marginalia

読んだ本の話や一緒に暮らす猫のこと、それと趣味ではじめた翻訳の話など。

『災いの古書』ジョン・ダニング

災いの古書 (ハヤカワ・ミステリ文庫)
もと警官で現在は古本屋を営むクリフ・ジェーンウェイが主人公のシリーズ物第四作。インターネットが普及し、特に経験がなくとも金さえあれば誰でも本を扱えるようになった。各地の古本屋に足を運び、自分の目で掘り出し物を探し当てては店に出す。そんな商売が成立しなくなったこともあり、以前のように古本屋稼業に情熱が感じられなくなったクリフは、今回から「本の警官」を名乗る私立探偵を兼務することにしたようだ。

第四作ともなればシリーズ物の常としてマンネリ化が心配されるが、そこのところはどうか。同じ古本を扱っても一作ごとに趣向を変えているのが、このシリーズの人気の秘密だ。今回クリフが扱うのは、サイン本の世界。本そのものは美本でも稀覯本でもない。そこに記されたサインの有無が問題になる類の本である。たとえば有名な映画スターや監督、スポーツ選手が書いた本に本人のサインが残されている場合、価格が十倍以上になる。

前作から登場した恋人の弁護士エリンから、仕事の依頼を受け、クリフはロッキー山麓のパラダイスという小さな町に向かう。そこで殺人事件が起き、エリンに弁護の依頼があった。事件の被害者はエリンのもと恋人。殺人容疑で留置中の依頼人ローラはエリンのもと親友で被害者の妻である。自分を裏切って恋人を奪ったローラの弁護を担当することにエリンの胸中は複雑だ。そこで、クリフを派遣し事件の詳細を報告してもらうことにした次第。被害者は大量の本を収集しているらしい。値打ちがあれば、裁判にかかる費用がまかなえるのだ。

冬のロッキー山麓。吹雪の舞う山小屋が殺人の舞台。被害者は銃で顔半分が吹っ飛んでいる。事件を扱う保安官代理は相も変らぬ愚物で糞野郎ときている。現場保存もできず、自白を根拠にローラを逮捕。顔見知りのマクナマラという老弁護士は夫妻の養子で言葉をしゃべれないジェリーの関与を疑う。ローラは、障害を持つ息子をかばって嘘の告白をしたのではないかと。

本を調べたクリフは、書棚に並んだ本がすべてサイン本であることに驚く。殺人の動機は本にあり、犯人は他にいると考えたクリフは小屋を張り込む。そこに「牧師」を名乗る巨漢と双子の助手が登場し、クリフは後を追う。雪の山中の追跡劇や、法廷劇のサスペンスを盛り込み、マンネリどころか、シリーズ中最も緊迫感漂う仕上がりとなっている。

アメリカには「スモールタウン」物というジャンルがある。近い例ならデヴィッド・リンチ監督『ツイン・ピークス』。因習に凝り固まった地方の小都市を舞台とし、特定の人間関係から起こる事件を描くものだ。場所の移動が少なく、登場人物も限られていることから、犯人探しの範囲が狭まる。この「スモールタウン」がサスペンスを盛り上げるのに成功している。いつもながら善玉と悪玉が截然と別れ、一度主人公に感情移入してしまうと、容易にミスディレクションに誘われてしまう書きぶりは堂に入ったもの。再読すれば伏線はあちこちに張られていて、直観が働く読者なら真犯人を見つけることも難しくはないように丁寧に書かれている。

古本屋としての薀蓄はバーバンクの古書フェアに関する話題が中心。なるほど、と思わせる内訳話は事実古書店主でもあった作家ならでは。ただ、評者の個人的な好みから言えば、好きな作家のサインは別にして、サインの有無で評価が決まるサイン本には興味が持てない。活字、装丁、造本と本の中身が大事と思いたい。それでも、今回のクリフ・ジェーンウェイは好感度が高い。吹雪の山中での張り込みや聞き込みといった地道な仕事ぶりにつけ加え、ジェリーに対する庇護者としてのはたらきがそう思わせる。タフでなくては務まらないが、優しさを失ったらやっていても意味がないのがハードボイルド探偵というものだ。

ミステリとして、上出来と評価できる作品だが、星ひとつ分足りないのは後味の悪さだろう。たしかにこうでしかなかったろうと思わされる真犯人ではある。敬愛するチャンドラーにも同じ傾向があるのだが、長編小説にするためにあちこち引きずり回されて、結局これが真実だったのか、とため息をつかせる。これがミステリと言われれば仕方がないが、後味の悪い事件の場合、解決後に心に残る余韻がほしい。『ロング・グッドバイ』におけるテリー・レノックスとの再会のように。どんでん返しの後の一工夫、これがあれば星五つである。