marginalia

読んだ本の話や一緒に暮らす猫のこと、それと趣味ではじめた翻訳の話など。

『湖中の女』を訳す 第十一章(3)

<feel bad>は「不愉快」ではなく「同情する、気の毒に思う」 【訳文】 「その女には会ったことがない」私は言った。「だから、何をするか見当もつかない。ビルは一年ほど前にリヴァーサイドのどこかで出会ったと言っていたが、それまでに長く込み入った物…

『湖中の女』を訳す 第十一章(2)

パットンが帽子をとって髪をくしゃくしゃにするのは考え事をするときだ 【訳文】 パットンは立ち上がり、小屋のドアの鍵を開けた。香ばしい松の匂いが部屋中に流れ込んできた。彼は外にぺっと吐き、また腰を下ろして、ステットソンの下のくすんだ茶色の髪を…

『湖中の女』を訳す 第十一章(1)

<the back>は「(椅子)の背」の部分。自分の背なら<on my back>だ 【訳文】 私道を塞ぐゲートには南京錠がかかっていた。二本の松の木の間にクライスラーを押込み、ゲートをよじ登って、忍び足で道の縁を歩いた。突然、足下に小さな湖の光が微かにきら…

おしっこが出ない

ぽつんと小さな血尿がシートに跡をつけていることはあっても、その後で大量のおしっこをすることも多いので、あまり気にはしていなかった。 カリカリも、ちゅーるもモリモリ食べているし、うんちも一日二回程する。 絶好調とは言わないまでも、まずまず年を…

『湖中の女』を訳す 第十章

<across the road>は「道を横切る」ではなく「道路の向こう側」 【訳文】 革製の犬の首輪をつけた、人馴れた牝鹿が目の前の道路の向こう側をうろついていた。その首筋のざらついた毛を軽く撫でてやり、電話局の中に入った。小さな机に向かって帳簿の整理を…

『湖中の女』を訳す 第九章(2)

<open up>には「(店を)開店する」という意味がある 【訳文】 私は横目で彼女を見た。ふわっとふくらませた茶色の髪の下から、思慮深げな黒い瞳がこちらを見ていた。夕闇がとてもゆっくりと迫りつつあった。それはほんのわずかな光の質の変化に過ぎなかっ…

『湖中の女』を訳す 第九章(1)

<politician>は「政治家」ではなく、自らの利に敏い「政治屋」のこと 【訳文】 インディアンヘッド・ホテルは新しくできたダンスホールの向かいにある、通りの角の褐色の建物だ。​その前に車を停め、トイレで顔と手を洗い、髪にからんだ松葉を櫛で梳きとっ…

『湖中の女』を訳す 第八章(2)

いったいビル・チェスはいつの間に腰を下ろしたのだろう? 【訳文】 「お巡りらしい言い草だ」ビル・チェスは吐き捨てるように言い、ズボンを穿き、また腰を下ろして靴を履き、シャツを羽織った。身支度を終えると、立ち上がって瓶に手を伸ばしてたっぷり飲…

『湖中の女』を訳す 第八章(1)

<a batch of mud pies>は「マッド・パイ一窯分」 【訳文】 彼は停車場から道路を隔てた向かい側の白い木造家屋の前で車を止めた。建物の中に入って、すぐ一人の男と出てきた。男は手斧とロープと一緒に後部座席に乗った。公用車が通りを戻って来たので、そ…

『湖中の女』を訳す 第七章

「脂肪は、ほんのご愛嬌だ」は<The fat was just cheerfulness> 【訳文】 板張りの小屋の窓越しに、片端に埃だらけのフォルダーが積まれたカウンターが見えた。ドアの上半分を占めるガラスに、黒い塗料で書かれた文字が剥げかけている。「警察署長。消防署…

『湖中の女を訳す』第六章(3)

<green stone>はただの「緑色の石」ではなく、「翡翠」の一種 【訳文】 すぐ横で激しい動きがあり、ビル・チェスが言った。「あれを見ろ!」山で聞く雷鳴のようなうなり声だ。 硬い指が腹が立つほど私の腕に食い込んだ。彼は手すりから大きく身を乗り出し…

『湖中の女を訳す』第六章(2)

<flat angle>は「鈍角」でも「浅い角度」でもない 【訳文】 我々はまた、小犬のように仲よく並んで歩き出した。少なくとも五十ヤードくらいの間。かろうじて車が通れるほどの道幅の道路が、湖面に迫り出すようにして、高い岩の間を抜けていた。最遠端から…

『湖中の女を訳す』第六章(1)

<brighten up>は「~を明るくする」から「機嫌を直す、元気づける」 【訳文】 我々は湖岸へと続く斜面を下り、狭い堰堤の上に出た。ビル・チェスは、鉄の支柱に取り付けられた手すりのロープをつかみながら、強張った足を振るようにして私の前を歩いた。ひ…

『湖中の女を訳す』第五章(4)

三度繰り返される<get away with>をどう扱うか? 【訳文】 話が途切れた。言葉は宙を漂い、やがてゆっくり落ちて、あとには沈黙が残った。彼は身を屈めて岩の上の瓶を手に取り、じっと凝視めた。心の中で瓶と戦っているようだった。ウィスキーが勝った。い…

『湖中の女を訳す』第五章(3)

<in a lance of light>(光の槍の中に)は何の比喩だろう? 【訳文】 私は瓶の金属キャップを捻り切り、相手のグラスにたっぷりと、自分のグラスには軽く注いだ。我々はグラスを合わせ、そして飲んだ。彼は酒を舌の上で転がし、微かな陽射しのようにわびし…

