marginalia

読んだ本の話や一緒に暮らす猫のこと、それと趣味ではじめた翻訳の話など。

『大いなる眠り』註解 第二十八章(1)

《どうやら女がいるらしい。電気スタンドの傍に坐り明かりを浴びている。別の灯りが私の顔にまともに当たっていたので、一度目を閉じて睫の間から女を見ようとした。プラチナ・ブロンドの髪が銀でできた果物籠のように輝いていた。緑のニットに幅の広い白い襟付きのドレスを着ている。足もとに艶のある角が尖ったバッグを置いていた。煙草を吸っていて、琥珀色の液体が入った背の高い淡色のグラスが肘のあたりに見えた。
 私はそろそろと頭を少し動かした。痛かったが、思ったほどではなかった。私はオーヴンに入れられるのを待つ七面鳥のように縛り上げられていた。両手は後ろで手錠をかけられ、一本のロープがそこから足首に回され、その端が私が転がされている茶色のダヴェンポートにあった。ロープはダヴェンポートの向こうに落ちていてここからは見えなかった。それがしっかり結ばれているのを確かめられるくらいは動けた。
 私はこそこそ動くのをやめ、もう一度目を開けて言った。「やあ」
 女はどこか遠くの山の頂をながめていた目をこちらに向けた。小さく引き締まった顎がゆっくり振り向いた。眼は山の湖の碧だった。頭の上では、まだ雨が屋根を叩いていた。どこか遠く、まるで他人事のように。
「気分はいかが?」なめらかで髪の色に似合った銀の鈴を振るような声だ。小さなちりんちりんという響きが、まるでドール・ハウスについた呼び鈴のようだ。そう考え、すぐに我ながら馬鹿なことを考えると思った。
「上々だ」私は言った。「誰かが私の顎にガソリン・スタンドを建てたようだ」
「何がお望みだったの、ミスタ・マーロウ──蘭の花?」
「しごく地味な白木の箱さ」私は言った。「青銅や銀の取っ手は邪魔だ。灰は青い太平洋上に撒かないでくれ。まだミミズの方がいい。知ってたかい? ミミズは両性具有でね、他のどのミミズとも愛しあえるって」
「あなたは少し軽率ね」厳しい目つきで彼女は言った。
「この灯り、どうにかしてくれないかな?」
彼女は立ってダヴェンポートの後ろに回った。明かりが消えた。薄暗さは祝福だった。
「あんまり危険そうに見えないわね」彼女は言った。背はどちらかといえば高い方だが、ひょろ長くはなかった。細身だったが、痩せすぎてはいなかった。彼女は椅子に戻った。
「私の名前を知ってるんだ」
「よく眠ってたわ。あの人たちがあなたのポケットを探る時間はたっぷりあった。防腐処理を施す以外はみんなやったわね。それで探偵だと分かったの」
「私について分かったのはそれだけなんだね?」
 彼女は黙っていた。煙草から微かに煙がたちのぼった。それを手で払いのけた。小さく形の整った手だった。今どきの女によく見かける骨ばった園芸用具のような手ではなかった。
「今何時だ?」私は言った。
 彼女は横を向き、螺旋を描く煙越しにスタンドのくすんだ灯りの際に置いた手首を見た。
「十時十七分、デートの約束でもあるの?」
「ひょっとして、ここはアート・ハックの修理工場の隣の家か?」
「そうよ」
「二人は何をしてるんだ──墓堀りか?」
「どこかへ出かけたの」
「君一人置いてかい?」
彼女の頭がまたゆっくりこちらを振り返った。微笑んでいた。「あなたはちっとも危険に見えないもの」
「君は囚人のように扱われてると思い込んでた」
驚いたようではなかった。むしろ少し面白がっているようだった。「どうしてそう思ったの?」
「君が誰だか知ってる」
 限りなく青い眼がきらりと光った。あまりにも素早かったので危うくその一閃を見逃すところだった。剣でひと薙ぎするような一瞥だった。口は堅く結ばれていたが声は変わらなかった。
「なら、残念ながらあなたは窮地に陥ったわね。殺しは嫌いだけど」
「エディ・マーズ夫人だろう?恥ずかしくないのか」
 それが女の気に障った。こちらをにらんだ。私はにやりとした。「このブレスレットを外せないのなら、そうしない方が賢明だが、置きっぱなしにしてるその酒、一口飲ませてもらえないかな」
 女はグラスを持ってきた。偽りの希望のような泡が立っていた。女は私の上にかがみ込んだ。息は子鹿の目のように繊細だった。私はグラスからごくごく飲んだ。女は私の口からグラスを離し、私の首を流れ落ちる液体をながめた。 
 女はもう一度私の上にかがんだ。血が私の体内に巡りはじめた。入居予定者が家を見て回るように。
「あなたの顔、船の防水マットみたいよ」彼女は言った。
「今のうち思う存分楽しむといい。長くはもたないから」

「知ってたかい? ミミズは両性具有でね、他のどのミミズとも愛しあえるって」は<Did you know that worms are both sexes and that any worm can love any other worm?>。双葉氏は「うじ虫にも雌と雄があって愛し合うってことを君は知ってるかい?」と訳している。<worm>は「蠕虫(ぜんちゅう)」のことで、うじ虫もミミズもその仲間に入る。ただ、「雌と雄があって」という訳では面白さが伝わらない。村上氏は「虫が両性具有だって知ってたかい? だから虫はどんな虫とでも愛を交わせるんだ」と訳している。つまり、相手を選ばないのだ。村上氏の問題は「虫」としたことだ。日本語で虫といえば昆虫も入る。すべての虫が両性具有というわけではない。

「あなたは少し軽率ね」は<You’re a little light-headed>。双葉氏は「あなた、すこしお調子者ね」と訳している。村上氏は「あなた、まだ頭がちょっとずれてるみたいね」だ。<light-headed>には、「頭がふらふらする」と「思慮が足りない」の両義がある。さて、この場合どちらを使うのが正しいのだろう。

