marginalia

読んだ本の話や一緒に暮らす猫のこと、それと趣味ではじめた翻訳の話など。

『文豪の食卓』

グルメと言うにはほど遠いが、美味い物を食べるのはきらいな方ではない。どうせ食べるなら美味いにこしたことはないからだが、味覚というのは人それぞれで、あの店が美味いと聞いて訪ね、がっかりさせられることも多い。その点、食べものについて書かれた文章は、実際に食べるわけではないからがっかりさせられることがない。上手く書かれたものなら美味しい料理を味わうのと同じ満足感が得られる。

立て続けに二冊の本を読んだ。宮本徳蔵著『文豪の食卓』と、今柊二著『定食と文学』がそれである。前者には井伏鱒二を筆頭に、太宰、川端、三島、泉鏡花埴谷雄高谷崎潤一郎といった作家連中にまじり、寺田透小林秀雄、といった批評家、井上究一郎鈴木信太郎などの仏文学者が賑々しく登場する。後者は、獅子文六林芙美子宮本輝、織田作といった庶民的な作家たち、小津、伊丹、山本嘉次郎宮崎駿ら映画監督、鴎外、漱石の両巨頭、最後に石川達三北杜夫といった顔ぶれである。

いずれも食べ物にからんだ話が集められている。後者は題名通り、定食を中心に庶民的な食べ物を扱った文学作品や映画が並ぶ。コラムとして著者がその店を訪れて実際に食した感想が写真つきで紹介されているので、一種のグルメガイドブックとしても使える。それに対して前者は、錚々たる顔ぶれの文学関係者と、作家自身やその知人との出逢いにまつわる逸話の方が御馳走で、井伏の鰻や、川端の和菓子は、それぞれ名店の逸品が紹介されているが、それ自身が話題の対象ではない。

一つ興味深いのは、宮本徳蔵氏は今でこそ東京暮らしだが、もともとは伊勢市生まれだそうで、この本の中にも、伊勢饂飩や鮫のタレが登場する。伊勢に生まれ今でも伊勢に住む当方としては、同郷の者のみが知る味について触れられているだけでなんとなくうれしくなる。

『歌行燈』の取材を兼ねて鏡花が伊勢を訪れているのは当然と言えるが、他にも伊勢を舞台にした作品があるらしい。宮本氏の想像だが、鏡花は伊勢饂飩が食べたくて何度も伊勢を訪れたのではないかという愉快な説を立てている。というのも、鏡花は大のうどん好きでよく深夜におよぶ著述の合間に夜食として饂飩を食べていた事実が記録に残っていることをあげている。

『歌行燈』の舞台、古市は戦災を免れ、按摩の宗山が料理屋を営んでいることになっている細い長屋の並ぶ小路はこの辺りで言う岳道ではないかと考えられる。伊勢独特の切り妻妻入りの間口の狭い家並みが続くその界隈は、今でこそ櫛の歯の抜け落ちるように一軒、二軒と取り壊され、空き地となった細長い区画が無惨な姿をさらしているが、ほんの少し前までは格子戸に鍼灸師や琴三弦の師匠といった看板が掲げられ、ひっそりとした佇まいに往時が偲ばれたものだ。

また、学生時代伊勢で過ごした小津安二郎も伊勢饂飩を好んだようで、八間通りに今も残る喜八屋によく通ったという。何度も前を通ったことがあるが、饂飩屋にしては立派な看板だなあと思っていた木製の看板の題字があの小津の字だったなんてまったく知らなかった。それより、もっと驚いたのが小津映画に「喜八物」というシリーズがあることは知っていたが、その喜八が、この饂飩屋由来のものだということである。

なんでも喜八屋のご主人が俳優の坂本武似だったらしく、そこから坂本が好演する作品が「喜八物」と名づけられたのだそうだ。波切を舞台とした名作『浮草』を撮っていたころ、京マチ子若尾文子杉村春子をタクシーに乗せて「喜八屋」を訪れたことがあるという話を紹介している。

さいころから「うどん」といえばゆですぎと思うほど軟らかく太めの白い麺に、鰹でだしをとった溜まり醤油で真っ黒になったごく少量のタレをからめて食べるあれだと思っていた。風邪をひいた時には近所から出前を取ってくれるのだが、何故か家では作ってもらったことがないのを不思議に思っていた。鰻屋と寿司屋、饂飩屋がやたらに多いのが伊勢の町だが、あのタレに店独特の工夫があって、近所の饂飩屋に教えを請うたのだが、溜まり醤油と鰹だし以外の秘伝は無論教えてくれなかったと母が後年話していた。今では名前も「伊勢うどん」となって、遠来の客にも喜ばれている。タレも鰻のタレと同型のパックをスーパーで求めれば簡単に家庭で味わうことができる。それでも、やはり贔屓の店の伊勢うどんが一番美味しいのは変わらない。でも、今度は一度喜八屋の伊勢うどんを食べに行きたいと考えている。