marginalia

読んだ本の話や一緒に暮らす猫のこと、それと趣味ではじめた翻訳の話など。

2013-01-01から1年間の記事一覧

『書楼弔堂 破曉』京極夏彦

うらやましいような身分である。労咳を疑い、妻子を残して家を出たものの、実は風邪をこじらしただけで、恢復後もせっかく借りたのだからと、そのまま賄いつきの田舎家に独り暮らし。御一新以来四民平等とはいえ、もとは旗本高遠家の嫡男。少しばかりなら蓄…

『黄金の盃』ヘンリー・ジェイムズ

表題の「黄金の盃」とは、作品冒頭に登場し、後半のヤマ場に再登場する水晶でできた大振りの杯に鍍金を施した品である。見かけは豪華でいかにも贈り物にふさわしい品に見えるのだが、かすかにひびが入っているため何かの拍子に落としでもすれば、そこから割…

山茶花のトンネル

新聞に、粥見の山茶花が見頃と出ていたのは一週間ほど前だった。『温泉○○』今月号の無料で入れる温泉手形のページには、めずらしく近県の日帰り温泉が数軒紹介されていた。そのなかに香肌峡温泉もあり、粥見はちょうどそのルート上に位置していた。温泉への…

『使者たち』ヘンリー・ジェイムズ

ヘンリー・ジェイムズの代表作であり、「二十世紀文学の巨峰」とも称される長篇小説である。晦渋で難解なことで知られるヘンリー・ジェイムズの小説だが、読み始めてすぐに意外にも読みやすいという印象を受けた。一年にわたって毎月雑誌に連載されたため、…

『鳩の翼』ヘンリー・ジェイムズ

さすがに時代がかっている。美しく賢いが、家柄や財産のない若い女が、おのれの財産であるところの美貌と知性をつかって、社交界の仲間入りを果たし、財産を手にした上で、やはり、美男子で人好きはするが財産のない青年と結婚するために、策略の限りを尽く…

ハリス・ツイード

今年はどうしたことか、ハリス・ツイードが流行りらしい。テレビの司会者や若い男優までカントリー調できめている。毎年着ているツイードではあるが、誰も気にとめてはくれなかった。今年なら少しはわかってくれるかもしれない。というわけで、今日のお出か…

種まき権兵衛の里

新聞に紅葉が見頃という記事が出ていた。天気もよし。ここ何日かの寒さも嘘のように消えている。google mapでルート検索すると高速で一時間、下道なら一時間半の距離だ。高速を使うなら軽のコペンのほうが有利だが、下道で行くなら147でもいい。時間だけ…

第43章

いつのまにかキャンディーが、飛び出しナイフを手にカウチのそばに立っていた。話を聞いていたのだろう。マーロウにそれまでの態度を詫びた。何も手を出すな、というマーロウの言葉にしたがい、ナイフをわたす。警察に連絡するべきだというスペンサーを制し…

アディダス・カントリー

履きなれた靴というのは何物にも代えがたい。まして、それがドライヴィング・シューズであった場合。車を運転しなかった頃には、デザート・ブーツやワーク・ブーツといった長靴から、モカシン、サンダルに至るまで、ずいぶんいろんな靴をはいてきたが、自分…

アディダス・カントリー

履きなれた靴というのは何物にも代えがたい。まして、それがドライヴィング・シューズであった場合。車を運転しなかった頃には、デザート・ブーツやワーク・ブーツといった長靴から、モカシン、サンダルに至るまで、ずいぶんいろんな靴をはいてきたが、自分…

散歩の途中で

昨日買ったばかりの中折れ帽をかぶり、首にはインド綿のスカーフを巻いた。いつもの散歩道だが、今日はめずらしく財布と携帯をポケットに入れた。妻のコペンがドック入りしているので、電話が入り次第迎えに行かねばならない。 財布の方はというと、近所のパ…

『作者を出せ!』デイヴィッド・ロッジ

原題は“ Author, Author ” 。つまり『作者、作者』の意味で、劇の幕が下りて拍手が鳴り止まず、カーテン・コールに作者の登壇を呼びかける観客の掛け声。もっとも、それがブーイングの声といっしょにかかるときは、「作者を出せ!」つまり、「責任者出て来い…

『沈むフランシス』松家仁之

『火山のふもとで』で鮮烈なデビューを果たした松家仁之待望の第二作。期待にたがわぬ出来映え、といいたいところなのだが、前作に比べると、よくできた小品という印象が強い。相変わらず叙述の技巧は冴えわたり、読む快感を堪能できる仕上がりなのだが、前…

『絶倫の人』デイヴィッド・ロッジ

ジェローム・K・ジェローム、イーヴリン・ウォーの系譜に連なる英国滑稽小説の名手デイヴィッド・ロッジの手になる伝奇小説ならぬ伝記小説。しかし、名うてのロッジの手にかかる人物が、『タイムマシン』、『透明人間』などのSF小説作家として知られるあ…

『空腹の技法』ポール・オースター

作家オースター誕生以前に書かれたエッセイ、翻訳書につけた序文、『ムーン・パレス』、『偶然の音楽』発表時のインタビューを併せた雑文集。分類上は「エッセイ」とされているが、オースターが自ら選んだ作家や作品、詩人についての批評である。カフカやベ…