「偽りの希望のような泡が立っていた」は<Bubbles rose in it like false hopes.>。双葉氏は「むなしい希望みたいな泡が立っていた」と訳している。村上氏は「ピンク色の泡が儚(はかな)い希望のように立っていた」と訳している。<rose>を「薔薇色」と誤読したのだろう。ピンクシャンパンか何かを思い浮かべたのがまちがいのもとだ。もちろん、ここは動詞<rise>の過去形だ。でないと、「立っていた」が出てこない。村上氏は一つの語を二回訳している。

「今のうち思う存分楽しむといい。長くはもたないから」は<Make the most of it. It won’t last long even this good.>。双葉氏は「まあそんなところだろう」と訳しているが、<Make the most of it. >はよく使われる決まり文句で「〜を存分に楽しむ」くらいの意味。村上氏は「せいぜい有効に利用するんだね。丈夫に見えて、あまり長持ちしそうにはないから」と訳している。<It won't last long>は「〜も長くは続かない」という意味。村上氏は<this good>をマーロウ自身と考えているようだが、これは顔の状態を指しているのではないか。つまり、今は防水マットのようでも、そのうち元に戻るという意味なのでは。

『十三の物語』スティーヴン・ミルハウザー

十三の物語
ミルハウザーらしさに溢れた短篇集。<オープニング漫画><消滅芸><ありえない建築><異端の歴史>の四部構成になっており、<オープニング漫画>は「猫と鼠」一篇だけ。後の三部は各四篇で構成されている。「トムとジェリー」を想像させる猫と鼠の、本心では互いを必要としながらも、習性として策略を廻らして戦い続ける宿命の二人組を文章で描き切った一篇は「パン屋の一ダース」にするためのミルハウザーからのおまけだろう。

残る三部はタイトルから分かるように、いかにもミルハウザーというべきジャンル分けになっている。中篇であれば作り込んだ設定の中で、ディテールに凝りまくって読者をうならせるミルハウザーだが、短篇の場合、一つのテーマに絞り込んで、脇見もせず一気に驚愕のラストまで読者を送り込む。息もつかせぬ迫力がミルハウザーの短篇の真骨頂だ。

<消滅芸>のテーマはその名の通り「消滅」。おとなしくて印象の薄い同級生が鍵のかかった部屋からいなくなる「イレーン・コールマンの失踪」。誘拐か、それとも失踪か、捜査は進むが、誰もがイレーンという少女はどんな顔をしていたのか思い出せない。「私」も一生懸命思い出そうとするのだが結果は空しい。誰にも自分を正視してもらえなかった少女の消滅の過程を検証した胸の痛む一篇。

転校生の家を訪れた「僕」が真っ暗な部屋で暮らす妹に紹介される「屋根裏部屋」。いつ行っても部屋は暗い。容貌に問題でもあるのか、それとも兄の悪戯か、姿の見えない相手に対する「僕」の好奇心は高まるばかり。そして遂にカーテンが開かれるとき「僕」は意外な行動に出る。「危険な笑い」は他愛ないゲームとして始まった「笑いクラブ」がどんどエスカレートしていく狂気を描く。「ある症状の履歴」は、ハイデガーのいう頽落を避けるため、空言に耽ることができなくなってしまった男の妻に寄せる弁明の書だ。

<ありえない建築>は、これぞミルハウザーという作品ばかり。透明なドームで家を丸ごと覆ってしまうという流行は、やがて街全体を覆うものとなり、遂には……。行き着く果てはご想像の通りという奇想溢れる「ザ・ドーム」。ミルハウザーお得意の微細な世界の構築を描くのが「ハラド四世の治世に」だ。王に雇われた細密細工師の作り出す、拡大鏡がなくては見ることのできない作品は人々の評判を呼ぶが、匠は一向に満足できない。中島敦の『名人伝』を彷彿とさせる一篇。

遂に天に到達した塔に住みついた人々を描く「塔」は、ブリューゲル描く『バベルの塔』の画を思い出させる。あまりに距離が遠く、一代では天に到達することもかなわず、地に戻ることもできない人々は子孫にその願いを託す。想像を絶する高さの塔の建築過程を克明に描写する作家の愉悦を思う。他に、自分たちの住む町の複製を隣に作り、時々はそこを訪れるのを楽しみにする人々を描く「もう一つの町」を含む。

<異端の歴史>は、歴史が主題。「ここ歴史協会で」は、過去の再現のためにすべてを蒐集しようとする学芸員の偏執病的な思考を前面に押し出すことで、その異様さを暴き出す。確かボルヘスに実寸大の地図製作を描いた一篇があったと思うが、それの歴史版。「流行の変化」は、女性のファッションの変遷をややシニカルに描いたもので、流行の変化にとらわれずにいられない人々をコミカルに描く。

異端の芸術家の試みを描いたのが「映画の先駆者」。落語に「抜け雀」というのがある。旅の絵師が屏風に描いた雀が毎朝餌を求めて絵から抜け出す話だ。画家ハーラン・クレーンが描いた絵の中の蠅は、とまっていた林檎から隣の林檎に飛び移る。やがて、大きな会場を借り切ったクレーンは舞踏会を描いた大作を披露する。画中の人々は奏でられるワルツに合わせて絵から舞台に出てきて躍り出す。しかし、音楽が終わると絵の中に戻る。一昔前の興行師を描かせるとミルハウザーの筆は冴えわたる。他にエジソンをモデルに、皮膚感覚を機械的に再生する触覚機(ハプトグラフ)の発明を描く「ウェストオレンジの魔術師」を含む。

海岸の砂浜に斜めに刺さるジュース瓶といった、古き佳きアメリカの夏の風景を入口に、それが徐々に極大或いは極小といった一定の方向に極端化されていく。論理的には不可能な世界が目に見えるように、精緻にどこまでもリアルに描出される。そんな世界を描かせたらミルハウザーの右に出る者はいない。それでいながら、どこかエドワード・ホッパーが描いたアメリカのような郷愁を感じさせるレトロスペクティブな世界が共存しているところが、ミルハウザー・ワールドの魅力だ。

『大いなる眠り』註解 第二十七章(4)

