marginalia

読んだ本の話や一緒に暮らす猫のこと、それと趣味ではじめた翻訳の話など。

2015-01-01から1年間の記事一覧

『世界収集家』 イリヤ・トロヤノフ

リチャード・バートンと聞いて、リズ・テーラーの夫だったこともある英国のハムレット役者を思い出す人も今は少なくなったかもしれない。僕等の頃は、まずそちらだった。もう一人のリチャード・バートンが何で知られていたかといえば、子ども向けの『アラビ…

『詩のなぐさめ』 池澤夏樹

両親がマチネ・ポエティックの詩人(福永武彦と原條あき子)であり、自身詩人でもある小説家が、岩波文庫の中に収められた詩を材にとって、気ままに想像の翼を広げ、そこから思いつく異なる時代、異郷の詩人の詩との思いがけない出会いを綴ったもの。詩の鑑…

『好色一代男/雨月物語/通言総籬/春色梅児誉美』 池澤夏樹=個人編集 日本文学全集11

名所旧跡というものがある。人の口に上るので、自分では特に行ってみたいと思っていなくても、一度くらいは行っておいたほうがよいのではと思ってしまう、そんなようなところだ。古典というのもそれに似たところがあるのかもしれない。学校の歴史の授業で名…

『黒澤明と三船敏郎』 スチュアート・ガルブレイス4世

黒澤の映画をリアルタイムで見はじめたのが、『影武者』あたりだからか、ずっと仲代達也に肩入れしてきたのだが、ある時期から古いモノクロ時代の黒澤を見て、圧倒的に三船敏郎のよさが分かってきた。『七人の侍』や『羅生門』の三船も野生的で他にかけがえ…

『書店主フィクリーのものがたり』 ガブリエウ・ゼヴィン

一日のうちに再読することができた。さすがはベストセラー。読みやすさは保証する。主人公を書店主に設定した点で、ジョン・ダニングのクリフ・ジェーンウェイ物やカルロス・ルイス・サフォンのバルセロナ四部作を思い出させる。アイランド・ブックスは店主…

『コドモノセカイ』 岸本佐知子編訳

岸本佐知子編訳による、「子ども」をテーマにした短篇小説のアンソロジー。十一人の作家による十二篇の作品が集められている。どれも、独特の味があり、読書にかかる時間の割りには読後の余韻が長く残る。編訳者の好みによるのだろうが、通常「子ども」と聞…

『私の1960年代』 山本義隆

山本義隆という名前を聞いて、ああ、と思い出す人は世代的に限られているだろう。在野の物理学者として、素人にもよく分かる物理学の歴史を説いた良書の筆者として知られているが、東大全共闘のリーダーとして、当時新聞紙上を騒がしていた名前である。東大…

『ゴーレム100』 アルフレッド・ベスター

西暦2175年。カナダからサウスカロライナ州にかけてのびる<北東回廊>はスラムと化していた。なかでも旧ニューヨーク地区は<ガフ(でまかせ)>と呼ばれ、ありとあらゆる悪徳がはびこる無法地帯となっていた。ただ、そのジャングルは常時死と隣り合わせで…

『天国でまた会おう』 ピエール・ルメートル

第一次世界大戦後間もない頃の話。戦地で埋められた死体を掘り起こし、遺族の待つ地方の墓地に葬るという施策が立てられた。ところが、それを請け負った業者が、死体が物言わぬのをいいことに、杜撰きわまりないやり方でそれを行なったことが発覚し世間を騒…

『迷子たちの街』 パトリック・モディアノ

まずは二度読んでほしい。初読時に読み過ごしていた人名や住所、年月日といった、一見細々と感じられる記述に何度も立ちどまり、作者が行間から目くばせしているのに気づくはずだ。訳者は「訳者ノート」の中でうまい比喩を用いている。初めの読みは助手席か…

『第二次世界大戦1939-45』上中下 アントニー・ビーヴァー

1939年ドイツ軍のポーランド侵攻から1945年原爆投下による日本の無条件降伏に至るまでの第二次世界大戦を編年体で書き綴ったノンフィクションの労作である。一冊約五百ページが三冊という量にまず圧倒されるが、よく知られる政治家や軍人にスポットをあて、…

『べつの言葉で』 ジュンパ・ラヒリ

『停電の夜に』で、衝撃的なデビューを果たした後も、『その名にちなんで』、『見知らぬ場所』と確実にヒットを飛ばし、つい最近は『低地』で、その成長ぶりを見せつけていたジュンパ・ラヒリ。その彼女がアメリカを捨て、ローマに居を構えていたことを、こ…

『情事の終り』 グレアム・グリーン

第二次世界大戦中のロンドン。作家のモーリス・ベンドリクスは官吏のことを書いた小説の取材のため、パーティーで知り合ったばかりのヘンリ・マイルズの妻、セアラに近づく。しきりと夫のことを知りたがる小説家に好感を抱いたセアラと、文学や映画について…

『アフター・レイン』 ウィリアム・トレヴァー

いずれも甲乙つけがたい、虚飾を廃した文と余分なものを一切削ぎ落とした構成で仕上げられた短篇が十二編。短篇の名手の名に恥じない傑作短篇集である。惜しむらくは程度の差こそあれ、四人の訳者による翻訳が、それに見合っていないことだ。車や酒の訳語が…

『ユニヴァーサル野球協会』 ロバート・クーヴァー

「ヘンリーは、興奮のあまりからからに乾いた唇をなめながらパイオニア・パークの上空の太陽を目を細めて見ると、腕時計に目をやった。ほぼ一一時。そろそろディスキンの店が閉まる頃だ。そこで、ヘンリーは、この七回に慣例の、地元の観客たちの背伸びタイ…

