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デイ・トリッパー

日帰り温泉の話やら、近県へのドライブなど日々の暮らしの中で見聞きし、感じたことを…。

電車形のバスが電線のないところで一休みしていた。

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電車形のバスが市内を走るようになってからずいぶんたつが、徴古館のバス停に停まっているのをはじめて見た。時間待ちをしているようだった。

 

子どもの頃、市内を走っていた電車になぞらえて作られた車体の色が懐かしくて、御幸道路を走る姿を見るのは、ちょっとうれしい気がしていた。

 

それが、電線のない博物館のバス停に停まっているのは、なんだかサボっているようでおかしかった。

 

三連休になると、このバス停も貸し切りバスが停まったりして騒がしくなる。今の間だけ、ちょっと息抜きというところだろうか。

曾爾高原に行ってきました。

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あまりいい天気なので、秋めいてきた高原に足を伸ばした。奈良県にある曾爾高原は薄で有名だ。九月の終りでは、まだ少し早すぎたが、所々に銀色の尾花の群れが陽を受けて揺れていた。

 

犬を散歩させている人が少なくない。人懐っこい犬が眼が合うと駆け寄ってくる。飼い主の方と話しながら、撫でてやると喜んで尻尾を振る。薄を見に来たのだが、ここで犬と出会うのは織り込み済みである。満足した。いくら猫が好きでも、外で会えるのは犬のほうが断然多い。毛並みをそっと撫でるだけで、あたたかいものが胸ぬちにこみあげる。

 

亀池の周りをめぐった後は、お亀の湯へ。ぬるぬるした泉質が人気の日帰り温泉だ。家から二時間くらいかかるので、なかなか来れない。久しぶりの温泉である。男湯には午後の日差しがまぶしく、源泉に眼を瞑ってしばらく浸かった後は、サウナに。水風呂でからだを冷やし、水気を拭いて風に当たる。

 

青空には刷毛で掃いたような雲が浮かび、穏やかな一日。あまり疲れてもいないが、どこかしらに溜まった日々の疲れを落とし、すっきりして帰途に着いた。

寧楽美術館

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奈良にある寧楽美術館で開催中の韓国陶磁の展覧会に行ってきた。場所は東大寺の近く。県庁地下にある駐車場に車を停めて徒歩五分くらいか。観光地とも思えぬくらいの閑静な場所に美術館はあった。

 

高麗青磁が中心のこぢんまりとした展示だったが、青磁象嵌の名品がいくつかあって、目を楽しませてくれた。スタンプで型押しした部分に異なる色の陶土を嵌め込み、焼成することで模様を作り出すのが印花象嵌だが、その精緻な技術に舌を巻いた。

 

ゆっくり見回った後、隣接する庭園を拝観した。若草山東大寺南大門を借景とした庭園は修学旅行生でにぎわう東大寺の隣にあるとは思えない別天地で、その静まり返った庭園には別の時間が流れていた。

 

車に戻り、転害門近くにある天平倶楽部で昼食をとった。奈良に来ると、いつも寄る店だ。見栄えのよい小皿に技術を凝らした和食の粋が並ぶ。昼の膳は、量がほどよく、味もまた素晴らしい。その後、奈良公園を散歩しながら、奈良ホテルでお茶を愉しんだ。

 

堀辰雄の『大和路』に登場する老舗ホテルのティー・ラウンジは、木の間越しに若草山が見渡せるガラス窓沿いにあり、朱塗りの欄干や苔生した台座がいかにも時代を感じさせるつくりだった。桜や楓の古木がガラス戸越しに新緑の色を誇っていたが、春や秋にはさぞ見事だろうと想像させられた。是非、またその頃訪れようと思った。残念なのは、グループ客のおしゃべりがいちばん遠くの席にまで響くことで、こればかりはどこへ行っても追いかけてくる。図書館ではないが、静かにしたい客もいる。声を抑える気配りがほしいところだ。

 

懐かしのナポリタン

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妻のいない月曜日も今週で終り。でも、今日は自分で何かつくらないといけない。

 

といってもできるものは限られている。というわけで、今週もパスタに決まり。

 