《外で砂利を踏む足音がして扉が押し開けられた。光が篠突く雨を銀の針金に見せた。アートがむっつりと泥まみれのタイヤを二本ごろごろ転がし、扉を足で蹴って閉め、一本をその脇に転がした。荒々しく私を見た。
「ジャッキをかますところによくもまあ、あんな所を選んだものだな」彼は罵った。
 茶色の男は笑いながらポケットから筒状に束ねた五セント硬貨を取り出して掌の上で上下させた。
「まあ、そう文句ばかり言うな」彼は素っ気なく言った。「そいつを修理するんだ」
「だからやってるじゃないか、だろう?」
「いいから、そんなに騒ぎ立てるな」
「ふん」アートはゴム引きのコートと防水帽をむしり取ると、遠くへ投げ捨てた。一本のタイヤを台の上に持ち上げると、リムから乱暴に引き剥がした。チューブを外に出してあっという間に継ぎをあてた。まだ、ぶつぶつ言いながら大股で私の脇を抜け、壁にかけたエア・ホースをつかむと、チューブの中に空気をたっぷり入れて形を整え、エア・ホースのノズルを白漆喰塗りの壁に叩きつけた。
 私は立ったままカニーノの手の中で踊るラッピングされた硬貨を見ていた。少しの間、身が縮むような緊張感を忘れていた。私は首をひねり、隣で痩せた機械工が空気で硬くなったチューブを上に放りあげ、両手を広げて両側をつかむのを見た。彼は不機嫌そうに隅の汚い水が入った亜鉛メッキされた水槽の方をちらっと見ながらぶつぶつ言った。
 チームワークは抜群だったに違いない。私は合図も、目配せも、それらしい仕草も見なかった。痩せた男は硬くなったチューブを高く持ち上げて見つめていた。彼は体を半回転させ、素早く大股に一歩踏み出してチューブを私の頭から肩にかぶせた。完璧な輪投げだ。
 私の背後に跳んでゴムに強く凭れた。私の胸に体重をかけ、二の腕を脇のところで動けなくした。手は動かせるが、ポケットの銃に届かない。
 茶色の男は踊るように床を横切り、私の方に向かってきた。手には五セント硬貨の束が固く握られていた。音も立てず、表情も変えず私に近づいた。私は前にかがみ、アートを持ち上げようとした。
 重い筒を仕込んだ拳が私の開いた掌を通り抜けた。石が黄塵の中を抜けるように。ショックで一瞬気が遠くなった。目の前を光が踊り、視界がぼやけたが、まだ見えていた。男がまた殴った。頭には何の感覚もなかった。眩しい輝きが明るさを増した。ずきずき痛む白い光があるだけだった。それから暗闇の中で何か赤いものが顕微鏡で見る細菌のように蠢いた。やがて、輝きも蠢きも消え、ただ暗黒と空虚、吹き荒れる風に大きな木が落ちてゆくような感覚があった。》

「光が篠突く雨を銀の針金に見せた」は<The light hit pencils of rain and made silver wires of them.>。双葉氏は「電灯の光が両足を照らしだし銀色の線みたいに光らせた」と訳している。<pencils>をアートの足ととったようだが、それに続く<of rain>はどこに消えたのか。<pencil>は「(鉛筆のように)細い線」の意味だ。村上氏は「光がまっすぐな雨の筋に当たり、それを銀色の針金に変えた」と噛みくだいている。

「チューブを外に出してあっという間に継ぎをあてた」は<He had the tube out and cold-patched in nothing flat.>。<in nothing flat>は「あっという間に」を意味する成句だが、両氏とも調べもしなかったようだ。双葉氏は「そしてチューブを出すと破れをはりつけ」と、無視。村上氏は「チューブを中から抜き出し、ぺちゃんこになったものにタイヤ修理用のパッチを貼り付けた」と<flat>を「ぺちゃんこになったもの」と訳している。確かに、それまで何度も、そういう意味で使って来ているから無理もないのだが、ここは辞書を引く手間を惜しんではいけない。

「白漆喰塗りの壁」は<the white-washed wall>。双葉氏は「洗いたての白い壁」、村上氏は「白塗りの壁」と訳している。<white-wash>は「白漆喰」のこと。村上氏の「白塗りの壁」はまちがいではないが、双葉氏の「洗いたての」はおかしい。いい塗装には湿気はよくないはずではなかったのか。もっとも、この部分も双葉氏は正しく訳していなかった。ひとつ見落とすと後を引くものだ。

「私は首をひねり、隣で痩せた機械工が空気で硬くなったチューブを上に放りあげ、両手を広げて両側をつかむのを見た」は<I turned my head and watched the gaunt mechanic beside me toss the air-stiffened tube up and catch it with his hands wide, one on each side of the tube.>。双葉氏は「私はふりむいて、細長い機械工が空気でふくらんだチューブを投げあげて、うけとめているのをながめた」と訳している。

村上氏は「私は首を曲げて、ひょろ長い修理工がすぐそばで空気を入れて硬くなったチューブを放り上げては、大きく広げた両手で受け止めるのを見ていた。彼は放り上げるごとに、一つの側を調べていた」と訳している。この最後の部分は<one on each side of the tube>を訳したつもりだろうが、この部分の主語はあくまでも「私」で、機械工は私に見られている対象でしかない。<one on each side >の<one>は、その前の<hands>のことで、一方の手が片側をつかんだことを言っているにすぎない。

「やがて、輝きも蠢きも消え、ただ暗黒と空虚と、吹き荒れる風に大きな木が落ちてゆくような感覚があった」は<Then there was nothing blight or wriggling, just darkness and emptiness and a rushing wind and a falling as of great trees.>。双葉氏は「それから何も光らず、何もうごめかなくなった。ただ、暗黒と空虚と、吹きまくる風と、高い木から落ちていく感じだけになった」と訳している。

村上氏は「しかしやがて輝くものも、蠢くものもいなくなった。あとにはただ暗黒と空虚があった。そして突風が吹き、大木が音を立てて倒れた」と訳している。<a falling as of great trees>の訳が「高い木から落ちていく感じだけになった」や「大木が音を立てて倒れた」になる理由がよく分からない。この<as of>は「〜のような」の意味で使われている。ここはマーロウの一人称視点で書かれている。マーロウは痛覚も視覚も消え、体感だけが残っているのだ。双葉氏はよく分かっているのだが、木から落ちるのではなく、木そのものが倒れる感覚ではないだろうか。