『湖中の女を訳す』第五章(2)

<full of knuckles>を「一発」に減らすのは、もしかして非暴力主義? 【訳文】 私は立ち上がり、ポケットからキングズリーの紹介状を取り出して男に手渡した。男は眉根を寄せてそれを見たが、それから足音高く小屋に戻り眼鏡を鼻にのせて戻ってきた。そし…

『湖中の女』を訳す 第五章(1)

どうして<a high granite outcrop>を複数扱いで訳しているのだろう 【訳文】 サン・バーナディーノは午後の熱気で焼かれ、ぎらぎらと揺らめいていた。空気は舌に火ぶくれができそうなほど熱かった。喘ぎながらそこを通り抜ける途中、一パイント瓶を買う間…

『湖中の女』を訳す 第四章(2)

<Nervous Nellie>を「ビビリのビリー」と訳してみた 【訳文】 私はアルモア医師に注意を戻した。今は電話に出ていたが、口は動かさず、受話器を耳にあて、煙草を吸いながら、待っていた。それから、相手の声が戻ってきたとき誰もがするように、身を乗り出…

『湖中の女』を訳す 第四章(1)

屋根の<tiles>は「タイル」じゃなくて「瓦」だろう。 【訳文】 横長の、奥行きのない家で、薔薇色の化粧漆喰仕上げの壁がほどよくパステル調に色褪せ、窓枠はくすんだ緑色で縁どられていた。屋根は緑の瓦葺きで、肌理の粗い丸瓦だ。正面壁を刳った奥に、色…

『湖中の女』を訳す 第三章(3)

<the veneer peel off>を「化けの皮がはげる」と訳すのはうまい。 【訳文】 彼は煙草の灰をテーブルのガラス天板の上に慎重に落とした。そして、上目づかいにちらっと私を見て、すぐに目をそらした。「待ちぼうけを食わせたんだ」彼はゆっくり言った。「俺…

『湖中の女』を訳す 第三章(2)

<in the way of ~>は「~の点では」という条件がついている 【訳文】 レイヴァリーは勢いよくドアを閉め、ダヴェンポートに座った。打ち出し細工を施した銀の箱から煙草を一本ひっつかんで火をつけ、いらだたし気にこちらを見た。私は向かい合って座り、…

『湖中の女』を訳す 第三章(1)

<burl walnut>というのは、ふし瘤のあるウォールナットのこと 【訳文】 アルテア・ストリートは、深い峡谷にV字の形に広がる土地のいちばん奥にあった。北は冷たく青い海岸線がマリブあたりの岬までのび、南はコースト・ハイウェイに沿って続く断崖の上に…

『湖中の女』を訳す 第二章(3)

五セントのはずの<nickel>が、二セントや十セントになる不思議 【訳文】 「他にもっと多くのことが起きているかもしれません」私は言った。「レイヴァリーと駆け落ちしたものの、喧嘩別れした。他の誰かと駆け落ちして電報は冗談だった。一人で家を出たか…

『湖中の女』を訳す 第二章(2)

<homewrecker>は女の尻を追いかける「泥棒猫」のこと 【訳文】 彼は鍵のかかった抽斗を開けるために椅子を後ろに退き、折り畳んだ紙片を取り出して渡してよこした。広げてみると電報用紙だった。電報は六月十四日 午前九時十九分にエルパソで打たれたもの…

『湖中の女』を訳す 第二章(1)

<call down>は「酷評する、けなす、こき下ろす」 【訳文】 それはプライベート・オフィスたるもの、そうあるべき部屋だった。奥行きがあり、ほの暗く、ひっそりして空調が効いていた。窓は閉まり、灰色のベネシアン・ブラインドを半ば閉じて、七月のぎらつ…

『湖中の女』を訳す。第一章(2)

<rear back>は「後退り」ではなく「後ろ脚で立つ」ことだ。 【訳文】 半時間がたち、煙草を三、四本吸い終わった頃、ミス・フロムセットの背後のドアが開き、二人の男が笑いながら後ろ向きに出てきた。三人目の男がドアを抑え、二人に調子を合わせていた。…

チャンドラー『湖中の女』を訳す 第一章(1)

【はじめに】 ずぶの素人がまるまる一冊、長篇小説を訳してみようと無謀な試みを思い立ったには訳がある。村上春樹氏がチャンドラーの長篇の新訳を出したことで、新訳について様々な意見が巻き起こった。旧訳でなじんできた読者に新訳が違和感を持って迎えら…

『さらば愛しき女よ』を読み比べるー第41章(最終話)

<She turned>は「彼女は振り返った」 【訳文】 ヴェルマを見つけるのに三か月以上かかった。グレイルが彼女の行方を知らず、逃亡を助けてもいないということを警察は信じなかった。そこで、国中の警官とやり手の新聞記者は金のかかりそうな隠れ場所を八方…

『さらば愛しき女よ』を読み比べるー第40章

「ホワイト・タイ」とあるからには、ここは「燕尾服」の出番だ。 【訳文】 「あなたは、ディナー・パーティーを開くべきだった」アン・リオーダンはタン色の模様のある絨毯越しに言った。「きらめく銀食器とクリスタル、糊の利いた真っ白なリネン――ディナー…

『さらば愛しき女よ』を読み比べるー第39章(4)

<the weak link in the chain>は「集団・計画の命取り」 【訳文】 彼女はバッグから金のシガレット・ケースを取り出した。私は彼女の傍に寄り、マッチの火をつけた。彼女は微かな一筋の煙を吐き、眼を細めてそれを見つめた。「隣に座って」彼女は突然言っ…