marginalia

読んだ本の話や一緒に暮らす猫のこと、それと趣味ではじめた翻訳の話など。

絆と権力

ガルシア=マルケスフィデル・カストロ。コロンビア出身のノーベル賞作家とキューバの最高指導者。それぞれの分野でラテンアメリカを代表する二人だが、この二人の間に特別な関係があることを、恥ずかしながらこの本を読むまで知らなかった。

言われてみれば、『族長の秋』をはじめとして、マルケスの作品に権力者を主人公にしたものは少なくない。独裁的権力を奮う軍事的指導者の姿をマジックと頭には着くもののあそこまでリアルに描くには、身近にそのモデルになるような人物がいないと考える方が難しいだろう。

しかし、今でこそ熱い友情で結ばれている二人だが、初めのころはそうではなかった。ガボ(友人の間でマルケスは、こう呼ばれている)が、キューバ革命支持を明らかにしてからも、カストロの方は距離を置いていたらしい。

その二人が、どのようにして近づいていったのか、その間にどのような事件があったのかを、かなり克明にレポートした内容となっている。筆者の立場は、独裁的権力者であるカストロに対して批判的であり、そのカストロに対して非常に近い立場にあるガボに対して距離を置いたものとなっている。しかし、単なる批判の書ではない。

ノーベル賞作家とキューバ指導者という立場をこえた二人の男の間にある友情に対しては、それなりの敬意を払っているようだ。ガボノーベル賞受賞に際し、その祝賀会場にカストロから栓抜きつきのキューバラム酒千五百本が送られてきた話にはつい口許がゆるんでしまった。

北欧はアルコール類には厳しい。十時をまわったら酒を提供することは禁じられているから、というカストロの口上が皮肉混じりで愉快である。これに対し、大量の不法輸送にスウェーデン蔵相はキューバ大使館に厳重抗議したというおまけまでついているのがまた笑わせるではないか。

カストロの秘密の外交官として各国の元首や大使とやりとりをするようになってからは、ガボハバナ景勝地に豪邸をあてがわれ、キューバにいるときはそこによくカストロが深夜にひょっこり現れ、朝まで話しこんでいくという。権力者は気を許すときがない。そこでやっと孤独を癒すのだろう。

独裁政権の思想弾圧に対し、かつてキューバ革命を支持した作家たちも、次々とカストロ批判の側に立つようになり、ガボの周囲から文学者仲間が消えていく。それに替わって、ガボを取り巻くのは、元フランス大統領ミッテランレジス・ドブレのような左翼政治家たちだ。クリントンアメリカ大統領もガボと親しくしていたというから驚きである。

クリントンハバナを訪れたときのこと。話が文学論議におよんだとき、元アメリカ大統領は、フォークナーが好きだと言い、『響きと怒り』の一節を暗誦してみせたという。彼が退席した後、ガボカストロはさっそく本を取り出して確かめてみた。すると、たしかにほぼ同じ文章が書かれていた。そのせいかどうかは知らないが、ガボクリントンに対する評価は高い。

カストロとの友情も文学をぬきにしては語れない。あまり知られていないが、カストロはかなりの精読者らしく、ガボの小説の矛盾点を何度も指摘したという。それ以後、このノーベル文学賞作家は、カストロに目を通してもらってからでないと、原稿を出版社に送らないことにしたという。

たしかに、革命当初と比べればカストロ長期政権の評判はあまりかんばしいものではない。何人もの政治犯の釈放や国外脱出に手を貸すことで、ガボは自分の存在意義を証明しようとするが、それがカストロのアリバイになっているという指摘もある。キューバ島の外から見る限り、ガボの立ち位置は危ういものに見える。

ただ、キューバという国の持つ魅力には抗いがたいものがある。作家仲間からの集中砲火を浴びるノーベル賞作家にとって、今やこの国だけが唯一くつろげる場所である。権力者の孤独を一身に引き受ける軍事指導者にとっても世界に誇れるノーベル賞作家が常時傍らにいることは公私ともに喜ばしいことだろう。両者にとって、この晩年の友情はかけがえのないものなのだろう。さしものカストロも昨今はその健康状態が憂慮されている。弟のラウルがいるものの、この巨星が墜ちたとき、キューバは、そしてガボはどうなるのか。一読後そんなことを考えさせられた。族長の秋は足早に近づいているようだ。

絆と権力―ガルシア=マルケスとカストロ