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読んだ本の話や一緒に暮らす猫のこと、それと趣味ではじめた翻訳の話など。

『大いなる眠り』註解 第三十二章(3)

《「いいか」私は重々しく続けた。「妹を連れ出せるか? どこかここから遠く離れたところにある、君の妹のようなタイプを扱い慣れ、銃やナイフやおかしな飲物を遠ざけておいてくれるところだ。ああ、君の妹だって治るかもしれない。そういう例もある」
 ヴィヴィアンは立ち上がるとゆっくり歩いて窓のところまで行った。足もとにはずっしりした厚地の象牙色のカーテンが折り重なっていた。その襞の間に立って外を見た。目の前には静かに暮れなずむ山麓が広がっていた。身じろぎもせず、まるで襞の中に紛れるように立っていた。両手は脇にだらんと垂れ、手はぴくりとも動かなかった。それから振り返って部屋の中を戻ってきたが、私を見もしないで通り過ぎた。私を背にしたとき、はっと息を呑み、話した。
「ラスティは汚水溜めの中にいる」彼女は言った。「惨めに腐り果てて。私がやった。あなたが言ったとおりのことをした。私はエディ・マーズのところに行った。妹は家に帰ると、ありのまま話した。子どもみたいに。妹は普通じゃない。警察は妹からすべてを聞き出すと思った。妹はすぐに自慢気にしゃべり出すだろう。もし父の耳に入れば、即座に警察を呼び、すべてを話すはず。そして、その夜の裡に死んでいた。問題は父の死じゃない──死ぬ前に父が何を思うかということ。ラスティは悪い人じゃなかった。私は愛していなかったけど。立派な人だと思う。でも、死のうが生きようが、私にはどっちでもよかった。父に知られないようにすることに比べれば」
「そして君は妹を好きなようにさせている」私は言った。「また別の騒動を起こすために」
「私は時間を稼いでいた。ただの時間稼ぎ。もちろんそれは間違った態度だった。ひょっとしたら妹は自分のしたことを覚えていないのでは、と思った。発作のときに起きたことは記憶に残らないと聞いたことがある。たぶん思い出すこともないだろう、と。エディ・マーズが財産を搾り取ろうとするのは分かっていた。でも構わなかった。私は助けを必要としていて、頼れるのはエディのような人だけだった……ほとんどすべてが自分でも信じられないときがあった。また別のときはすぐ酔っぱらわなきゃならなかった──どんな時でも、恐ろしいほどの勢いで」
「妹を連れだすんだ」私は言った。「それこそ、恐ろしいほどの勢いで」
彼女はまだ私に背を向けていた。声は優しくなっていた。「あなたは?」
「なにもしない。私は引き揚げる。三日の猶予をやろう。それまでに君が消えたら──それでいい。もしそうしなければ、事件は明るみに出る。本気じゃないなどと考えないことだ」
 女は突然振り返った。「あなたに何と言ったらいいかが分からない。何から始めたらいいのかも」
「いいさ。妹をここから連れ出し、一分たりとも目を離さないことだ。約束できるかい?」
「約束する。エディには──」
「エディのことは忘れろ。少し休んだら私が会いに行く。エディの扱いは私に任せておけ」
「エディはあなたを殺そうとする」
「そうだな」私は言った。「それは一番の腕利きにもできなかった。他の連中を試してみよう。ノリスは知ってるのか?」
「ノリスは決して言わない」
「知ってると思ってたよ」
 私は女をその場に残し、急いで部屋を出た。外のタイル敷きの階段を下りて玄関に出た。家を出るとき誰一人会わなかった。今回は自分で帽子を見つけた。外に出ると、明るい庭園が幽霊でも棲みついているかのように見えた。まるで小さな血走った目が藪の陰から私を見張っているような気がした。陽光そのものが光の中に何か謎めいたものを孕んでいるように思われた。私は車に乗り込み、丘を下った。
 一旦死んでしまえば、どこに寝かされようが構いはしない。そこが不潔な汚水溜めの中だろうと、高い丘の上に建つ大理石の塔の中だろうと、何の変わりがあるだろう? 死者は大いなる眠りに就いており、そのようなことに煩わされることがない。石油も水も死者にとっては風や空気のようなものだ。死者はただ大いなる眠りの中におり、どんな死に方をし、どこへ倒れようが、その汚れを気にすることはない。私はといえば、今ではその汚れの一部だ。ラスティ・リーガン以上に、汚れの一部と化している。しかし、あの老人にその必要はない。静かに天蓋付きの寝台に横たわり、血の気の失せた両手をシーツの上に組んで、待つだけでいい。心臓は短く不確かな心雑音を立てている。思考は灰燼のごとくどんよりしている。まもなく、ラスティ・リーガンのように、大いなる眠りに入ることだろう。