『移動祝祭日』ヘミングウェイ

「もし幸運にも、若者の頃、パリで暮らすことができたなら、その後の人生をどこですごそうとも、パリはついてくる。パリは移動祝祭日だからだ」という、ヘミングウェイ自身の言葉が題辞として付されている。見慣れないタイトルは、この言葉からとられたらし…

『孤独の発明』ポール・オースター

すべてはここから始まる。詩と翻訳から作家活動をはじめたオースター初の散文作品。『孤独の発明』は二部構成。第一部は、自分の父について書かれた「見えない人間の肖像」。これは、一種の人物描写エッセイ(ポルトレ)と考えればいいだろう。第二部は、偶…

『名もなき人たちのテーブル』マイケル・オンダーチェ

人は、いつ何をきっかけにして大人になるのだろうか。マイケルは11歳。セイロン(今のスリランカ)のコロンボから二つの大洋を越えてイギリスに向かう汽船の客となる。幼い頃に分かれた母親がイギリスの港で待っているはずだ。たった一人で三週間の船旅を…

『トゥルー・ストーリーズ』ポール・オースター

「ほかに何を学ばなかったとしても、長い年月のなかで私もこれだけは学んだ。すなわち、ポケットに鉛筆があるなら、いつの日かそれを使いたい気持ちに駆られる可能性は大いにある。自分の子どもたちに好んで語るとおり、そうやって私は作家になったのである。…

『リヴァイアサン』ポール・オースター

「世界は彼のまわりで変わってしまっていた。利己主義と不寛容、力こそ正義と信じて疑わぬ愚かしいアメリカ至上主義、といった昨今の風土にあって、サックス の意見は奇妙にとげとげしく説教臭いものに聞こえた。右翼がいたるところで力を得ているだけでも十…

『幽霊たち』ポール・オースター

クエンティン・タランティーノに『レザボア・ドッグズ』という映画がある。それぞれ相手を知らないで呼び集められた犯罪者集団はお互いを色の名前で呼び合う。ブラックという名前が人気で、みんながその名をほしがったというのがギャグになっていたのを覚え…

『鍵のかかった部屋』ポール・オースター

作家オースターの礎を築いた、『ガラスの街』、『幽霊たち』に続くニュー・ヨーク三部作の掉尾を飾る長篇小説。探偵小説の枠組みを借りて、「不在の人物を めぐる依頼を引き受け」た主人公が、探偵役となって謎を追うという構成は前二作と共通している。通常…

『ティンブクトゥ』ポール・オースター

トンブクトゥという地名なら以前から知っていた。泥を支柱に塗り重ね、日干し状にして建てられた城のようなモスクのある、西アフリカ、マリ共和国の砂漠の都市。黄金郷との噂もあり、ヨーロッパ人にとっては、地の果てにある夢の国のように想像されていたと…

『偶然の音楽』ポール・オースター

「まる一年のあいだ、彼はひたすら車を走らせ、アメリカじゅうを行ったり来たりしながら金がなくなるのを待った。こんな暮らしがここまで長く続くとは思っていなかったが、次々にいろんなことがあって、自分に何が起きているのかが見えてきたころには、もう…

『ムーン・パレス』ポール・オースター

「それは人類がはじめて月を歩いた夏だった」という書き出しから、作品の舞台になっているのが1969年と分かる。主人公はボストン生まれのM・S・フォッグ。早くに母を亡くし伯父と暮らしていたが、四年前にコロンビア大学で学ぶためニュー・ヨークにやって…

『最後の物たちの国で』ポール・オースター

1900年代初頭に売り出されたピアス・アローを「黒塗りの半世紀前の自動車」と主人公が手紙に書いていることからみても、この話が近未来を舞台にしたSF小説ではないことが分かる。たしかに設定はどこまでも極端で、食料は勿論のこと、生活していく上での様…

『オラクル・ナイト』ポール・オースター

アントワーヌ・ガランがオリジナルの『千一夜物語』に滑り込ませた『アラジンと魔法のランプ』は、舞台が中国になっていた。『オラクル・ナイト』で「魔法のランプ」にあたるのが、主人公がニュー・ヨークの街を散歩中「ペーパー・パレス」という見かけない…

『幻影の書』ポール・オースター

妻子を事故で亡くした男が喪失感と罪障感に苛まれ自暴自棄になってしまうが、何かの仕事をすることで、そこから立ち直ってゆく姿を執拗に描き続けることは、ポール・オースターにとって、オブセッションなのだろうか。二番煎じ、三番煎じと言われることは分…

第42章

マーロウは、スペンサーを横に乗せてアイドル・ヴァレーに向かう。スペンサーは終始無言だったが、サン・フェルナンド・ヴァレーの地表面を覆うスモッグに耐えかねて口を開く。 “ What are they doing ― burning old truck tires? ” 清水訳「いったい、どう…

『ガラスの街』ポール・オースター

「そもそものはじまりは間違い電話だった」という、いかにもミステリーという書き出し。主人公ダニエル・クインは三十五歳。詩や評論を書いていたが、妻子を亡くしてからというもの文学的野心を見失い、今は匿名でミステリーを書いて暮らしている。世間と隔…