『贋作』ドミニク・スミス

贋作 [ ドミニク・スミス ]
一枚の絵がある。十七世紀初頭のオランダ絵画だが、フェルメールでもレンブラントでもない。画家の名前はサラ・デ・フォス。当時としてはめずらしい女性の画家である。個人蔵で持ち主はマーティ・デ・グルート。アッパー・イーストに建つ十四階建てのビルの最上階を占有する資産家の弁護士だ。絵はニューヨークがまだニュー・アムステルダムと呼ばれていた頃オランダから渡った先祖が蒐集したコレクションの一つで夫婦の寝室に飾られていた。

それが、パーティーの最中に盗難にあう。しばらく盗まれたことに気づかなかったのは、本物そっくりの贋作と入れ替わっていたからだ。マーティは私立探偵を雇い、犯人を見つけようとする。変人ながら腕のいい探偵は、どうやら贋作者を見つけ出す。しかし、本物はどこにあるかが分からないのでうかつに手は出せない。マーティは偽名を名乗り、贋作者と会う手はずを整える。

贋作者はシドニー生まれの若い女性でコロンビア大学の院生。芸術史を学びながら、アルバイトで古い絵画の修復を手がけている。初めは贋作を描いている気はなかった。模写だと言われたからだ。しかし、話の様子から依頼者が絵のすり替えを企んでいることを知っても手を引くことはしなかった。エリーは女であることで、修復家としても教授職を得ることも難しくなることに腹を立てていた。精巧な模写の完成は、そんな世間を見返すことになる。

その絵を描いたサラは夫とともにオランダの聖ルカ組合というギルドに所属していたが、夫のしでかした不始末のためギルドを追われ、貧しい暮らしを強いられていた。おまけに娘はペストに侵されて死んでしまう。『森のはずれにて』という、その絵の中の白樺に手を添えスケートをする人々を見ている少女の横顔には早くに逝った娘の印象が重ねられている。

ドミニク・スミスは、十七世紀初頭のオランダの女性画家の苦闘の物語と、二十世紀半ばのニュー・ヨークの絵画盗難事件の所有者と贋作者の出会い、そして、二〇〇〇年、大学と美術館に籍を置く美術史研究者となったエリーとマーティのシドニーでの再会を、章が代わるたびに時代と場所と人物を交替させながら描くことで、一枚の絵に操られるように生きることになる三者三様の人生を三つ編みに編んだ髪のように纏め上げる。

マーティは莫大な遺産を相続していることが仇となって事務所での出世は遅かった。四十代になり、子どもができないこともあり、妻は鬱気味でいつも酒の匂いをさせている。妻を愛してはいたが、自分の人生が思ったようなものになっていないことをどこかで不満に感じていた。そんな時、エリーと出会う。はじめは罰を与えるつもりだったが、何度か食事をしたり飲んだりするうちにエリーの絵に向ける情熱に惹かれている自分に気づく。それはトランペットに夢中だったかつての自分を思い出させるのだ。

エリーは自分を認めない男性社会に腹を立てていて、男との付き合いはあまりなかった。資産家で如才がなく、金払いのいい美術愛好家の誘いを何度も受けるうち、エリーもまた悪い気はしなくなっていた。ジェイクと名乗る男との一泊旅行を承諾するくらいに。オルバニーのホテルで二人は初めて結ばれるが、その夜ジェイクは荷物も持たずに車で帰ってしまう。荷物の中身にある署名から、エリーはジェイクの本名を知る。

半世紀後、シドニーの大学で教鞭をとるエリーは美術館から『十七世紀オランダ女性絵画展』のキュレーターを依頼される。驚いたことに、ライデンの美術館は『森のはずれにて』のほかにもう一点サラの作品を持っているという。そこへ館長のマックスから電話がかかる。なんとアメリカのマーティがもう一枚の『森のはずれにて』を自ら持参してシドニーを訪れるというのだ。

真贋二作が同時に同じところに揃えば、徹底的に調べられ、贋作を描いたエリーの罪が暴かれる。さらに、一六三六年以来絵を描いた形跡のないサラに一六三七年のサインが入った作品が何故描けたのか。エリーとマーティの再開はエリーの研究者としての経歴にとどめを刺すのか。大学と美術館に宛てた二通の辞表をバッグに入れ、エリーは会場に向かう。

旅先のホテルに女を残して一人ニューヨークに帰ってしまったマーティの真意がどこにあったのか、読者は最後にそれを知ることになる。そして、もう一作が描かれることになったその後のサラの人生も。二十世紀後半の新大陸の話に十七世紀初頭のオランダの物語を挿むことで、軽いミステリ・タッチの話に小説としての厚みが加わり、音楽その他による三つの時代の書き分けが興を添える。マーティは大のジャズファンなのだ。

オランダ絵画の蘊蓄、絵画修復の技術や贋作のテクニックと読みどころが満載されている。サラがギルドに飾られているレンブラントの『テュルプ博士の解剖学講義』を批評するところがある。解剖のために開かれた左腕と左手が他の部位に比べ大きすぎるというのだ。二〇〇三年の『大レンブラント展』の図録で確かめるとたしかに大きく見える。十七世紀の女性は長時間外に出て風景画など描くことはできなかったという。妻の描いた絵が夫の名前で売られてもいたようだ。自分たちの進出を阻む有名な男の画家に、憎まれ口の一つもたたきたくなるのは当然かもしれない。

『大いなる眠り』註解 第二十七章(3)