 ダウンタウンへの帰り道、一軒のバーに車を停め、スコッチをダブルで二杯飲んだ。それは何の役にも立たなかった。シルバー・ウィグのことを思い出させただけだった。その女とは二度と会うことはなかった。》<完>

「そういう例もある」は<It’s been done.>。双葉氏はこれをカット。村上氏は「そういう例もある」。「足もとにはずっしりした厚地の象牙色のカーテンが折り重なっていた。その襞の間に立って」は<The drapes lay in heavy ivory forlds beside her feet.She stood among the fords>。双葉氏はここもカット。ただ、さすがに「ついたて」はやめて「窓掛けに溶けこむようだった」と訳している。村上氏は「象牙色の厚いカーテンの裾が、彼女の足下に折り重なっていた。彼女はその布の堆積の脇に立って」と訳している。

「手はぴくりとも動かなかった。それから振り返って部屋の中を戻ってきたが、私を見もしないで通り過ぎた。私を背にしたとき」は<Utterly motionless hands. She turned and came back along the room and walked past me blindly. When she was behind me>。双葉氏はこれだけの部分を「私のほうへ帰ってくると」と大胆に省略して訳している。村上氏は「手は完全にぴくりとも動かなかった。彼女は振り向き、部屋を横切り、私の前を、私など眼中にないような顔で通り過ぎた。私の背後にまわったとき」と訳している。

「惨めに腐り果てて」は<A horrible decayed thing.>。双葉氏はこれもカット。最後だというのにやけにカット部分が多いのが気になる。村上氏は「もうぼろぼろに朽ち果てているわ」だ。「警察は妹からすべてを聞き出すと思った。妹はすぐに自慢気にしゃべり出すだろう」も双葉氏は「警察に知られればおしまいだと思った」と簡単に訳す。原文は<I kew the police would get it all out of her. In a little while she would even brag about it.>。村上氏は「もし警察に連絡したら、彼らは妹が撃ったことを即座に見破ったでしょう。そのうちに妹は、自分がやったことをみんなに吹聴するようにさえなったでしょう」と訳している。

「問題は父の死じゃない──死ぬ前に父が何を思うかということ」も双葉氏はカット。原文は<It’s not his dying──it’s what he would be thinking just before he died.>。ヴィヴィアンが何故そんなことをしたのか、その理由を語った重要な台詞なのに、なぜここをカットするのだろう。村上氏は「死ぬこと自体は仕方ない。問題は、父がどんな気持ちで死んでいくかよ」と、さすがに手馴れた訳だ。村上氏の方は最後ということもあって、いつも以上に力が入っている。

「私は時間を稼いでいた。ただの時間稼ぎ。もちろんそれは間違った態度だった。ひょっとしたら妹は自分のしたことを覚えていないのでは、と思った。発作のときに起きたことは記憶に残らないと聞いたことがある。たぶん思い出すこともないだろう、と」のところで、例のごとく<forget>が三度繰り返されている。原文を見てみよう。