この前知人が自分で作ったジャガイモと玉葱をもらったばかり。ハムやピーマンは常備してある。ケチャップが残り少ないが、まあなんとかなるだろう。

 

大学時代、京都の喫茶店でバイトしていた頃、よく作った。あの頃はひどいもので、茹でておいたパスタをオイルでコーティングして冷蔵庫に入れておき、注文が入ると、ハムとミックスベジタブルをケチャップで和えたところに、パスタを入れて炒めたものをナポリタンとして客に出していた。

 

どこでも、そんなもので、新京極にあった喫茶店ではコカ・コーラナポリタンのセットが90円だった時代だ。休みの日には、京都中を歩き回っていたが、四条あたりで昼になると、よくその店に行った。その店がつぶれた後は、百円で卵入りのカレーを食わせる食堂を見つけた。やがて、その生卵が半分に割ったゆで卵になり、実質上の値上げをしたあたりで足が遠のいた。市電も値上がりし、京都も次第に住みにくくなっていった。

 

小振りの玉葱を半分くし切りにし、ピーマンとハムの細切りを用意した。手つき鍋に湯が沸騰したところで、塩を入れ、今日は太めがいいので、スパゲッティを8分にセット。弱火にしたフライパンにバターをとかし、用意した玉葱ほかを入れ、しんなりするまでいためる。ケチャップに塩コショウとリー・ペリンで味を調える。パスタの茹で汁を加えて、湯切りしたスパゲッティを入れてよく和えたら終り。

 

皿にのせ、上からパルミジャーノ・レッジャーノをたっぷり下ろす。今日はワインは、なし。金のなかった頃を思い出しながら、じっくりいただくとしよう。

キャベツとアンチョビのパスタ

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妻がボランティアのスキルアップ講習のため、出かけていて昼は自分で何とかしなくてはいけない。いつもなら、何かはあるのだが、ここ三日というもの、次男が夕食に来られないので、買い物に行かずに済ませている。妻は昨夜も友人との会食で、回鍋肉を作って一人で食べた。

 

昨夜使ったからキャベツはあるのが分かっていた。冷蔵庫には、この間ピザに使ったアンチョビも半分少々残っている。というわけで、キャベツとアンチョビのパスタを作ることにした。なに、作り方はしごくかんたんだ。

 

ディチェコのパスタの袋には、日本語表示で9分と茹で時間が書かれているが、イタリア語表記は二つで、アルデンテなら7分と書かれている。途中でキャベツも湯のなかに入れるので、中をとって8分、キッチンタイマーをセットした。

 

キャベツは手ごろな大きさに角切りし、ざるにとった。パスタはメジャーで二人分はかり、片手鍋に湯を沸かした。沸いてきたら塩をひとさじ入れ、パスタを入れる。全部中に納まるまで、箸でかき回す。

 

フライパンにオリーブオイルを大匙一杯いれ、アンチョビを入れる。このとき、浸かっていたオイルもいっしょに入れると風味が増す。パスタの茹で汁をフライパンに入れ箸でアンチョビをほぐす。いい香りがしたところで火を止め、茹で上がったパスタと、途中で入れたキャベツをざるにとって湯切りする。

 

湯切りがすんだパスタとキャベツをフライパンに入れ、アンチョビをからませたら出来上がり。労をねぎらって、白ワインをあけ、グラス一杯分だけ、飲むことにした。近頃、車にはめったに乗らない。あまり冷えてないので、ワインの香りがひときわ匂い立つ。パスタは少し芯が歯に残る、文字通りアルデンテ。上出来である。

 

「南山城古寺巡礼」

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京都国立博物館で開催中の「南山城の古寺巡礼」展に行ってきた。特別展がこの15日で終わってしまうので、梅雨空の具合を気にしつつも出かけてきたのだった。

 

はじめは、駅で昼食をとってからゆっくり見学と思っていたのだが、近鉄特急の連絡が予想外にうまくいき、十一時前に京都に着くことになり、先に博物館に行くことにした。駅からはさほど遠くないが、電車の降り口は駅裏にあたる八条口である。京都駅を南北に縦断して正面に出るのも億劫なので、タクシーを利用。信号待ちさえなければあっという間だ。

 

