marginalia

読んだ本の話や一緒に暮らす猫のこと、それと趣味ではじめた翻訳の話など。

『話の終わり』 リディア・デイヴィス

話の終わり
作者自らが語るところによれば、この小説のテーマは「いなくなった男の話」だそうだ。
主人公の「私」は、西海岸の町に住み、翻訳業で何とか食べている女性。巻末の著者略歴によれば、作者本人もフランス文学の翻訳者として知られる。作者自身と思われる「私」が、たびたび登場し、今書きすすめつつある「いなくなった男の話」をテーマとする小説について言及する。それだけでなく、現在は別の男性と同居し、男の父親の介護に明け暮れる日常もつづられる。簡単にいえば小説の主人公である過去の「私」と、「私」と若い男の恋愛について回想する現在の「私」、そしてもう一段高い位階にあって、それらを統御しつつ小説にまとめようと悪戦苦闘する作家である「私」が、短い断章で区切られながら、かわるがわる現れては語るというきわめてポストモダン的な小説形式である。
そういうと、なんだか小難しく感じられるかもしれないが、そんなことはない。文字通り「話の終わり」の方から書きはじめられてはいるが、概ね時系列に沿って話は展開されていく。ただ、その間に何かによって連想された現在の暮らしや過去の回想が入り混じる。そのモザイクめいた印象が、ともすれば年下の男と別れた女性の喪失感と焦燥に別の彩りを添えて新鮮に感じられる。もし、この形式でなかったら、自分のもとを去っていった男の姿を探し求めて町中を探し回る中年女性の姿は傷ましく、つらすぎて読み続けることは難しいにちがいない。
かなり歳のはなれた若い男と、どういう経緯で出会い、いっしょに暮らし、やがて分かれていったのか、そして、その後の男との再会を狂おしいまでに追い求める行動。いくらフィクションとはいえ、恋愛中の心理についてこうまで正確に述べようと思えば、作家自らを語らざるを得ないのではないか。リディア・デイヴィスは、レリスやビュトールブランショの翻訳家で、プルーストの『スワン家の方へ』新訳の功でフランスの芸術文化勲章シュバリエを受賞した作家である。並みの小説家ではない。あくまでも理知的で、過剰なまでの自意識は、ただひたすらのめり込むような恋愛には不向なのかもしれない。こんなふうに考えたり感じたりしていたら、誰でも自分が人を愛しているのかどうか自信が持てなくなるだろう。
中年に差し掛かろうとするインテリ女性の恋愛心理の解剖所見といった感のある『話の終わり』だが、小説家がどのようにして一篇の小説を描くのか、その具体的な作業がていねいに描かれている点でも特筆すべき作品ではないか。小説を描いてみようと考えている人には一読を勧めたい。