『ある夢想者の肖像』 スティーヴン・ミルハウザー

ミルハウザーの愛読者にとっては長年の渇を癒す、待望の長篇第二作(1977年)の翻訳。しかも翻訳は柴田元幸氏である。何をおいても手にとらないわけにはいかない。そう勢い込んで読んでみたのだが、ちょっと様子がちがう。夏の月夜の徘徊、自動人形、雪景色…

『マルトク 特別協力者 警視庁公安部外事二課 ソトニ』 竹内明

マルトク(特別協力者)とは、「公安警察が、主に敵対するスパイ組織や犯罪組織の内部に獲得し、運用する、特殊な情報提供者」のことである。平たく言えば二重スパイのことだろう。公安がそういう人種を運用するなら、敵も同じことをするにちがいない。つい…

『心の死』 エリザベス・ボウエン

時代は二つの大戦間。リージェント・パークを臨むウィンザーテラスにはアナとトマス夫妻が住んでいた。アパー・ミドルに属する二人の館には、アナ目当ての男たちが毎日のように訪れていたが、トマスはあまり客を喜ばず一階の書斎で過ごすのが常だった。そん…

『死を忘れるな』 ミュリエル・スパーク

ほとんどの登場人物が七十歳をこえている。こういう用語があるかどうかは知らないが、いうならば「老人」小説。わが国にも川端康成の『眠れる美女』や谷崎の『瘋癲老人日記』といった立派な老人小説が存在するが、ミュリエル・スパークのそれは、特異な性癖…

『地球の中心までトンネルを掘る』 ケヴィン・ウィルソン

短篇小説というのは、雑誌などに他のいろいろな記事に交じって掲載されることが多い。短い頁数の間で読者に何がしかの感興を抱かせなくてはならない。書き出しにつまづいたら読者は放り出し、次の記事に目を移す。うだうだと御託を並べたてる暇はないのだ。…

『服従』 ミシェル・ウエルベック

示唆に富む小説である。著者の作品は『素粒子』しか読んでいないのだが、それに比べると、ずいぶん読みやすくなっている。小説の核となる部分は近未来を扱っているが、それほど遠い未来ではない。舞台はフランス。主人公はパリ第三大学教授フランソワ。専門…

『オルフェオ』 リチャード・パワーズ

愛犬フィデリオの異変にあわてたピーター・エルズは緊急サービスに電話した。それが事をややこしくしてしまった。やってきた二人組の刑事は、大量の本やCDで埋まった書棚、犬の死体、素人には不似合いな化学実験器具から何かを察知したのか、翌日別の二人組…

『老首長の国』 ドリス・レッシング

南ローデシア(現ジンバブエ)を主な舞台とした短篇集。ドリス・レッシングはペルシアに生まれ、五歳の時、南ローデシアに家族で移住。そこで三十年過ごした後英国に渡り、作家となる。副題にあるとおり、アフリカに想を得た短篇ばかりを集めているが、なか…

『密会』 ウィリアム・トレヴァー

「現代のチェーホフ」と呼ばれる短篇小説の名手、ウィリアム・トレヴァーの短篇集。若島正がその著『乱視読者の英米短篇講義』のなかで「つまらない作品をひとつとして書いたことのない」と称えたトレヴァーである。死にゆく人の最期に付き添う姉妹が亡き夫の…

『黒檀』 カプシチンスキ

読みながら、たびたび思い出したのは長田弘氏の詩だった。思索的でありながら、索漠とした散文ではない、詩心を感じさせてくれる文章なのだ。解説の中でカプシチンスキがほんとうに詩人だったことを知り、納得した。これは詩人の筆になるアフリカ大陸に住む…

『エヴァ・トラウト』 エリザベス・ボウエン

ボウエン最後の長篇小説。ブッカー賞のリストに載るが受賞はしなかった。プロットや人物造型に対する不満が評価が分かれる理由らしい。人物造型についていえば、たしかに主人公であるエヴァはあまり人好きのするタイプではない。なにしろ億万長者の一人娘で…

『ボウエン幻想短篇集』 エリザベス・ボウエン

掌篇といえるような短いものも含む短篇小説が十七篇。いずれも、ごくごく普通の男女が日常のなかで出会うべくして出会ってしまった類稀なる非日常の一コマを鮮やかに切り取り、すくいとって見せる、短篇小説の名手ならではの技巧の冴えを見ることができる名…

『日ざかり』 エリザベス・ボウエン

「しかし彼らは二人きりではなく、それは最初から、けだし恋の初めからそうだった。彼らの時代がテーブルの三人目の席についていた。彼らは歴史の産物で、彼らの出会いそのものが、ほかの日ではありえない出来事だった――その日の本質がその日に内在していた…

『大いなる眠り』第4章(7)

<私は立ち上がり、帽子にちょっと触って金髪女に挨拶すると、男の後を追って外に出た。彼は西の方に歩いていた。右の靴の上でステッキが小さく正確な孤を描いてゆれていた。尾行するのは簡単だった。上着はかなり派手で、まるで馬にかける毛布であつらえた…

『大いなる眠り』第4章(6)

<私は椅子のひとつに体を伸ばし、灰皿スタンドの上の丸いニッケル・ライターで煙草に火をつけた。彼女はまだ立っていた。歯で下唇をかんで、なんとなく困ったような目をしていた。ようやく頷くとゆっくり振り返り、コーナーの小さな机の方に歩いて戻った。…