特別展だからか、平日というのに予想外の人出だ。年輩客が多いのは、仏像を中心とした展覧会だから当然といえる。京都南部を流れる木津川沿いの寺にある仏画、仏像を集めたもので、めったに出かけることもない山寺もあり、浄瑠璃寺岩船寺をのぞく寺には行ったことがなかった。

 

仏像は見るのではなく拝むものだ、という意見を聞いたことがあるが、この日も合掌している人を何人も見かけた。まさに巡礼者の気分であるらしい。当方には、そんな殊勝な心がけは微塵もない。ただ、見物というのとも少しちがう。日本の仏像に対すると、心が落ち着くというのか、浄化というと言い過ぎだが、気分がよくなるのは確かで、これはと思う仏像に出会う機会があればつい足を運ぶことになる。

 

造形的には、天部に属する十二神将もすぐれているとは思うのだが、観世音菩薩像、なかでも十一面観音が好きだ。今回もいちばんのお目当てはそれである。海住山寺の立像、現光寺の坐像もそれぞれに美しかった。見上げるような大きさの禅定寺の立像もさすがに迫力があったが、今回は蟹満寺の阿弥陀如来に見惚れてしまった。大きいものではないが、造作にいやみがなくいつまででも見ていたいと思わせる美しいお顔立ちであった。

 

人の流れにあわせてみて回ること一時間半。足もくたびれ、腹もすいてきた。博物館の前でタクシーを拾い、四条に出た。西石垣通りにある「彩席ちもと」に向かう。京都に来ると、ここの玉子宝楽を食べるのを楽しみにしている。今回は時間の都合で無理かと思ったが、どうにか昼の時間帯の最後の客に滑り込んだ。八寸の蛸の梅肉掛けの柔らかさ、鯛の造りの絶妙の歯ごたえと、相変わらずの塩梅でキンシ正宗の冷酒とともに堪能した次第であった。

 

その後、河原町を三条まで上がって寺町に入り、行きつけの店を冷やかしながら四条に下りた。この日は、あまり収穫がなく、妻の夏服一着と志津屋のサンドウィッチを買って帰途に着いた。

今日、ダイニング・セットを新調した。

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妻が、友人を夕食に招待したとき、年代物の食堂の椅子が気になった。革張りのそれは、お気に入りの一品だったが、なにしろ、古びてきていた。特に、頭のあたる部分は、ニケが乗っかって来ては爪をとぐものだから、バリバリに毛羽立っていた。

 

気のおけない友人には、ニケの話をする材料になっていいのだが、ニケを知らない人には、何とみすぼらしい椅子だこと、と思われるにちがいない。思い出がいっぱい詰まっている椅子のことゆえ、手放したくはなかったが、そろそろ買い替えの時期が来ていたのだろう。近くの店に出かけたとき、よく似た革張りの椅子がセットになったダイニング・セットが目についた。

 

優柔不断な自分にしてはめずらしく即決で購入を決めた。展示品に限り一割引きというのも背中を推したかもしれない。セール中は展示しておく必要があったので、月がかわってやっと今日配達されて来たというわけである。運送業者の車の車高が高くて、駐車場の屋根の下に入らなかったが、空きスペースで梱包を解き、古いダイニング・セットは引きとってもらうことにした。

 

使い慣れた 家具を手放すのは、けっこうさみしいものだ。特に、ニケの爪とぎの痕が残る椅子の方はなおさらに。妻は数日前から写真のニケに向かって、古い食堂セットが新しいものに代わることを話していた。おそらく処分されることになるだろう古いテーブルと椅子だが、お世話になった感謝の気持ちをこめて、たまったほこりを取り、きれいに水ぶきをして送り出した。

 

以前に比べると、テーブルの幅が狭くなり、高さが高くなった。まだ少し慣れないが、そのうち気にならなくなるだろう。キャスターがついて、回転できるようになったのがありがたい。これまでの椅子は、頑丈なのはいいのだが、引くときに力がいるので、腕やら肩やらが痛むときには、つらかったからだ。食卓でPCを使う妻には、ヘッドレストの位置が高いのも使い勝手がよさそうだ。さっそくゲームを始めたところを後ろから撮ってみた。