《「分かった、分かった。つなぎの男は不満たらたらだった。ポケットの垂れぶた越しに服に銃をねじ込むと、拳を噛みながら不機嫌そうにこちらを見つめた。ラッカーの匂いはエーテルと同じくらい胸が悪くなる。隅の吊り電灯の下に新品に近い大型セダンがあり、フェンダーの上にスプレーガンが載っていた。
 私はようやく作業台にいる男を見た。背の低いがっしりした体躯で肩幅が広い。冷めた顔つきに冷めた黒い目をしていた。身に纏ったベルト付きの茶色のスエードのコートには雨がびっしりと斑紋をつけていた。茶色の帽子を粋に斜めにかぶっている。作業台に凭れ、急ぐでもなく面白がるでもなく、まるで冷肉の厚切りでも見るようにこちらを見ていた。たぶん人のことをそんなものだと思っているのだろう。
 黒い目を上下にゆっくり動かしながら一本一本指の爪を眺め、明かりにかざして注意深く点検していた。ハリウッドがそうするように教えたのだ。男は煙草をくわえたまま話した。
「二本パンクしたって?そいつは大ごとだ。鋲は片づけたと思ってたが」
「カーブでちょっとスリップしたんだ」
「通りすがりだって言ってたな?」
「L.Aまで行く途中だ。あとどれくらいだろう?」
「四十マイル。この天気じゃもっと長く感じるだろう。どこからきたんだ?」
「サンタ・ローザ」
「長旅だな。タホからローン・パインか?」
「タホじゃない。リノからカーソン・シティだ」
「いずれにせよ長旅だ」微かな笑みが唇をゆがめた。
「法にでも触れるかい?」私は訊いた。
「何だって?いや何も問題はない。詮索好きだと思ってるんだろう。裏に逃げた強盗のせいさ。ジャッキを持って来てパンクの修理だ、アート」
「俺は忙しい」痩せた男がうなった。「俺は仕事中だ。これの塗装をしなきゃいけない。それに雨が降ってる。お気づきかもしれませんが」
茶色の男が愉快そうに言った。「いい塗装には湿気は禁物だ。アート、行って来いよ」
私は言った。「前と後ろ、右側だ。一本はスペアを使える。もし忙しいのなら」
「ジャッキ二つだ、アート」茶色の男が言った。
「聞いてんのか──」アートがわめき出した。
 茶色の男は目を動かし、穏やかな静かな目でアートをじっと見つめ、それからまた恥ずかしがってでもいるみたいに目を下ろした。何も言わなかった。アートは突風に吹かれでもしたようにぐらっと揺れた。足を踏み鳴らして隅の方に行くと、ゴム引きのコートをつなぎの上に羽織り、防水帽をかぶった。箱型スパナと手動ジャッキをつかみ、台車のついた大型ジャッキを転がして扉まで行った。
 黙って出て行ったが、扉は大きく開いたままだ。雨が中に吹き込んだ。茶色の男はぶらぶらと歩いて行って扉を閉め、ぶらぶら歩いて作業台まで戻り、前と同じ場所に腰を下ろした。そのときならうまく仕留められたかもしれない。二人きりだった。彼は私のことを知らなかった。彼はかすかに私の方を見ながら、セメントの床に捨てた煙草を見もしないで踏みつけた。
「一杯やった方がいい」彼は言った。「中を湿らせたら、外との釣り合いが取れる」彼は作業台の後ろからボトルを取り出して端に置き、脇にグラスを二つ置いた。各々にたっぷり注いで一つを差し出した。
 私は木偶の坊みたいに歩いて行ってそれを受け取った。雨の記憶がまだ顔に冷たく残っていた。塗料の匂いが閉め切った修理工場の空気を麻痺させていた。
「まったくアートときたら」茶色の男が言った。「機械工のご多聞にもれず、いつも先週仕上げておくはずの仕事にかかりきりだ。商用の旅行かい?」
私はそっと酒の匂いを嗅いだ。まっとうな匂いだ。相手が飲むのを見とどけてから口をつけ、舌の上で転がした。シアン化物は入ってなかった。小さなグラスを空け、彼の傍に置いて引き下がった。
「それもある」私はそう言って、塗りかけのセダンのところに行った。フェンダーに大きなスプレーガンがある。雨が平屋根を激しく叩いた。アートはその雨の中に出て行った。罵りながら。
 茶色の男は大きな車に目をやった。「そもそもはドアを直すだけの仕事さ」彼は何気なく言った。唸り声は酒のせいでさらに穏やかになった。「だが、客は金を持っていて、運転手はドル札を幾らか欲しがってた。ぼろい仕事さ」
 私は言った。「それより古い商売は一つだけだ」唇が渇くのを感じた。話したくなかった。煙草に火をつけた。タイヤの修理が終わってほしかった。時間が忍び足で過ぎていった。茶色の男と私は偶然に出会った他人同士で、ハリー・ジョーンズという名の小さな死人を挟んで互いに向い合っていた。ただし、茶色の男はまだそれを知らない。》

「身に纏ったベルト付きの茶色のスエードのコートには雨がびっしりと斑紋をつけていた」は<He wore a belted brown suede raincoat that was heavily spotted with rain.>。双葉氏は「バンドのついた茶色のスウェードのレイン・コートを着ていた。雨のしみがついていた」と訳している。村上氏は「ベルトのついた茶色のスエードのコートを着ていたが、そこには雨のあとが黒く重く残っていた」だ。<heavily>とあると「重く」と訳したくなるらしい。おまけに原文にない「黒く」まで付け加えている。

「鋲は片づけたと思ってたが」は<They swept the tacks, I thought.>。双葉氏は前の所で鋲について触れていないので「とんだ金要(ものい)りだぜ」と作文している。これはもう訳ではない。村上氏は「鋲はみんな片づけられたって聞いたんだけどな」と訳している。

「お気づきかもしれませんが」は<you might have noticed>。双葉氏はこれをカットしている。村上氏は「見りゃわかるだろうが」と訳しているが、見て分かるのは塗装中の方だ。閉め切った工場の中では雨は音で知るしかない。<you might have noticed>は何かを説明するときに最初につける決まり文句だ。アートの皮肉だろう。

「いい塗装には湿気は禁物だ」は<Too damp for a good spray job,>。ここを双葉氏は「おめえみたいなとんちきに、うまく塗れるかってんだ」と訳している。<damp>を<dope>とでも空目したのかもしれない。村上氏は「塗装をきれいに上げるには湿気が強すぎる」と訳している。

