marginalia

読んだ本の話や一緒に暮らす猫のこと、それと趣味ではじめた翻訳の話など。

『ビリー・リンの永遠の一日』 ベン・ファウンテン

ビリー・リンの永遠の一日 (新潮クレスト・ブックス)
これって、早い話が人格形成小説(ビルドゥングスロマン)だよね?年若い青年が周囲の人々の影響を受けて、自己を作り上げてゆくことを主題とする。ヘッセやマンとちがうのは、これがたった一日の出来事を中心に書かれているってこと。雪混じりの感謝祭の日にテキサススタジアムで行われる、ダラス・カウボーイズシカゴ・ベアーズアメリカン・フットボールの試合会場が舞台。

で、なんで一日かというと、ビリーっていうんだけど、この主人公。陸軍の二等兵で、イラク戦争で手柄を立てて勲章を二つも貰い、ただいま仲間のブラボー分隊と一緒にご褒美の「勝利の凱旋」旅行中。二週間かけて、アメリカ各地を回ってきて、いよいよ今日が最終日。この日の試合観戦中ハーフタイムショーにゲスト出演したら、その足で基地に向かい、そこから二十七時間後には無事イラクに帰還の予定だ。

耳の穴の中まで砂が入り込んでくる砂漠の戦闘地帯から、酒と女と豪華料理に囲まれ、取り巻き連中の称賛の声を浴びる夢のようなアメリカに。そこからまた地獄の戦場に突き返されるわけだ。たしかに、息抜きにはなるかもしれないけど、よくよく考えてみれば、やっと生命を脅かす危険のない安全地帯に帰った者を、たった二週間でもとの危険地帯に送り返すくらいなら、こんな仕打ち、しないほうが彼らのためだろう。

それには訳があることくらい、ビリーにも分かっている。というか、だんだん分かってくる。アメリカ人は9.11以来、怯えているのだ。いつまたやられるのか、と。それくらいならこちらからやってしまえ、と戦争を始めたのはいいが、戦況は思わしくなく厭戦気分は強まる一方。そこへ現地で取材中のフォックステレビから、ブラボーたちの勝利を伝える映像が飛び込んできた。好戦気分を盛り上げるキャンペーンの絶好のダシとして使われたのがビリーたちだ。

自分たちは絶対に弾の飛んでこないところで、フットボールの試合など見ながら、涙を流さんばかりに英雄たちを持ち上げることで、自尊感情を高める手段にする一般大衆。しかも、ハーフタイムショーのゲストはビヨンセとディスティニーズ・チャイルド。マーチング・バンドや予備役軍人の行進までごった煮状態にしたうえで、国歌を斉唱し花火を打ち上げる。セックスを煽る振り付けと弾丸が飛び交い爆発の閃光が燃え上がる戦争をコラボさせ、会場全体を愛国感情でハイにする演出。クソだ。

ビリーが軍隊に入ったのには理由がある。美人で賢い自慢の姉が自動車事故に遭い、死ぬほどの重傷を負った。美貌を失った姉との婚約を破棄した相手のサーブをバールでぶち壊したのだ。刑務所に行きたくなかったら軍隊に入れ、というのが裁判所の出した結論だった。その結果がイラク行きだ。学校になじめなかったビリーは同じ分隊の軍曹で暇があれば本を読んでいるシュルームという上官の影響を受け、本を読み始める。

今回の叙勲は、激しい銃撃戦をかいくぐり、倒れたシュルームを救出した行為についてのものだった。自分のメンターを喪ったビリーは、あの戦闘の中で死んでいったシュルームと生きのびた自分のちがいを考えないではいられない。ミリ単位の差が生と死を分けるのだ。すべては偶然が左右する。そんな世界では何をしても意味がないのではないか。誰かそれについて教えてほしい。あれから毎日、そう思いながらビリーは生きている。

十九歳のビリーはまだ女を知らない。ただセックスがしたいのではない。この人だと思う相手と愛し合いたいのだ。戦場では望むべくもないことだが、シャバにいる二週間なら可能。それなのにまだ誰にも出会えていない。今日が最後のチャンスだった。それが、実現する。チア・リーダーの一人で金髪っぽい赤毛の子が、ビリーと目を合わせる。ビリーも目が離せない。一目惚れってやつだ。この恋がどうなるのか。なんともせわしない展開だが、あの『ユリシーズ』だって、たった一日の出来事だ。世界は一日で「永遠」になる。

さらに、難題が降りかかる。休暇で一日だけ家に帰ったビリーに姉のキャスリンがイラクに帰るな、と囁きかける。逃がしてくれる団体と話がついている。英雄を死ぬかもしれないイラクに帰すなんてまともな国のやることではない、と。仲間を置いて一人だけ逃げることはできない、と断るビリーに、キャスリンは言う。あなたが死んだら私は自殺する。イラクに行くことになったのも自分のせいだから、と。悩んだビリーは、尊敬する軍曹のダイムに相談しようとするが、そんな時ブラボー分隊にトラブルが発生する。

すべてはビリーの目を通して語られる。テキサス出身で高校卒業前に軍隊入りした青年にしては、ちょっと考えが上等すぎるようにも思えるが、自分で言うように、イラクに行って歳をとったのだろう。アメリカという国家、アメリカ人という国民についての冷静で透徹した省察はこちらの心の中にすんなりと入り込んでくる。国家の名において人を殺す経験をした者として、ビリーは他の無辜のアメリカ人とは異なる。その目に映るアメリカ人は、無自覚に自我を肥大させ、何でも欲しがるいつまでも子どものままでいる大人のようだ。

愛する姉のためにしたことが、想像もつかなかった世界に自分を放り込んだ。学校にいてはできなかった勉強を戦地で積んで、青年は一気に成長する。彼の目に見えるアメリカは、命をやり取りする現場から生きて帰った若者たちをおだて上げ、その命がけの行為をはした金と引き換えにハリウッドに売り飛ばし、別の若者を戦場に行かせる手伝いをする、そんな大人ばかりが生きている国だ。

死線をくぐってきた若者のイノセントな目が見た現実のアメリカとアメリカ人の姿。今どきこんなナイーブな十九歳がいるのか、と思ったりもするのだが、若者らしい純粋な視線がまぶしいくらいにクリアな視界を開いてくれる。ピラミッド状の構造を持つアメリカ社会の底辺近くで暮らす普通のアメリカ人青年の「永遠の」一日を、苦味を利かせたユーモアをたっぷり含ませた筆で描いたこの小説。近年まれに見る「偉大なるアメリカ小説」という評、あながち過褒とは思えない。