marginalia

読んだ本の話や一緒に暮らす猫のこと、それと趣味ではじめた翻訳の話など。

『ジョイスの罠』 金井嘉彦/吉川信

ジョイスの罠―『ダブリナーズ』に嵌る方法
柳瀬尚紀氏が亡くなったのは七月の終わり頃だったと記憶する。本書の副題に「『ダブリナーズ』に嵌る方法」とあることに、ああ、近頃はもう、『ダブリン市民』とは呼ばず、『ダブリナーズ』がスタンダードになったのだなあ、とちょっと感銘を覚えたのであった。

「ニューヨーカー」がニューヨークっ子。「パリジャン」がパリっ子。だったら、ダブリンっ子は「ダブリナー」。土地っ子の名前を書名にした二誌に対抗してのタイトル名だ。当今流行りの横文字カタカナ表記の風潮に流されたものでないと『ダブリナーズ』の訳者あとがきにあったのを思い出す。

いかにも柳瀬氏らしい諧謔味あふれた解説に比べると、本書の内容はかなりの堅め。画期的新訳と評判の高かった『ダブリナーズ』が、新潮文庫から出たのが、2009年の三月。本書のもとになる『ダブリナーズ』研究会の第一回がもたれたのが、同年十月。ジョイスの『ダブリナーズ』が刊行されたのが1914年。本書は『ダブリナーズ』100周年を記念して企画刊行されたものである(実際は二年遅れの2016年刊)。

『ダブリナーズ』所収の全十五篇を、それぞれ異なる研究者が担当し、それまでの共同研究を踏まえたうえで執筆した、索引や引用参考文献も付いた歴とした研究論文集である。それでは一般読者向きでないかといえば、そんなことはない。たしかに微に入り細を穿つというか、重箱の隅をつつく、とでもいうか、よくまあ、そんなことに気がつくものだと呆れるほどの微細な点を話題にするところはある。

しかし、話題にされているのは『ダブリナーズ』だ。難解さで知られ、ピエール・バイヤールがその著書『読んでいない本について堂々と語る方法』の中で白状している通り、大学教授でもちゃんと読んだことがないと揶揄される『ユリシーズ』をはじめ、新語、造語が続出し、原語で読むことすら難しい『フィネガンズ・ウェイク』などのジョイスの作品の中では、比較的読みやすいことで知られている。

しかし、本書の執筆者の一人も言うように、読みやすいから分かりやすいというわけではない。特に、オープン・エンドといえば聞こえはいいが、解釈を読者任せにしるような結末のつけ方は、読んでいてなんとも落ち着かないものがある。その他にも謎めいた言葉が使われているなど『ダブリナーズ』は、他のジョイス作品と比べれば読みやすいだけで、決して分かりやすい作品ではない。

おまけに、従来から『ダブリナーズ』といえば、ダブリン市民の前に進むことのできない精神的な「麻痺」を描いたものだ、という定説のようなものがある。さらには、ジョイス独特の「顕現(エピファニー)」という概念がつきまとう。もっとも、これら二つについて、これが「麻痺」を表しているだとか、これが「顕現」だ、とか言っていれば、何やら分かったような気がするところもあり、通説は便利なようでいて、その実何の役にも立たないところがある。

その昔、「アンチョコ」というものがあった。「虎の巻」という呼び名もある。まあ、簡単に言えば教科書の大事なところを解説してくれる参考書のこと。今は「教科書ガイド」とか呼ぶらしい。自分で調べる方がいいのはよく分かっていても遊ぶ時間も欲しいから、結構お世話になった。『ジョイスの罠』は、『ダブリナーズ』という教科書の絶好の「アンチョコ」といえる。

言葉遊びを駆使したジョイスのこと。『フィネガンズ・ウェイク』とまではいかなくても、『ダブリナーズ』も、通常では使わない擬音の使用や、文章中に必要以上に頭韻を踏ませたり、ある種の文字に特定の意味を象徴させたり、と凝った書き方がされている。それらは、訳されるとき、翻訳者によって解釈された日本語に変換されることで、日本の読者には引っかかりのない滑らかな日本語として解されがちである。

それでは困るのだ。一例をあげると、「蔦の日の委員会」の中で酒瓶の栓を抜く音の件がある。柳瀬訳では<ポーヒョン!>という音、原文では通常<pop>とするところを<pok>と表記している。柳瀬氏の解釈では、飲みたくても飲むことのできないジャック爺さんの情けない気分が現れているというのだが。

数多ある説が紹介された後、「OEDによれば、“pok”は、“pock”の別綴りで“pox”「梅毒」を意味する」という説明になる。なんでも、この“pox”、あの『ユリシーズ』で、「市民」が、エドワード七世を愚弄する言葉として使われている、らしい。単なる擬音が、アイルランドナショナリズムを反映する言葉へと変容する解釈。スタウトの栓があけられるたびに<ポクッ(梅毒)!>と聞こえていると思うと、なんだか可笑しい。

その外、掉尾を飾る中篇「死者たち」の心霊主義的な解釈も読みごたえあり。手もとにお持ちの『ダブリン市民』でも、『ダブリンの人々』でもいい、一篇一篇はそう長いものではない。この極上のアンチョビならぬ、アンチョコをあてに、再読というのはどうだろう。いちいち原文を引きながら痒い所に手が届く『ジョイスの罠』。ぜひこの機会に『ダブリナーズ』に嵌っていただきたい。