「中を湿らせたら、外との釣り合いが取れる」は<Wet the inside and even up.>。双葉氏は「腹にお湿(しめ)りをくれりゃ、調子が出るからな」と訳している。酒を飲めば調子が上がると考えたのだろうが、<even up>は「釣り合いが取れる、帳尻を合わせる」などの意味がある。ぐっしょり濡れた外と釣り合いをとるために中にも湿り気を入れた方がいい、という意味合いだ。村上氏は「外側だけじゃなく、内側も同様に湿らせた方がいいぜ」と言葉を補っている。

「そもそもはドアを直すだけの仕事さ」は<Just a panel job, to start with>。双葉氏は「ちょいと横板をなおしゃいいんだ」と訳している。たしかに<panel>には「横板」の意味もあるが、自動車にはあまり使わない。村上氏は「もともとは塗装をちっといじるだけの仕事だった」と、こちらは<panel>を省いている。<panel>とは「ドア・部屋・格(ごう)天井などの四角い枠のひと仕切り」のことである。車の塗装の場合、ドアならそれだけを塗ることができる。しかし、他の部分との色合わせは.けっこう難しい。全部塗り直す方が手間はかかるが仕上がりはきれいだ。おそらくそのようなことを言ったのだろう。

「ぼろい仕事さ」は<You know the racket.>。双葉氏は「これが商売さ」。村上氏は「どういう類の商売か見当はつくだろう」だ。<you know>は、「知ってるだろう」くらいのニュアンスで使われる合いの手みたいな文句だ。<racket>はこの小説では「強請り」の意味で何度も出てくるが、ここでは「楽して儲ける仕事」くらいの意味で使われている。

「それより古い商売は一つだけだ」は<There’s only one that’s older.>。双葉氏は「古いて(傍点)だね」と訳しているが、これでは<You know the racket.>を受けて切り替えしてみせた、気のきいたセリフが生きてこない。たぶん、ここでマーロウが考えている古くから続く商売というのは「娼婦」のことだろう。村上氏は「それより古い商売は一つしかない」と訳している。

『奥のほそ道』リチャード・フラナガン

奥のほそ道 [ リチャード・フラナガン ]
主人公はドリゴ・エヴァンス。七十七歳、職業医師、オーストラリア人。第二次世界大戦に軍医として出征し、捕虜となるも生還して英雄となり、テレビその他で顔が売れ、今は地元の名士である。既婚、子ども二人。医師仲間の妻と不倫中。他人はどうあれ、ある時期以降の自分をドリゴは全く評価しない。戦争の英雄という役割を演じているだけだ。とっかえひっかえ女とつきあうが愛しているわけでも肉欲に駆られてのことでもない。アイデンティティ・クライシスから抜け出せないで歳をとってしまっただけだ。

きっかけは分かっている。戦争が二人の仲を裂いたのだ。婚約者のいる身で他人の妻、それも自分の叔父の妻と恋に落ちてしまった。それが叔父の知るところとなり、別れようという相手に、帰ったら結婚しようと電話で告げて出征した。戦争が終わり、帰還したドリゴは婚約者と結婚し、戦争の英雄とたたえられ、現在に至る。傍目にはめでたし、めでたしの人生だが、本人にとっては不本意の後半生だ。ではなぜ、ドリゴは約束を果たさなかったのか?

すべての小説は探偵小説であるといわれる。別に探偵が出てくるわけではない。読むことでしか解消できない疑問点をその中に含んでいるからだ。その謎を解こうと読者は本を読み続ける。そして結末に至り、そういうことだったか、と納得するのだ。だから、尻切れトンボに終わってしまう作品には不満を感じる。逆に伏線がうまく回収され、ひっかかっていた不自然さが自然なものに感じられるような作品は高く評価される。

『奥のほそ道』は、ドリゴ・エヴァンスという男の人生を、恋愛と戦争体験の二つの要素に基づいて描いている。そして、そこにはこんな立派な男がなぜ抜け殻のような後半生を送らねばならなかったのか、という謎を解くカギが隠されている。メロドラマ要素の強い恋愛悲劇も、悲惨を通り越してアパシーに陥ってしまいそうな捕虜生活を描いた部分も、それだけで充分読ませる力を持つのだが、その二つを通してドリゴを変容させたものが見えてくるように仕組まれている。

決して親切には書かれていない。最後まで読み通したらもう一度初めに戻って読み直すといい。最初あれほど読みづらかった部分が、面白いくらいすらすらと読めることに気づくはずだ。なぜなら、さして重要な人物とも思えない複数の人物のエピソードが、冒頭から何度も顔を出すが、これがカギなのだ。初読時は、その後出てこなくなるので重要視もせずに読み飛ばしてしまう。ところが、これが後で回収される伏線になっている。

あるいは、作中くどいくらいに何度も話題として取り上げられるのが、当時封切りされたばかりのヴィヴィアン・リーロバート・テイラー共演の映画『哀愁』。有名な「オールド・ラング・ザイン」の曲を蝋燭が一本、また一本と消えていく中、映画をなぞるようにドリゴも恋人と踊る。これもカギだ。結婚を約束した女と兵士の仲を裂くのが男の出征という点がそのまま共通している。映画をよく知る読者には悲恋の暗示であることは自明である。

それだけなら、よくできた大時代的なメロドラマになってしまいそうなストーリーを基部で支えているのが、ドリゴが日本軍の捕虜となって泰緬鉄道の敷設のため、強制労働を課される部分である。この部分は、もともと軍曹として従軍し、捕虜となり泰緬鉄道工事に携わった作家の父が話して聞かせた事実に基づいている。無論、多くの資料を読み、現地に足を運んで調査して得た客観的な事実に作家の主観的な想像力を働かせた虚構である。しかし、その迫力たるや生半なものではない。

ハリウッド映画でお馴染みの男ばかりが共同生活する軍隊ならではの磊落なユーモアが陰惨な強制労働を描くタッチと絶妙な均衡を保っている。もし、この男たちのくだらないといえばくだらないやり取りがなかったら、どこに救いを求めればいいのだろう。食べる物も着る物もなく、支給された褌一丁の姿で、泥濘の中を徒歩で工事現場まで歩き、ハンマーと鉄棒で岩を砕く。栄養失調で肛門が突き出た男たちは、便所までもたず糞尿を垂れ流す。あのナチス強制収容所でさえ雨風から身を護る建物があった。ここには何もない。

