夫を持つ娘やらに頭を悩ます死にかけの老人が暮らす抜け殻のような屋敷に過ぎない。広大な敷地を取り囲む金ぴか槍の鉄柵と、その向こうに煙るように見える昔を知る油井の櫓。いくら距離を置こうが、臭いものは臭いのだ、と言いたいようなマーロウの口吻である。
<私は、柵の内側に沿ってテラスからテラスへと続く煉瓦敷きの小路を歩いて下り、門を出て路傍の胡椒木の下に停めてあった車のところまで行った。今や丘の麓に雷鳴がとどろき、上空は暗紫色をしていた。土砂降りになりそうだった。空気にはじめじめした雨の予兆があった。私はコンバーチィブルの幌を上げると、ダウンタウンに向けて走り出した。
彼女は素晴らしい脚をしていた。それだけは彼女のために言っておきたい。彼女と彼女の父は、そこそこ人あたりのいい市民だった。彼はおそらく私を試そうとしたのだろう。彼が私に与えた仕事は弁護士の仕事だ。もし、「稀覯書及び愛蔵本」取り扱いのアーサー・グウィン・ガイガー氏が強請り屋だったとしても、まだ弁護士の領分だ。目にしたよりもっと多くのものが隠れていた場合は別だが。ちらっと見たところ、かなり面白そうなことが見つかりそうに思えた。
私はハリウッド市立図書館まで車を走らせ、『有名初版本』という古ぼけた書物を繰り、付け焼刃で調べものをした。半時間ほどもやったら昼飯が食いたくなった。>
先ほど俯瞰した景色を、今度はマーロウに歩かせるという、どこまでも映画的な手法で筆を進めてゆくチャンドラーである。<『有名初版本』という古ぼけた書物から半可通な知識を手に入れた>は、原文では”did a little superficial research in a stuffy volume called Famous First Editions.”。双葉訳は「そして『初版研究』と称するかび臭い本をちょっと調べた」。村上訳は「『有名な初版本』という古臭い書物のページを開き、即席の知識をいくらか仕入れた」。双葉訳は、きびきびしたテンポが小気味よいが、”superficial”(浅薄な)が効いていない。村上訳は、意を尽くした訳といえる。尽くし過ぎているかもしれない。