<I was playing for time, just for time. I played the wrong way, of course. I thought she might even forget it herself. I’ve heard they do forget what happens in those fits. Maybe she has forgotten it.>。ここを双葉氏は「私、時間が解決してくれると思っていたの。妹は自でも事件を忘れると思ったの。発作のときは覚えていないという話ですものね」と、大胆に省略して訳している。

村上氏は「時間を稼いでいるのよ。ただの時間稼ぎよ。もちろんそれは正しいやり方じゃない。妹はそのことを、覚えてもいないんじゃないかと思う。そういう発作のあいだに起こったことは、記憶に残らないんだって聞いたことがある。たぶんすっかり忘れているんでしょう」と、訳している。<forget>を「覚えている」「記憶に残る」「忘れる」の三つを使い分けることで、重複の煩わしさを避けているところは上手いものだ。

マーロウが妹に撃たれかけたことを聞いて、ヴィヴィアンは自分のしたことを後悔しているのだろう。この部分はその言い訳である。それを村上氏のように現在形の時制で訳したのでは、開き直りに聞こえてしまう。英文の過去の時制をそのまま訳すと「…した。…した」となるので、訳文に現在形を使うことはある。しかし、それはあくまでも日本語の文として調子を整えるためであって、原文の意味が変わることがあってはならない。

双葉氏がカットした箇所があと二つある。「本気じゃないなどと考えないことだ」と「何から始めたらいいのかも」。前者は<And don’t think I don’t mean that.>。後者は<I don’t know how to begin.>。どうして、ここに来てわずかな手間を惜しんだのか、その理由が分からない。村上訳は「私が本気じゃないと思わない方がいいぜ」、「どこから始めればいいのか、私には分からない」と、最後まで手を抜かない。

「死者は大いなる眠りに就いており、そのようなことに煩わされることがない」は<You were dead, you were sleeping the big sleep, you were not bothered by thngs like that.>。この<you>は「人は(誰でも)」の意味だと思うが、双葉氏は「君は死んでしまった。大いなる眠りをむさぼっているのだ。そんなことでわずらわされるわけがない」と、訳している。ラスティへの語りかけ、ととったのだろう。まちがってはいないが、リーガンはすでに死者の仲間入りを果たしている。ここはラスティ・リーガン個人ではなく、すべての死者と取る方が意味深くなるように思う。村上氏も「死者は」と訳している。

末尾の「その女とは二度と会うことはなかった」は<and I never saw her again>。ハード・ボイルドらしい余韻の残る言葉だ。双葉氏は「その彼女にも、もう二度と会わないだろう」と訳しているが、<and>以下はこの話を語ってきた話者としての締めくくりの一文と考えたい。その時間の隔たりが余韻を生む。村上氏は「そのあと彼女には一度も会っていない」と訳している。

足かけ四年がかりで読んできた『大いなる眠り』も、これでようやく終えることができた。村上氏の真似をして午前中はこれにかかりきりだった(午後は読書にあてた)。はじめはBGMを聴く方も真似してみたが、集中できなくなるので、これはやめた。原書と新旧二冊の翻訳を読み比べる作業はおもしろかった。

途中で翻訳に関する参考書を何冊か読んだことで、後半は翻訳の文章が変わってきたと思う。会話を繋ぐところ以外では「彼女、彼」を使うことを極力避けた。また、女性の会話の最後に「よ、ね、わ」をつけることもやめた。どちらも、無意識にやっていたので、あらためて意識すると、それまでのようにはいかなくなった。生硬な文のように感じられたかもしれない。しかし、原書には女性と男性の間に特に違いはない。厳密にやり過ぎるのはよくないが、しばらくはこの方法でやってみたい、と考えている。

次回からは『さらば愛しき女よ』を三冊読み比べてみたい。清水氏の訳した文庫本が見つからないので、古本屋を漁りに行く必要がある。近頃、近くの古書店が相次いで店を閉めた。うまく見つからなければ、密林をあたるしかない。できたら地元の本屋で買いたいものだ。

長い間のお付き合い、ありがとうございました。