日本軍の将校たちでさえ「スピードー」と呼ばれるこの命令の不条理さは理解している。ただ、彼らはそれに背くことができない。この服従の仕方はもはやカルトでしかない。自分の認識力や理解力の上に天皇という上部構造を置いて、その命令を行使することがすべてという生き方を自ら選び取る形で受容する。不都合な部分は受け入れやすい形に変形していく。まるで今でいうフェイクのように。リチャード・フラナガンの筆は、まるで今の日本を見ているような気にさせる。

そのように受け入れがたい現実を自分に強いた兵たちは、戦後においても何ら戦中と変わらない価値観で生きてゆくことができる。あれほどの犠牲を強いた泰緬鉄道を走った蒸気機関車C5631号機が靖国神社に今も保存されている。犠牲者については何も触れてはいない。戦後日本は体面上は、戦前の価値観を否定した上に今の日本を築いたことになってはいるが、戦犯の孫が戦前の価値観を称揚し、憲法改正を訴えることについて異議を唱える人の方が少数派というのが現実だ。

新聞を読まない人々によって支えられている政党が多数の支持を得ているのだから、こんな小説など読む人の数は限られているに違いない。小説は声高に正義を唱えたりはしていない。それどころか、戦争という異常事態の中で自らを失った異なる国家に属する人民の一人一人に寄り添っているとさえいえる。もちろん、主人公はドリゴなのだが、活写される人物たちの内面が読者の中で生命を得て甦り、それぞれの人生を生き始める。読む者は彼らとともにこの救いようのない現実に直面し、ふと己の置かれている現在を見つめ直す。自分を失っているのはドリゴだけでないことに。

『大いなる眠り』註解 第二十七章(2)

《広いメイン・ストリートからずっと後ろに木造家屋が何軒か、互いに距離を置いて建っていた。それから急に商店が軒を連ね、曇ったガラス窓の向こうにドラッグ・ストアの明かりが点り、映画館の前には車が蠅のように群がり、街角の明かりが消えた銀行は歩道に時計を突き出し、一群の人々が雨の中に立って窓の中をのぞき込んでいた。まるで何かショーでもやっているみたいに。私は先に進んだ。また無人の野原が迫ってきた。
 運命がすべてを裏で操っていた。リアリトを過ぎて一マイルも行ったあたりで、ハイウェイは大きく曲がり、雨に踊らされて私は路肩に近づきすぎた。右の前輪が怒り声をあげて軋んだ。車を止める前に右の後輪も同じ破目になった。私はブレーキを踏んで車を止めたが、車体の半分は路上、半分は路肩にあった。車を降りて懐中電灯で辺りを照らした。パンクしたのは二本、スペアは一本。亜鉛メッキされた鋲の押しつぶされた基部が前輪からこちらを見ていた。舗装路の縁に同じ鋲が散らかっていた。
 舗装路からは掃き出されたが、縁に残っていたのだ。
 私は懐中電灯を消し、そこに立って雨を呼吸し、脇道の黄色い明かりを見上げていた。天窓からのもののようだった。天窓は修理工場のものかもしれず、工場はアート・ハックという名の男がやっているのかもしれず、その隣には木造家屋が建っているかもしれなかった。私は襟首に顎を押し込んでそちらに歩きはじめた。それから引き返し、ハンドルの軸から車検証入れを解いてポケットに押し込んだ。それからハンドルの下に低く屈み込んだ。運転席に座ったとき右足が直に触れる位置の下にはね蓋のついた秘密の物入れがある。二挺の銃がそこに入っている。一挺はエディ・マーズの子分のラニーのもので、もう一挺は私のだ。私はラニーの方を取り出した。私のより経験を積んできているに違いない。そいつの鼻先を下に内ポケットに押し込んで脇道を歩きはじめた。
 修理工場はハイウェイから百ヤードほどだった。ハイウェイに窓のない側面を向けていた。私は素早く懐中電灯をあてた。「アート・ハック──自動車修理と塗装」。私はひとりほくそ笑んだ。が、ハリー・ジョーンズの顔が目の前に浮かび、笑うのをやめた。修理工場の扉は閉じていたが、下に明かりが漏れ、二枚扉の隙間にも明かりが細く透けていた。私は前を通り過ぎた。木造家屋があった。正面の二つの窓に明かりがともり、ブラインドが下りていた。道路から身を引くようにまばらな茂みに隠れていた。一台の車が砂利敷きの私道に停まっていたが、正面は暗くて判別できないが茶色のクーペかもしれず、カニーノ氏所有の車かもしれない。狭い木製ポーチの前で静かに身を潜ませていた。
 たまには女に運転させて辺りをひとっ走りするのだろう。女の隣に座り、たぶん銃を片手に。ラスティ・リーガンと結婚すべきだった女、エディ・マーズが押さえかねた女、ラスティ・リーガンと逃げなかった女と。ご親切なカニーノ氏。
 私はとぼとぼと歩いて修理工場まで戻ると木の扉を懐中電灯の柄で叩いた。雷のように重い沈黙の瞬間が垂れ込めた。工場内の灯りが消えた。私はほくそ笑み、唇の雨を舐めながら立っていた。懐中電灯を点け、二枚扉の真ん中を照らした。私はその白い円ににやりと笑いかけた。望むところにいたのだ。
 扉越しに声が聞こえた。無愛想な声だ。「何の用だ?」
「開けてくれ。ハイウェイで二本パンクして、スペアは一本だ。助けがいる」
「すまないがミスタ、もう閉店だ。リアリトは一マイル西だ。そちらをあたった方がいい」
気に入らない返事だ。私は扉を強く蹴った。蹴りつづけた。別の声が聞こえた。喉を鳴らす唸り声だ。壁の向こうで小さな発電機が動いているような。その声は私の気に入った。声が言った。「生意気なやつじゃねえか、開けてやれよ、アート」
 閂桟が悲鳴を上げて片方の扉が内に開いた。懐中電灯の明かりが少しの間、げっそり痩せた顔を照らした。その時何か光る物が振り下ろされ私の手から懐中電灯を叩き落した。銃がこちらを向いていた。私は身を屈め、濡れた地面を照らしている懐中電灯を拾い上げた。
 ぶっきらぼうな声が言った。「明かりを消せよ、それでけがをするやつもいるんだ」
 私は懐中電灯を消し、体を起こした。修理工場の中で明かりがつき、つなぎを着た背の高い男の輪郭が浮かび上がった。男は銃を私に向けたまま開いた扉から後退りした。
「入って扉を閉めてくれ、あんた。何ができるか考えよう」
 私は中に入って後ろ手に扉を閉めた。私は痩せた男を見たが、作業台の陰で口をつぐんでいるもう一人の方は見なかった。修理工場の空気はラッカーの刺激臭のせいで甘く不穏だった。
「あんたにゃ、分別てえものがないのか?」痩せた男がたしなめるように言った。「今日の午後リアリトで銀行強盗があったばかりなんだぜ」
「すまなかった」私は言った。雨の中人々が銀行をながめていたのを思い出した。「私がやったんじゃない。通りがかりの者だ」
「とにかく、そういうことがあったんだ」不機嫌そうに言った。「二人の悪ガキの仕業で、この後ろの丘に追い詰められたって話だ」
「身を隠すには頃合いの夜だ」私は言った。「そいつらが外に鋲を撒いたらしい。それを拾ってしまった。最初はあんたが客を引き込もうとしたのかと考えていた」
「あんた今まで一度も口を殴られたことはないのか、どうなんだ?」痩せた男が素っ気なく言った。
「ないね、あんたのウェイトのやつには」
 唸り声が陰から口を挟んだ。「すごむのはやめときな、アート。こちらはお困りのご様子だ。修理がお前の仕事じゃないか?」
「ありがとう」私は言ったが、そのときでさえ声の主を見ようとはしなかった。》

