marginalia

読んだ本の話や一緒に暮らす猫のこと、それと趣味ではじめた翻訳の話など。

『バンヴァードの阿房宮』ポール・コリンズ

バンヴァードの阿房宮: 世界を変えなかった十三人
世の中には、どうしてこんな物をと思うようなものに執着する人が必ずいる。傍目から見ればごみ屑同然でも、当人にとっては宝物なのだ。ポール・コリンズにとって「歴史の脚注の奥に埋もれた人々。傑出した才能を持ちながら致命的な失敗を犯し、目のくらむような知の高みと名声の頂点へと昇りつめたのちに破滅と嘲笑のただ中へ、あるいはまったき忘却の淵へと転げ落ちた人々。そんな忘れられた偉人たち」が、それだった。

ここに紹介された十三人は、今や誰も知る人がいない。だが、当時は英国王室で歓待を受けたり、その技芸で世界中の劇場を賑わしたりした人たちである。彼らの名声が地に落ちた理由は人それぞれだが、そのドラマチックな点は共通する。成功談より、失敗談の方が面白いということもあるだろう。だが、それだけではない。彼らに共通する、人を疑わず、自分を信じ、ひたすら邁進する――立ち止まるべきところであるにもかかわらず――その生き方に、コリンズは惹かれているようだ。

合衆国はアメリカン・ドリームを信じる人で溢れている。意欲さえあれば、いつか成功する、それがアメリカだ、と。「だが、現実に僕たちが褒め称えているのは、大金を稼ぐ以外には何の能力もない人々、騙され侮られた人々を踏みつけにして成功した連中ばかりだ」と、コリンズは慨嘆する。歴史は勝者によって書かれる。勝者の栄光の陰には、同じ夢を追いながら敗れた者がいる、著者が書きたかったのは、敗者の論理なのだろうか。小説家としての才能があれば、この中の何人かのエピソードは充分面白い小説になるだけの材料に溢れている。これを書いていたときの著者の心中に「僕もまた敗者なのでは」という疑念が鬱勃としていたのではなかろうか。

科学史上の大発見と騒がれた光線の発見者がいる。有名なコンコード種の葡萄の苗を開発しながら、あのグレープ・ジュースのウェルチを儲けさせただけの人物がいる。音で世界共通言語を創ろうとした人、ガラスを透過する青色光線が病を治し、生物の成長を促進することを証明した人物、と当時は評判を呼んだ人々が多数登場する。なかでも題名にある阿房宮の主バンヴァード、シェイクスピアの贋作者ウィリアム・アイアランド、偽台湾人で『台湾誌』の著者サルマナザールのポルトレが、特に生き生きしているように思えた。

ジョン・バンヴァードは、巨大なキャンバス上にミシシッピ河の流れを描いた風景画を、クランクで巻き取りながら長尺のパノラマとして見せるショーの開発者として成功した人物。米英で人気を博し、大邸宅まで建設しながら、あの興行師バーナムの挑発に乗り、見事に負けて全財産をなくしてしまう。アイデアの開発者であり、陳列物は本物なのに、やり手興行師の宣伝の巧さにしてやられたバンヴァードの悲哀に著者ならずとも、正直者がばかを見るこの世の非情さを恨みたくなる。

自分をのろまと見て顧みない父を見返そうとして、つい手を染めた贋作が、評判を呼び、やめようにもやめられなくなったウィリアムは、とうとう作家が書いてもいない戯曲を作家の筆跡で書き上げるという途方もない企てに挑戦する。シェイクスピアの贋作者として有名な話を、心身とも虚弱で疎んじられた若者が、自分の持つ他に抜きん出た能力を発見し、自己実現してゆく話として描いているところに著者ならではの視点があり、ポルトレとして成功している。

サルマナザールも種村季弘ほかによってすでに紹介済みの有名人だが、ラテン語がしゃべれるのを強みに、出自を偽って、アイルランド人や日本人に成りすまし、口から出まかせの嘘八百を並べるだけでは収まらず、ついには行ったこともない台湾についての本まで出版するという、稀代の嘘吐き。それだけの能力があるなら、もっと何かできそうなものなのに、偽台湾人で食えればそれでいい、という欲のなさ。この人物のエキセントリックさも飛び抜けている。

科学史に残る逸話を扱ったものもいくつかあるが、もともと本好きが嵩じて、この世の片隅に置き去りにされた人物についての挿話を博捜するのを仕事にした著者である。文学、劇、芸術に関わる人物を扱うときのほうが筆が走るようだ。本人の専門がアメリカ文学の源流ともいうべき作家にあるのか、エマソンホイットマンホーソーン、E・A・ポオらの名前が、ことあるごとに顔を出す。もともと、そちらの資料を追っていて、これらの人々を発見したのかもしれない。

ポール・コリンズの名は、『古書の聖地』で見知っていた。ヘイ・オン・ワイで本屋稼業の見習いをしていたときには、この本はすでに書かれていたようだが、なかなか出版先が見つからなかったようだ。その後、何冊か売れたことにより、やっと日の目を見たということらしい。よくも集めたものだが、十三人も登場させれば、ばらつきが出るのは仕方がない。当然のことながら、中には事跡は眼を引くものの人間的には真面目一途の善人という人もいて、ぴちぴちタイツでロミオを演じるアンティグア出身のキャンプ俳優、ジョン・コーツなどという際物連中の中では影が薄く、その分損をしている。