marginalia

読んだ本の話や一緒に暮らす猫のこと、それと趣味ではじめた翻訳の話など。

『ジャック・リッチーのびっくりパレード』 ジャック・リッチー

ジャック・リッチーのびっくりパレード (ハヤカワ・ポケット・ミステリ)
1950年代、雑誌『マンハント』や『ヒッチコックマガジン』で活躍したジャック・リッチーの短篇を、60年、70年、80年代と年代別に四部に分けて収録した短篇集。全二十五篇が本邦初訳というのだが、えっ、これが今まで訳されてなかったの、といいたいほどの完璧な出来映え。無駄のない叙述、キレのいい会話、あっと驚くオチ、とその完成度の高さはまさに短篇の鑑。犯罪を扱ったものに佳篇が多いので一応ミステリというジャンルになるのだろうが、謎解きにはあまり興味がないようだ。

視点を犯罪者の側に置いて、犯罪を犯す動機や、そのプロセス、そして意外な結末、という事件の推移を余計な感情を交えず、クールに描いている点はハードボイルド・タッチといっていい。ではあるのだが、それだけではない。掲載する雑誌によって作風を変化させていたのだろう。仄かなユーモアを感じさせる作品も少なくない。そして、それがただのほのぼのとしたユーモアだけではなくて、少しシニカルだったり、苦味を含んでいたり、と微妙な味わいが癖になる類いのものなのだ。

大都会を舞台にしたものより、アメリカの片田舎、謂う所のスモール・タウンを舞台にしたものが圧倒的に多く、独特の味わいはその設定が功を奏しているといえるだろう。凝ったトリックや、不自然な殺人方法などは全くといっていいほど登場しない。よく出てくるのが、轢き逃げや鈍器による撲殺。死体の隠し場所もよくて谷間に埋める程度。銃で撃ってそのまま放置というのが結構多い。つまり、そんなものに興味も関心もないのだ。

じゃあ、何に興味があるのか。人間である。シリアル・キラーサイコパスではない。それこそ、アメリカのスモールタウンのどこにでもいそうな、読者の隣に住んでいても不思議ではない、ごくごく普通の一般的な市民が、ふとしたはずみで犯罪に手を染める。苦境に陥ったり、欲に駆られたり、棚ぼた式に幸運が舞い込んできたりして、人は殺人を犯す。たいしたきっかけは要らない。犯罪の痕跡を隠すのにも何の苦労がいるものか。そのために、わんさと犯罪小説が書かれている。そのなかのどれか、いちばん簡単な方法をとればいい。シンプルが一番なのだ。

火掻き棒で殴られたり、ショットガンで撃たれたり、と短篇集だけに被害者の数は厖大だが、後味がさほど悪くないのは、恨み辛みがもとになったネガティヴな犯罪が少ないことがある。ポジティヴな動機というのも変だが、なんだか犯人がそれほど憎めないのだ。そんな動機あるある、というとなんだかこちらまで犯罪予備軍みたいになるが、仕返しであったり、やむをえない事情があったり、犯人にもいろいろと都合があるのだ、これが。

犯罪者の視点から描いたものを主に紹介してきたが、もちろん、犯罪を追う側の視点で書かれたものもある。なかでも、ヘンリー・ターンバックル巡査部長と相棒のラルフが探偵役を務める三作が面白い。父親に本ばかり読んでおらずに少しは人のためになることでもしなさい、と言われ警察に勤めることになったヘンリーは、捜査で訪れた関係者の部屋に置かれた本が気になる、という文系探偵。その相棒のラルフも少々変わっていて、このちぐはぐなコンビのとぼけた感じが楽しい。

その一つ「容疑者が多すぎる」に登場する学生時代「ミス・読書家」に選ばれたこともあるドーラとの丁々発止の掛け合いが読ませる。マクジョージと呼ばれ、振り向いたところを撃たれた被害者はマクジョージではなかった、というのが謎という一篇だが、ドーラは、誰かがドアを開けて「何か叫べば、普通、振り向くわ。たとえ自分の名前がスミスとかブルービアードだとしても」と説く。この「ブルービアード」だが、日本でいえば山田(太郎)級にありふれた名前の(ジョン)・スミスに対し、珍奇な名前としてミス・読書家ドーラが例に挙げる名前なのだから、「青髭」(シャルル・ペロー作)にルビを振る程度の工夫が欲しいところだ、と思う。

ミステリ一辺倒でもない。一風変わったゴースト・ストーリー(「帰ってきたブリジット」)もあれば、テレポーテーションを扱ったSF([正当防衛])もある。冒頭に置かれた極々短い一篇は「恋の季節」のタイトル通り、微笑ましい恋愛小説である。その次に置かれた「パパにまかせろ」は、よくできる息子に追い越され気味の父親が姦計を用いて威厳を取り戻そうとがんばる、いうならば家庭小説。そのどれもこれもが、ほんの少しであるが、ミステリ風味のスパイスが効かしてあって、しかも極上のオチが用意されている。

殺人を描いている場合でもユーモアをまぶさずにいられない作家にも、時にはその持ち味を封印し、ハード・ボイルドに徹した作品を書きたい衝動が起きるらしい。「編訳者あとがき」で小鷹信光氏が「原稿二千枚を百分の一に圧縮したような作品ですが、山間の寒村を舞台に起こる五つの殺人が、冷え冷えとした描写を通じて描かれた恐ろしい物語」と評するような一篇も中には含まれる。あえて、作品名は伏せておられるので、ここでもそれに倣っておく。確かに、凄味のある一篇で、他の作品群とは一線を画している。こういうタッチでも書けるのだ。

小鷹氏曰く「とても芸域の幅の広い、練達の短編小説家」ジャック・リッチーには、2013年に同じポケミスから『ジャック・リッチーのあの手この手』が刊行されている。この短編集が気に入った読者なら見逃す手はない