映画監督フランソワ・トリュフォーを相手に、日本における友人といってもいい山田宏一と仏文学者にして映画批評家蓮實重彦が行ったロング・インタビューがトリュフォー没後三十年を記念して、やっと単行本として刊行された。この本に目をとめる人は、おそらく映画ファンで、レビューなど参考にせずに読むにきまっているから、何を書いても空しい気もするが、読後の感想くらいは書いておきたい。
この三人の名が連なるものとしては、すでに『定本 映画術 ヒッチコック/トリュフォー』(晶文社)という本がある。映画監督になっていたトリュフォーが断られるのを覚悟でヒッチコックにインタビューを依頼する手紙を出したところ、意外なことにOKが出て可能となった映画ファン必読の名著だ。そのインタビューの邦訳者が山田、蓮實両氏だった。私見だが、『トリュフォー最後のインタビュー』は、前掲本へのオマージュとして作られているのではないだろうか。和田誠による装丁は平野甲賀のブック・デザインを意識して踏襲しているように思える。
了承されてもずっと先のことだろうと思っていたインタビューが、ヒッチコックのすぐやろうという返事で、あわてたことが本書にも書かれているが、作品を年代順に通して見直し、用意した質問は五百項目に及んだ。インタビューの目的と内容は以下の通りであった。
(1)一本一本の作品がどのようにして生まれてきたか。その具体的な製作事情、発想。
(2)一本一本のシナリオがどのようにして組み立てられたか。その具体的な構想、展開。
(3)一本一本の作品を演出するにあたって生じた諸問題をどのようにして解決したか。その具体的な個々の例。ディテール、等々。
(4)一本一本の作品をヒッチコックがどのように評価するか。当初の抱負とできあがった作品の商業的及び芸術的な価値についての判定。
上記の「ヒッチコック」の部分を「トリュフォー」と入れ替えれば、このインタビューの目的、内容となる。項目別に並べると鹿爪らしいが、映画が好きで仕方がない人間同士が、大好きな映画について語るのだ。しかもインタビュアーは、相手を敬愛していることがよく分かっている。長い付き合いの山田氏相手には語らないことも、第三者である蓮實氏が加わることで、最初に戻って丁寧に答えているので、話がよく見えるのもありがたいところ。
ゴダールと並ぶヌーヴェル・ヴァーグの双璧と目されていながら、五月革命以来、過激化する一方のゴダールと袂を分かち、裏切り者扱いを受けながらも、商業的な映画を撮り続けてきたトリュフォーは、果たして本当に「転向」したのだろうか。ジャン=ピエール・レオーによるアントワーヌ・ドワネルものから、遺作となった『日曜日が待ち遠しい!』まで、ヒッチコックのときと同じく製作年代順に一本一本の映画について、実に具体的に、しかもヒッチコックとちがって、シニカルになったりジョークで煙に巻いたりすることなく、真摯に語るトリュフォーの姿から、本当に映画が好きなのだ、ということがよく伝わってくる。
ウィリアム・アイリッシュの原作が気に入って映画化した『黒衣の花嫁』だが、カラーで撮ったのが失敗だったと語る。フランスのミステリ・シリーズ「暗黒叢書」(セリ・ノワール)好きで、アメリカで有名になる前から仏訳されたアイリッシュやハイスミスを愛読していたトリュフォーは、その独特のミステリアスな雰囲気が派手な色彩によって失われてしまったことを後悔していた。遺作となった『日曜日が待ち遠しい!』は、そのリヴェンジとして、モノクロームで撮影したのだと打ち明け話をしている。
『アメリカの夜』でジャクリーン・ビセットを使ったのは、『いつも2人で』にヘプバーンの旅仲間として少しだけ出たのを見ていたからだが、映画の中で水疱瘡にかかるのがヘップバーンで、ジャクリーン・ビセットがヒロインになる版を見てみたいものだと思った、などとオードリー・ファンなら怒り出すようなことも平気で口にする。もっともたしかにあの映画のヘプバーンの若作りはかなり無理があったのは確かだ。
フランソワーズ・ドルレアックとカトリーヌ・ドヌーヴの脚がきれいだったことを別のところで口にしているが、あの二人ならブロンドとブルネットとの違いはあるが一卵性双生児なのだから、当然だろうなどと思ったりもした(それにしてもきれいな姉妹だった)。映画ファンにとって、一つ一つが貴重な証言であるし、まだ見ていない映画の話も含め、とにかくおもしろい。今年出た映画本のベスト1に推したい。