「運命がすべてを裏で操っていた」は<Fate stage-managed the whole thing.>。双葉氏はなぜか、ここを訳していない。パラグラフの先頭にある文だ。これをカットするというのはないだろう。村上氏は「運命がすべてのお膳立てを整えてくれた」だ。<stage-manage>は「(舞台)演出をする」というのが本義だが、「(裏で)企てる、操る」の意味がある。

亜鉛メッキされた鋲の押しつぶされた基部が前輪からこちらを見ていた。/舗装路の縁に同じ鋲が散らかっていた。舗装路からは掃き出されたが、縁に残っていたのだ」は<The flat butt of a heavy galvanized tack stared at me from the front tire. / The edge of the pavement was littered with them. They had been swept off, but not far enough off.>。ここを双葉氏は「前車輪のタイヤの破れた端が私をみつめていた。舗装道路の端がめくれていた」と訳している。これは、誤訳というよりも手抜きだ。

村上氏は「亜鉛メッキされた大きな鋲の、ぺしゃんこになった残骸が、前輪の脇から私を見ていた。/舗装部分の縁にはそのような鋲がたくさん撒かれていた。それらは掃いて排除されたものの、路肩に残されたままになっていたのだ」と訳している。村上氏は<a heavy galvanized tack>を「亜鉛メッキされた大きな鋲」と考えているらしいが、この<heavy>は次の<galvanized>にかかっている。<a heavy galvanized>は「溶融亜鉛メッキ」のことで亜鉛メッキの種類の一つ。

「ハンドルの軸から車検証入れを解いて」は<unstrap the license holder from the steering post>。双葉氏は「運転台から免許証入れを引はぎ」と訳している。村上氏は「ハンドルの軸についた車検証をはずして」だ。<license holder>は「資格保持者」の意味だが、運転免許証や探偵許可証なら札入れに入れている。<unstrap>とあるからには紐状のものでステアリング・ポストに付けているので直にではない。ここは「車検証」のホルダーのことだろう。

「ハイウェイに窓のない側面を向けていた」は<It showed the highway a blank side wall.>。双葉氏は「そこからふりかえると、国道は白い塀みたいに見えた」と訳しているが、これは無理がある。マーロウはハイウェイの方からやって来て修理工場を見ているのだ。特にハイウェイを振り返る必要はない。村上氏は「それはハイウェイに向けて、のっぺりした側面を向けていた」と訳している。「向けて」が重複しているのが気になる。はじめの方はなくてもいい。

「二枚扉の隙間にも明かりが細く透けていた」は<a thread of light where the halves met.>。双葉氏は「が、下の橋から光がもれていた」と、ここをカットしている。村上氏は「二枚の扉の合わせ目が光の縦線を作っていた」と訳している。

「雷のように重い沈黙の瞬間が垂れ込めた」は<There was a hung instant of silence, as heavy as thunder.>。双葉氏はここもカットしている。村上氏は「一瞬の沈黙が降りた。雷鳴のように重い沈黙だった」と文学的に処理しているが、<thunder>(雷)はひどく怒鳴ったり、大声をあげるという意味でよく使われる言葉。「沈黙は金」ということわざもあるように、何も言わない方が何かをより以上に伝えることがある。そういう意味だろう。

「修理工場の空気はラッカーの刺激臭のせいで甘く不穏だった」は<The breath of the garage was sweet and sinister with the smell of hot pyroxylin paint.>。双葉氏は「車庫の空気は塗料のにおいで甘く、また陰気だった」と簡潔に表現している。村上氏は「工場の空気は温かいピロキシリン塗料のせいで甘ったるく、そこには不穏な気配があった」とどこまでも詳しい。ただ<hot>を「温かい」と訳したのはどうだろう。

スラングでもよくつかわれる<hot>だ。「流行の、人気のある」などの意味もある。<pyroxylin>はニトロセルロースラッカーのことで、初めて車の塗装に使用されたのは1923年。ゼネラルモータース社のオークランドという車種だった。『大いなる眠り』が出た1939年当時はすでに各社が取り入れていたのではないだろうか。ただし、「人気の」とするほどのデータもないので、「強い、激しい」の意味で「刺激臭」とした。