《急いで歩いたので半時間をいくらか過ぎたくらいでガイガーの家に到着した。そこには誰もいなかった。隣の家の前に停めた私の車以外、通りに一台の車もなかった。車はまるで迷子の犬のようにしょんぼりしていた。私はライ・ウィスキーの瓶を引っ張り出して瓶に残っていた半分を喉に流し込み、中に入って煙草に火をつけた。半分ほど吸って投げ捨て、車から出ると再びガイガーの家まで降りて行った。ドアの鍵を開けて足を踏み入れ、まだ少し暖かい暗闇の中に立って、床に滴を滴らせながら、雨の音に聴き入っていた。私は手探りでフロア・スタンドの明かりをつけた。
最初に気がついたのは、刺繍を施した絹の布が二枚、壁から消えていたことだ。何枚か数えはしなかったが、剥き出しにされた茶色の漆喰壁に目立つ痕跡から明らかだった。私は少し離れたところまで行き、もう一つのフロア・スタンドをつけた。トーテムポールを調べてみた。その足もと、中国段通が途切れた向こうの剥き出しの床に別の緞通が広げられていた。それはさっきまでそこになかった。ガイガーの死体があったのだ。ガイガーの死体が消えていた。》
<I made it back to Geiger’s house in something over half an hour of nimble walking.>を双葉氏のように「私は三十分以上も早足で歩き、やっとガイガーの家へ引き返した」と取るか、村上氏のように「急ぎ足で歩いても、ガイガーの家に着くまでに半時間以上はかかった」と取るか、どっちがいいのだろう。どっちでも意味は変わらないが、微妙にニュアンスがちがう。
「刺繍を施した絹の布が二枚」は<a couple of strips of embroidered silk>。双葉氏は「絹の」を書き忘れたか省略したか「刺繍の布が二枚」とだけ記している。村上氏は「刺繍入りの絹布が二枚」だ。第七章の初めにガイガーの部屋の中の様子が詳細に説明されてたが、「使用前、使用後」のように使うつもりで、あれほど詳しく書いたのだな、と改めて気づかされた。ハード・ボイルドといっても探偵小説であることに変わりはない。細部をしっかり詰めておかなければ、後で泣きを見るのだ。
《それが私を凍りつかせた。私は唇を歯に引き寄せ、トーテムポールのガラスの眼に流し目をくれた。私はもう一度ガイガーの家をくまなく調べた。すべては正確に前のままだった。ガイガーは縁飾りのついたベッドにも、その下にも、クローゼットの中にもいなかった。台所にも浴室にもいなかった。廊下の右側の鍵がかかった部屋が残っていた。ガイガーの鍵束の一つがぴったり合った。部屋の中に興味は引かれたが、ガイガーがいた訳ではない。何が興味を引いたかといえば、他のガイガーの部屋とは様子がちがっていたのだ。ひどくがらんとした男性的な寝室だった。磨きのかかった木の床に、インディアン風の柄の小さな敷物が二枚。肘掛けのない背もたれがまっすぐな椅子が二脚。暗い木目調の鏡付きの寝室用箪笥には男性用化粧道具のセットと黒い蝋燭が二本、高さ三十センチほどの真鍮製の燭台に立てられていた。ベッドは狭く硬そうで、栗色の更紗のカバーが掛かっていた。部屋は冷えていた。私はまた鍵をかけ、ドアノブをハンカチで拭い、トーテムポールまで戻った。私は床に膝をつき、緞通の毛羽に沿って玄関のドアまで目を凝らして見た。私には二本の平行な窪みがそちらを指しているように見えた。まるで踵を引きずったあとのように。誰がしたにせよ大仕事だ。死体は傷心より重い。》
「それが私を凍りつかせた。私は唇を歯に引き寄せ、トーテムポールのガラスの眼に流し目をくれた」は、<That froze me. I pulled my lips back against my teeth and leered at the glass eye in the totem pole.>。双葉氏は「それが私をぞっとさせた。私はくちびるをひきしめ、木像の中のガラスの目玉をにらんだ」。村上氏は「体が凍りついた。唇を噛み、トーテムポールのガラスの瞳を横目で見た」。めずらしく村上氏の文が短い。
<I pulled my lips back against my teeth>を直訳すれば「唇を歯に引き寄せる」だが、どういう表情なのか、その時の感情が分からないと意訳のしようがない。両氏とも、緊張感を表す表現になっているが、その後の<leered>(いやらしい目つきで見る、横目でにらむ)との結びつきがもう一つ分かりにくい。ガラスの眼を見たのは、「お前は誰がやったか見ていたんだろう?」という意味にちがいない。だとすれば、共犯者を見るような目で見たということだろう。木像では脅しつけて聞き出すこともできない。そういう無念さとあきらめがまじったような気持ちのとき、唇はどう動くものだろうか。
「インディアン風の柄の小さな敷物が二枚」は<a couple of small throw rugs in an Indian design>だ。<throw rug>で「小型の敷物」の意味がある。思い出したのは、『ツインピークス』にもよく出てきた「ペンドルトン」だ。ここでいう<Indian design>は、あれを指しているのではないか。とすれば、「ラグ」でもいいのでは、と思ったが、そうすると今までの<rug>を「緞通」と訳してきたこととの整合性がとれない。こういう時は、辞書に出てきた言葉通りに書いておくに限る。
「暗い木目調の鏡付きの寝室用箪笥」は<a bureau in dark grained wood>だ。「ライティング・ビューロー」などで使われてはいるが、「ビューロー」だけだと今一つ認知度が低い。ここも辞書の用語をそのまま使っている。双葉氏は「黒っぽい大机」、村上氏は「濃い木目塗りの鏡付きチェスト」としている。厳密にいえば「チェスト」と「ビューロー」は別物だが、「チェスト」の方が分かりよいと考えられたのだろうか。
「高さ三十センチほどの真鍮製の燭台」は<foot-high brass candlesticks>。双葉氏は「高い脚の燭台」としているが、<foot-high>は「一フィート」の意味だ。村上氏はこういう時メートル表記に変えて訳す。原文尊重でいきたいところだが、「一フィート」のままでは伝わりにくい。ここは原則を曲げてセンチメートルで表すことにした。
「死体は傷心より重い」としたところは<Dead men are heavier than broken hearts>。双葉氏は「死体は弱い心臓では扱えない重さだ」としている。村上氏は「いかに心が破れようと、死体はそれにも増して重いものだ」だ。チャンドラー得意の箴言風の決め台詞。ここはあえて一般的に訳す方がいいのではと思う。<broken heart>は失恋の痛手などをいう常套句だ。その気分はきっと重いにちがいない。だが、心理的なそれに比べ、物理的な重さはその比ではない、という意味である。村上氏の訳はその意味だろうが、アフォリズムのピリッとした感じがない。<dead men>と<broken hearts>の二語に対し、「死体」、「傷心」の二文字を充てた。