marginalia

読んだ本の話や一緒に暮らす猫のこと、それと趣味ではじめた翻訳の話など。

『大いなる眠り』註解 第二十七章(4)

《外で砂利を踏む足音がして扉が押し開けられた。光が篠突く雨を銀の針金に見せた。アートがむっつりと泥まみれのタイヤを二本ごろごろ転がし、扉を足で蹴って閉め、一本をその脇に転がした。荒々しく私を見た。
「ジャッキをかますところによくもまあ、あんな所を選んだものだな」彼は罵った。
 茶色の男は笑いながらポケットから筒状に束ねた五セント硬貨を取り出して掌の上で上下させた。
「まあ、そう文句ばかり言うな」彼は素っ気なく言った。「そいつを修理するんだ」
「だからやってるじゃないか、だろう?」
「いいから、そんなに騒ぎ立てるな」
「ふん」アートはゴム引きのコートと防水帽をむしり取ると、遠くへ投げ捨てた。一本のタイヤを台の上に持ち上げると、リムから乱暴に引き剥がした。チューブを外に出してあっという間に継ぎをあてた。まだ、ぶつぶつ言いながら大股で私の脇を抜け、壁にかけたエア・ホースをつかむと、チューブの中に空気をたっぷり入れて形を整え、エア・ホースのノズルを白漆喰塗りの壁に叩きつけた。
 私は立ったままカニーノの手の中で踊るラッピングされた硬貨を見ていた。少しの間、身が縮むような緊張感を忘れていた。私は首をひねり、隣で痩せた機械工が空気で硬くなったチューブを上に放りあげ、両手を広げて両側をつかむのを見た。彼は不機嫌そうに隅の汚い水が入った亜鉛メッキされた水槽の方をちらっと見ながらぶつぶつ言った。
 チームワークは抜群だったに違いない。私は合図も、目配せも、それらしい仕草も見なかった。痩せた男は硬くなったチューブを高く持ち上げて見つめていた。彼は体を半回転させ、素早く大股に一歩踏み出してチューブを私の頭から肩にかぶせた。完璧な輪投げだ。
 私の背後に跳んでゴムに強く凭れた。私の胸に体重をかけ、二の腕を脇のところで動けなくした。手は動かせるが、ポケットの銃に届かない。
 茶色の男は踊るように床を横切り、私の方に向かってきた。手には五セント硬貨の束が固く握られていた。音も立てず、表情も変えず私に近づいた。私は前にかがみ、アートを持ち上げようとした。
 重い筒を仕込んだ拳が私の開いた掌を通り抜けた。石が黄塵の中を抜けるように。ショックで一瞬気が遠くなった。目の前を光が踊り、視界がぼやけたが、まだ見えていた。男がまた殴った。頭には何の感覚もなかった。眩しい輝きが明るさを増した。ずきずき痛む白い光があるだけだった。それから暗闇の中で何か赤いものが顕微鏡で見る細菌のように蠢いた。やがて、輝きも蠢きも消え、ただ暗黒と空虚、吹き荒れる風に大きな木が落ちてゆくような感覚があった。》

「光が篠突く雨を銀の針金に見せた」は<The light hit pencils of rain and made silver wires of them.>。双葉氏は「電灯の光が両足を照らしだし銀色の線みたいに光らせた」と訳している。<pencils>をアートの足ととったようだが、それに続く<of rain>はどこに消えたのか。<pencil>は「(鉛筆のように)細い線」の意味だ。村上氏は「光がまっすぐな雨の筋に当たり、それを銀色の針金に変えた」と噛みくだいている。

「チューブを外に出してあっという間に継ぎをあてた」は<He had the tube out and cold-patched in nothing flat.>。<in nothing flat>は「あっという間に」を意味する成句だが、両氏とも調べもしなかったようだ。双葉氏は「そしてチューブを出すと破れをはりつけ」と、無視。村上氏は「チューブを中から抜き出し、ぺちゃんこになったものにタイヤ修理用のパッチを貼り付けた」と<flat>を「ぺちゃんこになったもの」と訳している。確かに、それまで何度も、そういう意味で使って来ているから無理もないのだが、ここは辞書を引く手間を惜しんではいけない。

「白漆喰塗りの壁」は<the white-washed wall>。双葉氏は「洗いたての白い壁」、村上氏は「白塗りの壁」と訳している。<white-wash>は「白漆喰」のこと。村上氏の「白塗りの壁」はまちがいではないが、双葉氏の「洗いたての」はおかしい。いい塗装には湿気はよくないはずではなかったのか。もっとも、この部分も双葉氏は正しく訳していなかった。ひとつ見落とすと後を引くものだ。

「私は首をひねり、隣で痩せた機械工が空気で硬くなったチューブを上に放りあげ、両手を広げて両側をつかむのを見た」は<I turned my head and watched the gaunt mechanic beside me toss the air-stiffened tube up and catch it with his hands wide, one on each side of the tube.>。双葉氏は「私はふりむいて、細長い機械工が空気でふくらんだチューブを投げあげて、うけとめているのをながめた」と訳している。

村上氏は「私は首を曲げて、ひょろ長い修理工がすぐそばで空気を入れて硬くなったチューブを放り上げては、大きく広げた両手で受け止めるのを見ていた。彼は放り上げるごとに、一つの側を調べていた」と訳している。この最後の部分は<one on each side of the tube>を訳したつもりだろうが、この部分の主語はあくまでも「私」で、機械工は私に見られている対象でしかない。<one on each side >の<one>は、その前の<hands>のことで、一方の手が片側をつかんだことを言っているにすぎない。

「やがて、輝きも蠢きも消え、ただ暗黒と空虚と、吹き荒れる風に大きな木が落ちてゆくような感覚があった」は<Then there was nothing blight or wriggling, just darkness and emptiness and a rushing wind and a falling as of great trees.>。双葉氏は「それから何も光らず、何もうごめかなくなった。ただ、暗黒と空虚と、吹きまくる風と、高い木から落ちていく感じだけになった」と訳している。

村上氏は「しかしやがて輝くものも、蠢くものもいなくなった。あとにはただ暗黒と空虚があった。そして突風が吹き、大木が音を立てて倒れた」と訳している。<a falling as of great trees>の訳が「高い木から落ちていく感じだけになった」や「大木が音を立てて倒れた」になる理由がよく分からない。この<as of>は「〜のような」の意味で使われている。ここはマーロウの一人称視点で書かれている。マーロウは痛覚も視覚も消え、体感だけが残っているのだ。双葉氏はよく分かっているのだが、木から落ちるのではなく、木そのものが倒れる感覚ではないだろうか。