1950年を迎えた深夜、ウェスト・ハリウッド出張所に勤務する若い保安官補ダニー・アップショーは、男の死体発見の報を受け現場に駆けつける。被害者は全裸で両眼を抉り取られ、腹部には咬み跡が残り、背中には無数の切り傷があった。ダニーは独自に犯罪学を学び、鑑識の真似事をする野心的な刑事だ。市警担当区域に勝手に入り込み、殺人現場を発見する。そこには、大量の血液が流れた跡が。その後別の場所で男二人の死体が発見される。二人は69のポーズをとらされ、咬み跡や切り傷から見て、同一犯の犯行と思われる。ブラック・ダリア事件の衝撃まだ冷めやらぬハリウッドに起きた連続殺人事件を若い刑事が追う。
それとは別に、もう一つストーリーが進行している。地検犯罪捜査部警部補マル・コンシディーンは、検事補エリス・ロウ、市警殺人課警部補ダドリー・スミスと組んで、大陪審のためにハリウッドの共産主義シンパを調べていた。コンシディーンは肩書に箔をつけ、係争中の裁判に勝って息子の養育権を得るという思惑があった。エリスには、撮影所から組合員を排除して自分の息のかかった連中を送り込みたいというギャングのボス、ミッキー・コーエンから金が入る。『背信の都』にも登場していた悪徳警官ダドリー・スミスには別に思うところがあった。
狙撃事件で負傷、退職後ハワード・ヒューズに雇われていたバズ・ミークスは、ヒューズの肝いりで大陪審部特別捜査官の一員となる。戦争に行って夫が留守の間、コンシディーンの妻とできていたバズは自分を撃ったのはコンシディーンではないかと疑っていた。そういう経緯を持った男同士が事件を通じてどう変わっていくかを、エルロイはていねいに描いている。
まったく関わりのなかった二つのストーリーが、ある人物によって交差する。ダニーの刑事としての技量とその若さや外貌に目をつけたコンシディーンとスミスは、<赤の女王>ことクレア・ドゥ・ヘイヴンに取り入って情報を得るスパイ役として大陪審部特別捜査官に引き入れる。これで役者はそろった。コンシディーン、ダニー、バズの三人を視点人物として小説は展開してゆく。
コンシディーンは、手を汚さない男として知られている。不正を憎み、本音ではアカ狩りめいた大陪審にも批判的だ。暴力沙汰を嫌うのも、子どもの頃出来の悪い兄と横暴な父によって迫害されたことが原因である。そんなコンシディーンは義理の息子ステファンにチェコ語を強制する母親が許せない。母親がナチの囲い者になっていた頃、ステファンは預け先の夫婦に性的悪戯を受けていた。チェコ語はそれを思い出させるのだ。コンシディーンもまた、エルロイ作品ではおなじみの精神的外傷(トラウマ)を抱え込み、妻が待つ家に帰らず仕事場で寝る刑事だ。
まだ刑事になって六か月しかたたないのに、独力で事件を整理し、解決に導くための筋道を立て、ファイルを作成し、昼夜を問わず聞き込みに走るダニーは、コンシディーンに認められ、部下になるよう進められる。若くして出世街道驀進中だが、がむしゃらに事件解決に突き進むダニーにも忘れられない過去の記憶がある。わけがあって暴行事件を目撃しながら女を助けられなかったのだ。初めて担当した殺人事件を解決することが、その罪滅ぼしになると考えているふしがある。しかも、この猟奇殺人に魅入られてもいる。ホモか、と揶揄われ激高し、同僚の刑事を殴りつけるほどに。
過去のトラウマに悩むハムレット型のコンシディーンやダニーとちがって、バズ・ミークスはとち狂っている。勝ち馬を教えてもらえるノミ屋があるのに、別のところで賭けて借金まみれになったり、見つかればただでは済まないミッキー・コーエンの愛人と懇ろになったりするなど、到底正気の沙汰ではない。危険な匂いがする方に自分の身を置くのがバズ・ミークスという男だ。証拠がどうの、動機がどうの、とこむずかしい理屈をこねないところや、自由気ままに動き回る点が、ハード・ボイルド風で溌剌としている。
進退窮まって自由に動けなくなってしまったダニーの代わりに、コンシディーンとバズが過去の角逐を水に流して協力するあたりから、俄然ヒート・アップしてくる。曰く因縁のある男同士の間に生まれる一種の友情のようなものを描くのはハード・ボイルドの独壇場だ。警察内部の出世競争や縄張り争い、ギャングとのなれ合い、といったものを描く警察小説的な部分が結構な分量をとっているこの小説。警察をやめたバズ・ミークスが出てくると(彼の視点になると)、ハード・ボイルド探偵小説の色が濃くなるので、個人的にはバズの登場が待ち遠しくなる。
『ブラック・ダリア』を受けて書かれたシリーズ第二作ということで、必要以上に猟奇殺人を煽り立てているが、現実に起きた<ブラック・ダリア>事件とはちがって虚構なのだから、こうまで死体をいたぶらなくても、と思ってしまう。これがエルロイの作風だといってしまえばそれまでだが、書き込まれた人物像や、ロスアンジェルス界隈の自然や気象を存分に使いこなした情景描写、バズの軽妙な会話や颯爽とした男気といったものを考えると陰惨な事件がうまく一枚の画に収まらない気がするのだ。あくまでも勝手な読者の感想である。
長身で銀髪という犯人像が早くから提示され、刑事も読者もそれを追っかける。並行するストーリーの方で、早い時点で長身銀髪の人物が登場するので、これが犯人では、と思わされるが、いくらなんでもそんなはずはない。薬物の知識があり、注射器の扱いに慣れている点で、医療関係者が疑われる。咬合の痕跡は犬によるものなのか?ツーバイフォーの角材に剃刀の刃をつけたズート・スティックという暴徒鎮圧に用いた武器の意味は?と多すぎると思われる手掛かりを一気に説明するくだりは、悪徳警官ダドリー・スミスの暗躍もふくめ、よくもまあこんなに都合よく解決するものだ、とあきれてしまう。よく練られたプロット、絶妙な伏線、とミステリとしての妙味も味わうことができる。
バズの相手として登場するオードリーも魅力的ではあるが、<赤の女王>クレアが歳を取ったせいか魅力が薄れているのが残念だ。やはりこれは男の物語なのだろう。自分のしでかしたことが一人の優秀な刑事の将来を奪ってしまうことになった。その借りを返す、というバズの思いが強い印象を残す。借りを返すために動いていたのはバズ一人ではない。ダニーも、コンシディーンもまた、ある意味では過去の借りを返していたのではないだろうか。他人から見れば、最低の刑事に見えるバズだが、誰に言われなくとも、借りは返す。その倫理観がまさにハード・ボイルド。エンディングに流れるカントリー・ミュージックに聴き入るバズの感慨が泣かせる。